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「一流大学に合格して変わったことと変わらないこと。そして私には悩みがあります。 子供の頃に感じていた幸福感を感じることができないことです。」貧困ぬけvol,12

私には悩みがあります。
子供の頃に感じていた幸福感を感じることができないことです。

小学校の2年生まで、岡山にいた頃までは幸福感がありました。

私には欠落したものがあります。
安心の、安堵の状態にある心です。

岡山から小倉に来てからずっと心が不安定です。
これがどうすれば元に戻るかわからず、不思議で、ずっと悩んでいます。

今は、というか小学校2年生から小倉に越して以来、今日までずっと心が不安の状態にあります。
それを戻すことができない。

不幸に落ちて以来。
心の底から笑い、喜びを感じ、幸福感を感じることができません。
お陰様で私は四六時中仏頂面です。

生徒が大学に合格したりすればそれは嬉しいです。
生徒のお陰で一時的に気持ちが揚がる。
でも、程なくそれ以外の大きな問題に対する懸念が私の気持ちを不幸の側へと引きずり落とします。

受験時代、一流大学に入れれば幸せを手に入れいることができると信じて必死に浪人して合格するまで一歩も後ろに引かずに多浪し受験を続けました。
合格するまでは合格した瞬間に幸福感が得られると信じていました。
でも、合格した瞬間に悟ったのはこれでは何も変わらないということです。
不合格の時はどん底まで落ちたので、受かった瞬間歓喜の声を上げられるくらい気持ちが上がるかと思えば、何も起きませんでした。
冷静に合格掲示板の文字を読んでいました。

合格した時に変わったことはあります。
学歴のコンプレックスからぬけたことです。
そして大学卒業後に使える名刺を手にしました。
この名刺は実際にかなりの効果があります。
今年のように経営の厳しい時はありますがとりあえず勝ち組と言えるのかもしれません。
でもそれと幸福とは別の問題です。

私の心の問題を解決するには単に私が金持ちになればいいということではありません。
心の問題を解決する為にやらなければならないことがあります。
それは壊れた心を治療することです。
それはただの儀式のようなものなのかもしれません。
私の心が壊れたのは私が人や社会との関係を絶ったからです。
社会や人によって人の心は壊れます。
幼い頃、親は私に様々なことを禁止しました。
それによって勉強以外の殆どのことを壊された。
当時親は一流大学にさえ入れれば壊れたものはすぐに取り戻せると考えたのかもしれません。
でも、一度壊れたものはそう簡単には治せないのです。

私には心を治す為に、修復しなければならない関係があります。
修復するには超えなければならない問題がたくさんあります。
私の一番大きな課題は親子関係の修復です。
この問題の一番の難点は私の両親は「努力」という概念がないこと。
私がどれだけ必死に生活を良くしようとしても、私の両親は社会的に生活を良くするための努力を一切しません。
仮に、私の両親が生涯勤勉で努力を積み上げる人間であったなら、距離はとっても今頃ある程度の関係は保てていたと思います。ですが残念ながら、両方とも生活が破綻し、何の努力もせずお手上げ状態です。自ら学び、自らの収入を上げる為の勤勉さ、勤労さが微塵もない人間です。残念ですが両親との関係を修復することはできません。仮に距離を近づければ、私の生活が破綻し、両親は一瞬小銭を得る。それで終わりです。
ダメな親はおいておいて、それよりも、私の問題を解決しなければなりません。
少なくとも私が治らなくても、壊してはならない生徒や子供達がいます。
何をすれば何が壊れ失われるかを少しでもわかりやすく皆に伝えなければならないと考えています。

私は一度解離性障害になりました。
身体感覚が麻痺して自分の体ではない感じになる心身症です。
長い間症状に悩み、今ではぬけています。
ぬけるまでに15年ほどかかりました。
中学生の頃になり、30で大学を出る頃に抜けたと覚えています。
この原因は親が私から遊びを奪ったからです。
運動を奪い、体を動かすことを愚かなことと教育されました。
小学校に入って程なく外出を禁止され外を走り回ったりする機会がなくなりました。週1で剣道を習っていましたが、そんなものまるで効果ありません。
神経がおかしくなり、解離性障害になりました。

私はディスレクシアになりました。高校に入ってから文字が全く記憶できなくなります。これは最近やっとこの程度の文章が打てるようになりました。それでもまだ、数行前に何を書いたか思い出して説明しろと言われてもできません。英語はやっと英語の歌の歌詞を覚えるスピードが増しています。でも1曲全て覚えるまでいきません。

