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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,7「奴隷」映画ジョーカーすごくわかる‥

昨日知り合いと映画のジョーカーの話題になりました。
相手は10代です。
友人と観た後わかる、わからないという話になったそうです。
友達はわからない。
その子はわかる。


あ、わからない子いるんだ‥ちょっと意外でしたが、聞いた瞬間、勝手にどう認識したのか想像してみてそんなもんかなと納得しました。

私が勝手に想像したのは、
わかる子は貧困や片親。
わからない子は裕福で家庭円満。
という違いです。

わからない子はきっと映画を観終わった後キョトンとしていたのではないでしょうか。
劇中に何もわからないキョトンとしてただ呆然と立ち尽くす市長の息子さんが出てきましたが、見終わった後キョトンとしていたのだとすると市長の息子さんのイメージとかぶります。
息子さんはわからない子を象徴したのかもしれません。

市長の息子さんは大切に不自由なく育てられたとても良い子です。
意外ですが、市長の息子さんと同じように不自由なく育った恵まれた環境の子にはわからないということがあるかもしれません。
単純に映画に集中してなかっただけかも知れませんが‥。

わかる子はもう一度見たいと言っていました。
私も同感です。
私にとっては今の私の言いたいことを上手く面白く表現してくれていると思えました。
見ていると胸がすく思いがする。
なのでもう一度見たくなります。

昨日の会話から、改めて、これからの世の中に必要な映画だなと個人的には思いました。
これが仮に映画のバットマンの話の背景だったのだとしたらバットマン深いな‥と思います。バットマンも改めて観てみたいです。

私はものすごくわかるので、そのわかるでその子と話が少しだけ弾みました。
その子は貧困ではありませんが、その子も私も片親です。
私にできることはその子は生徒なので超一流大学に入れること。
それがジョーカーとは手段が違う私の戦い方の1つです。
あ、勿論、両親、中所得、高所得のご家庭の子も入れますし、その子の努力が大前提です。
どんな子にも手を抜かないという意味です。

大事なことはわかる大人が片親や貧困層の子供たちの可能性を少しでも広げる努力をすることです。

OECD加盟国の中で最も子供の少ない少子化の日本では、限られた少数の子供の学力を少しでも高めること、1人でも多くの子供が高等教育機関で学べるようにすべきです。
特に偏差値の高い所謂一流大学には貧困層の子供はいません。
その構図を変えるべきです。
それには私のような予備校経営者が支援の手立てを考えなければならないと思います。
日本を所得に関係なく全ての子供が不自由なく学べる国にするべきです。
予備校の立場としてはとても大きな問題ですね。

私は日本の少子化は学び辛さ、生き辛さが原因としてあると思います。
私は、私が奴隷のように過酷な思いをしたことと同じような責め苦に子供達を合わせたくないと思っています。
そんな理由もあって、私には子供がいません。
私のように考える者が私の世代には多いのです。
私はそれが今の少子化の1つの要因だと考えています。
私が幼い頃は親は兎に角「東大早稲田慶応」それしか言わない。
貧困層の子供から超一流大学に進むことがどれだけ苦難を要することか親世代は全く理解していなかった。
そのような反動が今の社会に現れているように思います。

映画のジョーカーに見るように貧困層と富裕層との格差は昔からあります。
それが依然となくならない。
そのような国の状況を憂う映画だと思います。


格差は社会ができてからずっと続いている普遍的なことです。
それを無くすことは不可能かもしれませんが、無くならないとは思いたくはないですね。
日本にいるからかもしれませんが、世界の歴史を見ると少しずつ良くなっているような気もします。

世界には食べられない、住む所もない、絶対的貧困に苦しむインドやアフリカのような国があります。
日本のように食べることはできる、住む所はある、相対的貧困の国は世界的に増えていると思いたい。
世界から貧困を無くす手立てをできる限り尽くすべきです。
日本で相対的貧困を無くす手立てはまずは「学び」だと思います。


日本には修学支援新制度ができました。
この制度によって日本では貧困層の子も高等教育を受けることができます。
これは言うまでもなく貧困層の子にとってとても大きなことです。
後は、学ぶ気にさせること。

スイッチを入れるために映画ジョーカーは最適のような気がします。
映画ジョーカーではジョーカーの起こした事件が暴動の引き金になりました。
人生は何が切欠になるかはわからない。
私に修学支援の問題に取り組ませるスイッチを入れたのはsnsに入った1つのDMでした。
映画ジョーカーを見て変わる人ももしかしたらいるのかも知れない。
勿論暴動はダメです。
掻き立てられた気持ちを、学びやスポーツや仕事に転嫁するのです。

私は貧困層の家庭の出身です。
頑張って大学を出て今は予備校を細々経営しています。
バットマンを観て、バットマンみたいになりたいと思うことはあります。
あんな車に乗りたいので、頑張って仕事をしています。
昨日2500万のM8というBMに乗りました。
まだ買えませんがとりあえずメルセデスには手が届いたので諦めずに頑張ります。でも、バットカーは無理です‥。そもそも売ってません。

