貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,4「なぬかいち望郷〜教育熱心な我が家が子供を監禁同然で徹底した最強教育メソッド」
なぬかいちだか、なのかいちだかそんな感じの町が岡山にあったと思います。
そこが岡山で最初に住んだ場所です。
私が広島で生まれて家族が岡山に越したのは小学校に入る数年前です。
何年前なのかは、当時の日記やアルバムのページにはないのでわかりません。私の父と母は生きていますので、父と母に聞けば良いのではと思われる方が多いかと思いますが、私が両親から教わったのは人との縁を切ることです。なので今は絶縁しています。又、改めてお話した方が良いとは思いますが、世の中には誤ったメソッドを誤った学び方をして、誤った使い方をするケースがあります。それを実践してしまったのは私の両親でした。
誤ったメソッドは、なんと称すれば良いか‥。消極的メソッド‥ニヒリズムメソッド‥。どのようなものだったかというと、テレビを一切見てはダメ。友達を作ってはダメ。遊びに行ってはダメ。遊んではダメ。お小遣いはなし。洋服は買ってもらえない。制服は1着。冗談を言ってはダメ。親に質問してはダメ。親の言うことを聞かなければダメ。ざっと思いつくとこのような感じの禁止事項です。なので禁止メソッドとでもいいましょうか。そのような誰が聞いても愚かの一言で片付きそうなダメなメソッドです。
発端はおそらく小学校の先生だと思います。そこから悪く発展してしまった。
小学校の先生がまず、母親に言ったのは、小学校1年生の時の木○くんの家に私が一度遊びに行ったことを母親が先生に話した時に先生が驚愕して、声を上げながら、「小平くんはあんな子と仲良くしているの?考えられない。あんな子と仲良くしてはダメです。」です。お陰様で岡山にいた時は、それ以来友達の家に遊びに行ったことはありません。木○くんの家に一度行ったきり、それ以外に友達の家に遊びに行ったことはありません。友達と遊ぶことは一切禁止になりました。
教育者としての今の私としては、この先生と母親の判断がどれだけ間違ったものか容易に判断がつきます。そしてその意図する所の正しい解釈の仕方もわかりますし、ここではお話しておくべきかと思います。簡単に言えば勉強に興味を向けさせるために遊びを少し止めさせればいい。それを猟奇的な私の親は完全に禁止してしまった。
まず、私は今47ですが、41年前のあの時のことを今でも覚えています。木○くんの家は大家族で、電気屋で、目の前がおもちゃ屋で、商店街の中で、家の中は活気があって、賑やかで笑顔や笑い声にあふれていた。電気屋だったので家の中は明るかった。家の中はごちゃごちゃしてたけど楽しかったことを今でも覚えています。逆に我が家は笑顔は一切なく死んでいました。まず、我が家のような死んだ家では、私がディスレクシアになることも頷けます。お陰様で未だに私はいつも仏頂面です。今でも当時の木○くんの家に行ったことを覚えていることが証明しているように学びの大事なインプットは遊びによって行われることが多いのです。私がディスレクシアになり文字を全く記憶できなくなったのは、これから先に誤ったメソッドを徹底してしまったことにあります。親は私から勉強以外の興味関心のある全ての物事を奪いました。日常の全ての物事に対する興味関心を奪うこと=学習能力が落ちるということも知らずに。
先生の言うこともわかる部分はあります。つまり、木○くんの家は遊んでばかりでやんちゃで多少素行の悪い所もあるのかもしれない。それで勉強もあまりしないように想像されレッテルを貼られたのでしょう。でも、その時点で本当に勉強ができなくなるかどうかは全く判断できないことだと私は言い切りたいと思います。先生は木○くんの親御さんのことも知っていたようですが、私の両親だって片方は中卒、片方は高卒で褒められたものではありません。そして子供の頃に元気よく遊んでいたことがその後の学歴などの成功の仇となることは一概に言えません。唯、言えることは、遊んでばかりで全く勉強しないで大人になっていくケースもあるので上手く勉強させることは大切です。少なくとも子供から完全に遊びを取り上げてしまうことは過ちと言ってよいでしょう。
子供にとって遊ぶことはとても大切なことです。友達と遊ぶこともとても大切です。友達と遊ぶことで人と繋がるために必要な色んな感覚を育む。あの時先生と母親は大きな過ちを犯しました。それは木○くんから私を引き離したことです。あの時の心が引き裂かれる感覚は今でも覚えています。そしてその感覚をその後私は幾度となく繰り返すこととなります。親は私からあらゆる人を引き離します。その結果私はそのような親への愛情を完全に喪失します。毒親と言う言葉がありますが、私の親はモンスターそのものです。そのような結果になるなどと当時の私の両親は想像もしていなかったことと思います。私からしてみれば何とも都合の良い考えだとは思いますが、自分だけはと言う都合の良い過信が彼らの人生を大きく狂わせることになります。彼らはおそらく子にとって自分を神のように錯覚してしまった。彼らとの関わり方はいつもそのような感じでした。