私にこれらの障害が起きた背景には社会の問題があります。
自分の為に社会の問題を解決する。というような見方はおこがましいことです。
ですが、私と同じような状況に苦しむ子供や生徒がこれからも同じように出てきてくるのだと考えるとじっとしてはいられないのです。
つまり、これらの問題は個人の問題とは割り切れないのです。
つまり、実は個人から端を発する問題ではなく、社会が個人に促して生じた問題でもあるのです。

残念ながら、社会には人を不幸にしてしまう構造があります。

幸福とはとても大切なものです。
貧しくとも、清貧であり、家庭があり、笑顔に溢れていればそれは得られるものです。
逆に、家庭に笑顔が無くなるようなことをしてしまえば、幸福は簡単に自分の手から逃げていきます。

私が幼い頃の日本は国民が清貧で治ることを嫌いました。
どんどん働くことを促し、高学歴を目指すことを促します。

我が家が不幸だったのは、幸福になる方法を誤解してしまったことです。
貧しくとも笑顔があればそれで良かった。
それを、不幸の原因の全てはお金がないことから来ていると考えてしまった。

私は昭和47年生まれです。
高校生の頃日本はバブルを経験し、当時は受験戦争のピークでした。
私が小学校低学年の頃は受験戦争前夜。
学校では子供と親に大学進学のキャンペーンを積極的に行いました。
キャンペーンのキャッチコピーは
「東大早稲田慶応」
我が家は小学校1年生の3者面談以来
「東大早稲田慶応」
になりました。

両親はその時すでに幸福感はなかったのかもしれません。
彼らの救いは
「東大早稲田慶応」
貧しさの中にあり、カラッカラに乾ききった心に
「東大早稲田慶応」
は一瞬にして深く広く湿潤しました。

今思えばこの時すでに我が家は終わっていたのかもしれません。
我が家には
「東大早稲田慶応」
は重すぎた。
その結果、我が家には笑顔が無くなったような気がします。
少なくとも私から笑顔を奪いました。
友達を作ってはダメから始まり、テレビを見てはダメ、虫を飼ってはダメ。

友達と仲良くなった話をすれば、母は鉈で邪魔な枝をザッパザッパと切り落とすように枝切りを行いました。即座に関わらないように私に言いました。
その度に私は心が引き裂かれる痛みに耐えながら、1人ひとりの友達に遊べないと断り、関われないと言って縁を切りました。
正直申しまして、母は悪魔だと思います。

当時はドリフの全盛期でした。ガンダムやドラえもん。まず、小学校の時に始まったドラえもんの確か1話だけ見て、それを見たことを知った母はアニメを見ることを一切禁じました。ガンダムは当時始まりましたが私がガンダムを知ったのは小倉に行ってからです。ドリフはチラッと見た事があるだけ、すぐにチャンネルを変えられます。

母が過剰な行動に出た背景には貧困があります。
当時は貧困とまではいきませんが、低所得であったことは間違いありません。
それでも、子供の私にとっては幸せでした。
でも、母からしてみれば、中卒の父の低所得には不満があったわけで、イケメン?かどうかはわかりませんが、若い歯医者と不倫をするようになったそうです。
私が微かに覚えているのは、一緒に連れられた病院に母が何故か裸で歩いている姿です。

歯医者さんにとって母との不倫はただの遊びです。
富裕層の独身の男性にとって多くの女性と関係を持つ感覚はなんでもないことです。つまり、低所得の育ちの悪い子持ちの女性と歯医者さんが本気で付き合うことはありません。

遠い昔私は幸福感を感じることができました。
少なくとも岡山にいた時までは。
私の微かな記憶の中で、物心をつき始めた時のことを覚えています。
私の家が貧しいとわかり始めた頃と幸福感を失う頃が重なります。
貧しいとわかった時に私は安堵感を失います。
安堵感を失う前に、私に清貧の考えがあればよかったのかもしれません。
でも、私が教育されたのは学歴社会に打ち勝ち金持ちになる手立てでした。

私は小学校に入る1年程前からやっと保育園に通えるようになりました。
保育園で周りの子は制服を着ています。
私はいつも私服でした。
制服を買うお金がなかったのだと思います。
それが蓮昌寺保育園です。

続く

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