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貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,3「貧困パワハラと地名がわからない幼い頃私の育った町と私の実家の墓はただの石っころ」

私は以前の職場でリストラとリストラする為のパワハラを経験しました。「根回し」という言葉が好きな上司から私を退職に追い込む為のパワハラを毎日のように受けます。パワハラは恥ずべき行為だな〜とは思いますが、それを攻めることに興味はありません。でも、私の受けたパワハラは貧困層の人間が受ける貧困パワハラなので、貧困の問題を考える上での良い材料になるのです。パワハラの文句は問題提起にそのまま置き換えられます。

貧困を具体的にどう抜けるか。これからの日本が超えなければならない課題
だと考えています。その処方箋は貧困の実情を具体的に知らなければ出せません。個々の状況に合わせて細かく処方するべきです。

因みに私には基本的に根回しという概念はありません。好きな言葉は「強引」です。私が強引に出した結果を依代に生きて、私の力が弱まった機会を狙って「根回し」して私をリストラに追い込む。
人を陥れて自分の身を立てる生き方は私は好きになれません。でも、当時の職場では私以外は全員「根回し」にのっていました。「長い物には巻かれろ」はよくある話でしょうが、私はそれでも「強引」というこだわりを捨てることはありません。私はリストラの後同じ業種で起業しました。お陰様で今があります。皆さんも「長いものに巻かれる」ことが本当に自分にとって得なことなのかよく考えてください。

彼は実力はなく、結果も出せずに長年隅っこにいて、「根回し」で狡猾に生き残ったタイプでした。結果がテコでも出せない分、「根回し」に心血を注ぎます。そうした生き方が私とは完全に反りが合いませんでした。それが良くわかっていたので、彼の度重なるパワハラは私の胸に刺さることは一度もありませんでした。でも、半分言っていることもわかりました。そして、世の中の皆さんにも、それは同じような懸念として認識して頂いた方良いことだと考えています。彼の目は社会の目でもあるのです。
彼の言葉は富裕層が貧困層に歌うパワハラの文句として言い換えられます。懸念は皆さんご承知の通り、格差、低所得、少子化、消費税、授業料などの問題です。

「貧しさ」からくる問題は我が家に限らず、これから同じような状況に陥るご家庭はますます出てくるように思います。後で話しますが我が家のようなお墓はこれから増えてくるように思います。特に私は50ですが同世代の人間が高齢になった後に亡くなった後そうなる人が大勢出てしまうように思います。

彼には色々と言われましたが、ここで上げたいのは2つです。
1つは結婚式を挙げるかどうか、それと貧しい家庭で生まれると勉強ができない。という理屈です。


まず結婚式を挙げるかどうかの前に結婚そのものについて。
私はもうすぐ50ですが、我々世代は家庭を持っていない人が多いです。遊びたいという人もいますし、家庭に疲れて良いイメージがないという人もいます。実際に貧しい状況の方の多くが結婚をしない生き方を選んでいます。貧しい状態で結婚したとしても貧しさが原因で別れ、シングルマザーになる家庭も多い。
つまり、結婚を選択できる世の中を作ることが今の日本の課題だと思います。

そして、もう1つは「学び」これは私の仕事が予備校講師なので生徒のご家庭の収入状況がよくわかります。すると残念ながら生徒の偏差値が高いほど親御さんの年収は高いのです。経済的な余裕がないことによる学びづらさというものは、生きづらさと直結しています。私が学んできた貧困層の中では全身で感じてきたことです。これについても社会の皆で考えていって欲しいと思います。私が皆にお話しするべきは、これをどう抜けるかです。貧乏人の私でも学び抜けることができるのです。


彼は親が医者だったそうです。そして私が貧しい家庭の出であることを知っていたので、耳打ちするかのように「貧乏だと勉強できないだろ、家に余裕がないと勉強はできない、俺の父親は医者だったけど、お前は違うな」と諭すように言いました。それを聞いた時はこんな人格の人物が学校のトップにいることは問題だけど、経営者と利害は一致しているし、蜜月の関係なので、ここでは仕方ないか‥と割り切りました。表からは見えない学校の姿です。

彼の言っていたことは半分正論です。でもそれの真偽は皆さんそれぞれの判断に委ねます。私は半分正解だと受け止めています。


まず、彼のいった言葉「結婚式を上げていない夫婦は必ず別れる」
これは私がその職場に勤めていた時に結婚して、結婚式を上げなかった為に、耳打ちするかのように彼に言われたことです。下でお話ししますが、なるほど、私の家庭は結婚式を上げられるような家庭ではないので、必ず別れるという話にも理解できます。

前回vol2の話は私が広島の福山で生まれた時の話をしました。その後のお話をします。

私は広島県福山市で生まれ、広島市に引っ越し、それから岡山に引っ越した時に最初の住んだ場所は確か、なのかいちだか、なぬかいちと言ったと思います。どちらだったか親からキチンと教えてもらったことはないので定かではありません。写真もありません。普通なら写真なり、日記になりで思い出を紡いでおくのですが、貧困層の家庭ならではで、両親には心にそのような余裕はありません。もしかしたらフイルム代もなかったのかもしれません。そう言えば、当時の話で、生活費が底をついた時に私が畳の隙間に小銭を入れて遊んでいたのを思い出して、畳を剥がしてみたら、やはり小銭が入っていて、私が食べるパンくらいは買えるのでそれで私にパンを買って食べさせたという話を聞いたことがありました。なので、よく考えてみたら、そもそもカメラがあるはずないですね。アルバムもなかったんではないかな。どちらも買えなかったと思います。結婚するために家出をして、私が生まれて、というと多分私がお腹にいたので、家出をして、結婚に踏み切った‥ということかもしれません。そうだとすると尚更お金はないですね。悲しいかなうちの両親にそれを私に説明するコミュニケーション能力はないのです。