我が家は誤ったメソッドによって、私から友達を引き裂くことを徹底的に繰り返します。そして両親は自らも人との関わりを切っていきます。それによって私の中で身についたのは人との縁を切ることです。両親の誤ったメソッドは矛先が親同士に向かいます。人との関わりを切ることが良いことだと誤解してしまった母親はどんどん自らの人との関わりを切っていきます。切るものが無くなった母親は私に父親と縁を切るように、父親は私に母親と縁を切るように。当時母親は荒れ狂っていたので、私は母親を何の躊躇いもなく切り捨てました。何の躊躇いもなく人を切れるのは両親から学んだメソッドです。誰がどう考えても誤っていること。それが我が家では全くわからなくなっていました。
40年前、世の中にはひとつの風潮がありました。受験に対する意識の向上です。それによって程なく受験戦争が起こります。受験戦争当時の予備校講師の年収はトップクラスで数億円を超えていました。両親が先生と木○くんの話をした時に合わせて言われたのが大学に進学するべきというものです。私の父は中卒。母は高卒でその高校も地元では最も偏差値の低い高校です。学歴コンプレックスの強い両親には先生の声は響ました。大学のことなど何もわからない。その時に教わったのは
「東大早稲田慶応」です。
その日以来両親は「東大早稲田慶応」しか言わなくなりました。
東大早稲田慶応。実際の所この3つの大学に地方の貧困層の人間は合格できません。私の知る限り、東大にはいない。慶応もいない。奨学金を借りている学生はいても貧困層の学生はいない。早稲田には少しいます。それくらい貧困層の家庭から東大早稲田慶応に行くことは稀なことです。そのようなことは何もわからずに、私の両親はあの頃から毎日、私と顔を合わせる度「東大早稲田慶応」を連呼します。そして何の内容もない只々何もやらせない日々が始まりました。
学歴のない貧困層の家庭には学びの習慣はありません。つまり、遊びを絶った先にあるものは学びではありません。只々呆然と何もしない状態があるだけです。友達と遊ぶことを禁止、友達を作ることを禁止することはその場でできる具体的な努力かもしれません。でも、悲しいかな我が家には学びの文化がなかった。小学校が終わると家に帰ります。そして遊びに行くことは禁止。只々家に閉じ込められて何もしない。勿論勉強をさせたり、私に教えたり、と言う向きにはなります。でも悲しいかな親自身が問題の答えを間違っていたり、説明などできず、兎に角できなければ激昂し、殴る。それだけの毎日でした。成績など上がるはずもありません。それでもそれが如何に無駄なことであるかが全くわからない。
学ぶことはとても大切なことです。そして私は遊びも大切だと思います。学びと遊びの先には「人」がいます。人に触れながら多くのことを学んでいく。全身を使って遊び、学んでいくことが私は大切だと考えています。遊びか学びかどちらかわからなくなるような、そのようなものが私は理想だと考えています。私は今、1日中遊んでいます。それは私の仕事でもあり、学びでもあります。今、これを書いているのもそうです。本当に東大早稲田慶応に子供を入れたければ、忖度ではなく、本心から勉強が好きになる。そのように子供を教育するべきです。つまり、何かを禁止したり、人を引き離したりする必要は一切ありません。子供が自分の意思で学びたくなる。そしてそのような生き方を一生できるようにしてあげる。一生学ぶような生き方をしないのであれば、私の個人的な考えですが、何も無理して東大に行く必要はないでしょう。更に言えば、一生学べるのであれば何も東大でなくとも良いのです。大学に行く必要もありません。
遊びの先に学びがあります。英語を勉強させる前に英語圏の国に何度も旅行に行ってください。そこから子供が自然に英語に興味を持つように育ててください。仮にそれができないのであれば、それは実は身に付く学びではありません。その子は英語を必要とする環境に生まれていない。すると、多くの場合英語が必須となる人生にはなりません。生きた学びでなければ、生きた学びをしている子には勝てません。生きた学びとは遠い所にあるものではないと考えます。手元にあるものです。
私は40年をかけて生きた学びと仕事を見つけました。それは本当に何気ない身近な所にあるものです。それは残念ながら背伸びをしてしまうと簡単に見失います。私の仕事はアーティストです。そして私の遊びは絵の具弄りです。私の絵の具弄りは家でほぼ監禁状態で閉じ込められていた時に勉強なんか1分もしないでずっと粘土を弄って遊んでいた事からきています。人間は何もしなければ死んでしまいます。だから閉じ込められていても、何かしてしまうのです。そのような状態から自然と溢れ出たものが、私にとって生きた物事です。
何の因果か、親の希望に反して、私はアーティストになりました。皆さんも気をつけなければ、子供や生徒がアーティストになってしまいますよ。それは嫌でしょうから、皆さんお子さんをめいいっぱい遊ばせてください。
続く
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