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ちあきなおみ 歌姫伝説

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ちあきなおみ~歌姫伝説~をまとめました。
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2022年10月の記事一覧

ちあきなおみ~歌姫伝説~31 ちあきなおみロス

ちあきなおみ~歌姫伝説~31 ちあきなおみロス

 二〇二〇(令和二)年十二月九日午後、私はうららかな冬日を満面に浴びながら、自宅近くにある千種公園へと歩を進めていた。昨夜はファンタスティックな昂ぶりを覚え睡眠不足ということもあり、私の歩きぶりは緩慢にして重かった。
 住宅街を抜け公園が迫ってくると、歩きしだいに視界が広がり頭も澄んできて、いくらか足取りも軽くなってくるような気がしてくる。私は子供の頃に返り、タップを踏むように軽快にステップを進め

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ちあきなおみ~歌姫伝説~30 ただ歌のために

ちあきなおみ~歌姫伝説~30 ただ歌のために

 一九八一(昭和五六)年、ちあきなおみはレコード会社をビクターインビテーションに移し、これまでとははっきりと方向性を変え、伝説を積み上げてゆく。
 真摯にじっくりと好きな歌に取り組み、アルバム歌手として、アーティストとしての趣を見せながら、ちあきなおみ路線を劇的に繋いでゆくのである。そして一九八八(昭和六一)年、レコード会社をテイチクに移籍させるまで、ビクターから四枚のアルバムを発表している。
 

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ちあきなおみ~歌姫伝説~29 矢切の渡し事件

ちあきなおみ~歌姫伝説~29 矢切の渡し事件

以下・つづき

〈コロムビア(日本コロムビア・古賀註)は82年、ちあき(ちあきなおみ・古賀註)が76年に出した『酒場川』のB面『矢切の渡し』をA面にして発売。この曲を人気絶頂だった梅沢富美男が舞踊演目に使ったため注目された。その後、細川たかしからカバーの要請があり、83年には同じコロムビアから2人の「競作」として売り出された。
 ところが彼女はビクターに移籍しており、コロムビアは途中でちあき盤を廃

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ちあきなおみ~歌姫伝説~28 ちあきなおみ復帰画策事件

ちあきなおみ~歌姫伝説~28 ちあきなおみ復帰画策事件

 一九七七(昭和五ニ)年、「夜へ急ぐ人」(九月一日発売)を巡り、如実にあらわれた歌への制作スタンスの根本的相違から、七月、ちあきなおみは当時の所属レコード会社・日本コロムビアに対して、今後契約更新の意思がないことを表明する。日本コロムビア側は、スターである歌手に辞められてはドル箱を失うことになり、ちあきなおみがどう動くかということは、今後マーケットに大きな影響を及ぼす重要な問題だった。しかし、双方

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ちあきなおみ~歌姫伝説~27 閉ざされた扉の向こうで

ちあきなおみ~歌姫伝説~27 閉ざされた扉の向こうで

 一九七八(昭和五三)年、ちあきなおみは郷鍈治との結婚を機に、少しのあいだ芸能界とは距離を置き休業状態に入るのである。
 振り返れば、これまで休むことなく歌いつづけてきたちあきなおみにとって、この期間はもっとも人間らしい時間を過ごすことができた、至福の時であったと言えよう。
「郷さんはもう少しひとりでいたかったんだけど、私が強引に結婚してもらったの」というのは、ちあきなおみ自身が述懐していたところ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~26 契約解除処分

ちあきなおみ~歌姫伝説~26 契約解除処分

 一九七七(昭和五ニ)年、商業ベースに乗って与えられた曲を歌う道筋から、自らが歌を選んで取り組む独自の路線を歩きはじめたちあきなおみは、翌年の一九七八(昭和五三)年一月、アルバム「あまぐも」を発表する。
 このアルバムは、河島英五が六曲、友川かずき(現・カズキ)が五曲、全楽曲書き下ろしによる作品で構成されている。収録されている「夜へ急ぐ人」(作詞・作曲・友川かずき)は、宮川泰アレンジによるシングル

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