普通のご家庭、というか中所得以上の安定した収入のあるご家庭というべきでしょうか、普通は家族で旅行に行く機会はあるのではないかと思います。低所得の我が家では、父の口癖「貧乏暇なし」というように、一度も旅行はしたことがありません。父からはたまに京都の実家の話をされました。私の家系は元々九州ではなく京都の人間。それで一度は京都の親戚の家や墓参りに行かなければならないと私に説教をしていました。幼い頃から度々説教されていたので、私が40の頃に父の首根っこを掴むかのように無理やり車に乗せて京都まで行かせました。父はそれ程出不精で、口では偉そうになんとでも言える、でも私を一度も旅行になど連れ出したことはない口先だけの人でした。京都に行くと祖母の墓がありました。祖母の墓は本当にその辺りの直径30cm程度の大きさの石を置いているだけです。石が置いてあるのはお墓には見えづらいちょっとした土の斜面のような場所です。そこに石が4つ程度ありました。よくテレビで見るような場所にある墓石ではないので眼を疑いましたが、でも、貧困層の我が家ですから、程なく納得はいきました。でも、そんなお墓は多分、他にはないのではないか?と思います。聞いたことはないですね‥。生まれてこの方そこ以外にそんなお墓を目にする機会はありません。親戚と称する家に訪ねてはみましたが、家に上げてもらえるような親戚は1つもありません。アポも何もないので当然ですね‥。ついでに父の小学生の時の家を見に行きました。平家の小屋のようなバラックです。改めて自分が貧困層の生まれだということが良くわかりました。

因みに私は私が死んだ時にはお墓は作らないつもりです。我が家は完全に父も母も私も絶縁していて関わりがないので、私はどこの家のお墓に入るというわけではありません。親不孝と言われるかもしれませんが、駐車場のような場所の縁の剥き出しになった土の斜面に石っころを置いただけの墓に一緒に入る気にはどうしてもなれません。それに、そもそも祖母とは一度会ったことがあるだけで、「こんにちは」程度の挨拶を交わしただけで会話はしたことがありません。仮に同じ墓に入ったとしても、話すこともないし、相手も生前私と関わることは避けていたわけですから、向こうにとっても同じ墓に入られることは迷惑です。普通は子や孫に愛情は持ちますが、私の祖父母と両親においては例外です。残念ながら貧困層にはそのような家庭は多いと思います。普通のご家庭の方にはご理解頂けないかもしれませんが、経済的な余裕がなければ愛情もわかないのです。つまり貧困の中では家庭に愛情が芽生えない場合があります。なので彼が結婚式を挙げていない夫婦は別れると私に婚姻届を出した数日後に言ったことはあながち間違いではないのです。それは親子でさえも例外ではありません。妻には私とではなく、妻の実家のお墓に入るように話しています。私はお墓はいらないので、近くの川、荒川と利根川があります。その川のどちらかに捨ててもらうように話しています。川がダメなら海で‥。私は妻の実家とも、父の実家とも、母の実家とも仲は悪いです。穏やかな言い方をすればそのような表現になりますが、特に父と母には憎悪というのが近いでしょうか、そのような感情を抱いていますので、死んでから同じ墓に入れられるようなことだけはやめて欲しいと考えています。死後の世界に法が無ければ積年の恨みから殺し合いになることは間違いありません。

父の口癖は「貧乏暇なし」ですが、旅行の暇は実際にはあります。父が行けなくとも、母と私で行けば良いのですから。でも、実際に母と私で旅行に出かけられなかったのは、そのようなお金の余裕は全くないからでした。行った思い出があったとしてもバスで行けるような範囲です。後、日帰りでも家族3人でどこかに行った記憶はありません。あ、でも、小学校1年か2年の時に日帰りの社員旅行に2回参加したことを覚えています。あの時の栗拾いは楽しかったです。私の家族の唯一の旅行の思い出です。もう1つの旅行は梨狩りでしたが全く思い出せません。家族旅行の方は、3人だとお金がかかるからか、もしかしたら、父と母が一緒に出かけることが嫌だったのかもしれません。父とどこかに出かけたのは日帰りで当時片道百円程度で行ける島に2度行ったくらいです。父はというと休みの日はお金を使わないように私たちと絡まないようにしていました。それで、まあ、父は何かしら外で遊んでいたのだと思います。私たちと絡むと小遣いが減るということだと思います。よく喫茶店で見かけましたから多少の小銭は持っていたはずです。あ、それとパチンコ屋の景品をよく貰いました。パチンコといえば記憶にはないですが、私が小さい頃私にパチンコを打たせて大儲けしたことがあったらしいです。

続く


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