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貧困は抜けられます

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今現在貧困に苦しんでいる方。苦しんでいる人を抜けさせようとしている方。貧困問題に興味がある方の為に書いています。これを読むことによって困難や不可能と思われる貧困ぬけでも、実際に抜…
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記事一覧

貧困を抜けるvol.15「帰郷」

今度の7月21日に帰郷します。 私の生まれた広島、育った、岡山、小倉、福岡に帰ります。 前…

vol.14 「教養は強要ではない。」

骨を食べ過ぎた犬は粉のうんこをする。 個人の学びの質は上がっている。気をつけなければ学校…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,1「生まれ」

1972年3月24日広島県福島市で私は生まれました。 福島には何歳までいたかはわかりません。 記…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,2「ディスレクシア」

私はLD(Learning Disability)所謂学習障害です。そしてディスレクシアです。 私がLDになった…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,3「貧困パワハラと地名がわからない幼い頃私の…

私は以前の職場でリストラとリストラする為のパワハラを経験しました。「根回し」という言葉が…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,4「なぬかいち望郷〜教育熱心な我が家が子供を…

なぬかいちだか、なのかいちだかそんな感じの町が岡山にあったと思います。 そこが岡山で最初…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,5「映画ジョーカー」

なぬかいちか、なのかいちか、一家総コミュ障の貧乏人の家庭に生まれ育った私にとって自分の生まれ育った場所の町名すらわからないことは自然なことです。親に聞くこともできず、できない理由は絶縁しているからで、離婚した両親の破綻した生活の面倒など到底見れようもない、常識を逸脱した破壊的な言動をとるおそらく重度の躁鬱の母と、常識を逸脱した自己中のおそらく重度のアスペルガーの父です。接触すればこちらの家庭と生活が破綻することが目に見えています。 彼らが不幸なのは、自浄能力がないこと。自ら

貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,6「なぬかいち望郷」

なぬかいちだか、なのかいちだかに私が住んでいたのは42年ほど前。当時の記憶はまず、今は無理…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,7「奴隷」映画ジョーカーすごくわかる‥

昨日知り合いと映画のジョーカーの話題になりました。 相手は10代です。 友人と観た後わかる…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,8「貧困層の慎ましい家庭は、奢らず、前に出ず…

私はかすかに幸福感を覚えています。 小学校2年生の時に岡山にいた時です。 あの頃はまだ幸福…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,9「私はディスレクシアです。文字が記憶できな…

私は小学校1年生の時に岡山県岡山市の中心地にある深底小学校に入学します。 そこで学のない、…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた話〜vol,10「保育園の初日に男なのにスカートをはかされて入…

小学校に入る1年程前だと思います。 私はなぬかいちだか、なのかいちだかいう町から岡山市内…

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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた話〜vol,11「長年絵の指導をする時にやらないようにしている…

40年も昔の話です。 私は小学校に入る1年ほど前、なぬかいちから引っ越し岡山市に住んでいまし…

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「一流大学に合格して変わったことと変わらないこと。そして私には悩みがあります。 子供の頃に感じていた幸福感を感じることができないことです。」貧困ぬけvol,12

私には悩みがあります。 子供の頃に感じていた幸福感を感じることができないことです。 小学校の2年生まで、岡山にいた頃までは幸福感がありました。 私には欠落したものがあります。 安心の、安堵の状態にある心です。 岡山から小倉に来てからずっと心が不安定です。 これがどうすれば元に戻るかわからず、不思議で、ずっと悩んでいます。 今は、というか小学校2年生から小倉に越して以来、今日までずっと心が不安の状態にあります。 それを戻すことができない。 不幸に落ちて以来。 心の底か