貧困層にいる多くの人には、スイッチは入っていない。
スイッチの入っていない人をそのまま煽っても当人にとっては迷惑なだけだと思います。
映画ジョーカーを見るといいかもしれません。
私がやりたいことは人知れずスイッチを入れること。
それにはまず子供の学習環境を変えることです。
私が学校によってスイッチが入り、変われたように。
高等教育へ進めるようにするのです。
学びの環境を変えることで「貧困ぬけ」が可能になる。
その可能性は十分にあると考えています。

貧困ぬけをするには気分を変える必要があります。
低賃金で黙って働き続けるには無理矢理自分に言い聞かせて納得させたり。
低賃金で自分の収入が低ければ家族を上手く納得させたり。
雇い主は低賃金で社員を納得させるしかありません。
そうした日常の中で安い給料でも納得するしかないという理屈が頭の中で成り立ち。
それが常識となり、そこで落ち着きます。

落ち着いてそれで死ぬまで問題なく食べていけるのなら良いでしょう。
でも、その保証はありません。
それに今の日本の状況はまずいと思います。

ジョーカーの舞台となったアメリカは少し先の未来の日本のような気がします。
高齢化の進むこれからの日本は間違いなく貧富の差が激しくなる。
私は勝手にそう思っています。

落ち着き永い平和が定着している日本では声を上げる習慣はありません。
声を上げる気分にはならないのは声の上げ方がわからないからです。
服従の仕方はわかるけれど、反発の仕方がわからないのです。

ジョーカーでは最後に民衆が声をあげます。
声を上げる前の鬱屈した気分と、それを解き放とうとする気分を私はとてもわかるのです。
きっと皆さんの中にもわかる方は多いと思います。
問題は反発の仕方です。

映画では暴動が起き、町中の人が富裕層を攻撃します。
それによって富裕層が反省するかもしれません。国が反省するかもしれません。
そこにはもう黙って大人しくしているだけの静かな気分はありません。
明るい未来を掴み取るために勇気を奮い立たせて前に出る気分です。

貧困を抜けるには前に出る気分に切り替えることが大事です。

私は個人的にはストや暴動は反対です。
他の反発の仕方を考えたい。

昔と今と少しずつ変わってきていることがあります。
それは情報です。
皆さんご承知の通り、誰でもネットで情報が入るようになりました。
そして、情報を発信することが可能です。
これまでは鬱屈するしかなかった、でもこれからは違います。

本がなかった時代は都市部の学校に行ける人間しか学ぶことができなかった。
本ができてからは本が買えて学校に行ける人間しか学ぶことができなかった。
現代ではネットで誰でも情報が得られるようになりました。
同時に発信することもできます。
誰でもネットを使って反発できるのです。

ジョーカーのように暴動を起こすことは実は効果があります。
国会や裕福な保守層は何事もなければ動きません。
都合の悪い時だけは動くのです。
彼らの性格を理解しなければなりません。

残念ながら、保守層の多くは既得権益を守りたい。
守りたいから保守層なのです。
少しでも自分の利益が上がるようにすれば儲からない人たちが出てくる。
儲からない人たちが少しでも黙ってくれていた方が保守層は自分の豊かな生活が守られるのです。
保守層は既得権益があり、その本質は残念ですが、守銭奴です。

守銭奴の理想は貧困層が黙って今の状態を幸せだと認識して大人しくしていることです。
貧困層が安い給料で貧しい生活を送ってくれれば、そのおかげで自分が裕福な生活を送れる。
そのためには貧困層が安い給料で働いていることに疑問を持たずに幸せだと認識していることが大切です。
疑問を持たせないためには貧困層のプライドを立てなければなりません。
労働を美しものと定め、労働の美学を教育するのです。
そして労働することにプライドを持たせます。
自由ではなく、黙って嫌なことをすることが正解だと教育するのです。
少し前までは、権力者、例えば、社長や上司や先輩や先生や親が下の人間を激昂しても許されていました。
でもそれが今は変わりました。
激昂が許される時代は美学を教育しプライドを持たせれば、少しずつ煽って、様子を見ながら、だんだん激しく煽っていくことで労働者や生徒を少しずつ「奴隷」のようにコントロールすることが可能です。

奴隷が完成すれば、日大のアメフト部のように試合中に生徒に相手に怪我をさせる指示を出しても指示が通ります。
神戸市立東須磨小学校では女帝が先生に激辛カレーを目薬にすることが可能になりました。
例を上げればきりがありませんので上げませんが、これは大きな変化だと思います。

貧困層は奴隷のように扱われる。
この構図はネットによる情報の入手と発信。
ネットによる「反発」によって変えられるはずです。

「奴隷」は絶対的貧困の国、インドやアフリカにしかいないというのは誤解です。
「奴隷」は絶対服従です。
つまり、
絶対服従させる側と
絶対服従される側が成立している限り「奴隷」は成立しているのです。

ジョーカーの世界でもそうです。
日大アメフト部の監督は服従させる人間。
当時の日大アメフト部の学生は「奴隷」です。
神戸市立東須磨小学校の女帝は服従させる人間。
神戸市立東須磨小学校の激辛カレー目薬を入れらる先生は「奴隷」です。

「奴隷」になりたくなければ反発してください。
それにはまず「気分」を変えることです。

なかなか気分を変えられないという方はジョーカーをお勧めします。

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