貧困ぬけ〜貧困層を抜けた人の話〜vol,8「貧困層の慎ましい家庭は、奢らず、前に出ず、人様を立てて生きています。 おとなしく服従されることの美学を教育される。 どんなに苦しくても如何にいい子で辛抱していられるか?私は30年絶えました。そしてやめた。あなたはどうですか?」
私はかすかに幸福感を覚えています。
小学校2年生の時に岡山にいた時です。
あの頃はまだ幸福感を感じることがあった。
それから、九州の小倉に越して以来、未だにあの頃までの幸福感を感じることができません。
思えば岡山にいたのは私の人生の中でたったの2年です。
つまり、私が本当に家庭の暖かさを感じて、家族の幸せを得ることができたのはあの2年しかないのです。
今、50目前にして、やっと少しづつ幸福を得るようになってきています。
それでもまだ子供がいませんが、なんとか人並みの幸せを手に入れようとしている所です。
私の死んだ心を作ったのは、家庭です。
心を殺すのは、人を服従させ、押さえつければ良いのです。
絶対に逆らえない状況に追い込めば、追い込まれた人間は生きぬく為に心を捨てます。
心を捨てた人間は意思を持たない奴隷になり下がります。
人間は奴隷ではない。
わざわざ声を大にして言うようなことではありませんが、私は言わなければなりません。
私のような「奴隷」を生まないようにする為に、私の立場だからこそ言えることがあります。
それは私が美術の世界の人間であること。
美術の技芸はかつて奴隷のような労働によって身につけさせられたものでした。
その名残がまだまだ抜けない。
アニメの世界を見てください。
よくわかると思います。
奴隷の余韻のある教育の世界では図画工作の授業の内容は矛盾だらけです。
前提として奴隷のような技芸の指導があった美術のそれを避けることから端を発した図画工作は技芸に触れられない為に全く技術が身につかない。
学校の図画工作と美術の授業を受けても誰も技芸を高められない。
それは美術において相変わらず技術指導が奴隷に課すようなことと考えられているからです。
技術は感覚を潰し、視野を狭くし、個性を潰すものだと考えられています。
そして最近まで技芸を学ぶ際には奴隷のように後ろで罵倒され、激昂されながら馬車馬のように絵を描かされる悪き指導が行われていました。
これについては改めて詳しくお話しします。
別口で優しく、面白く指導して技芸が身につく指導方法も話さなければならない。
これについてはHP (kumabi.com)の天才育成計画で行います。
もう1つ私の立場で言えることは、貧困層の生まれ育ちであること。
貧困層の家庭が如何に抑鬱された状態にあり、どのように抜ければ良いか私の立場から話さなければならないと考えています。
貧困層の慎ましい家庭は、奢らず、前に出ず、人様を立てて生きています。
同時に貧困層の家庭では、おとなしく服従されることの美学を教育されます。
どんなに苦しくても如何にいい子で辛抱していられるか?
同じように教育されながら我が家では、親に殴られ、いびられ、冷やかされる不快な毎日を送ります。我が家にあったのは父と母双方の支配欲です。
つまり、自分たちは本当は前に出たいのです。
その為、我が家は貧しいながらも楽しい我が家とはいきませんでした。
貧困層で真面目に貧困を受け入れ低賃金で働く家庭には服従の美学があります。
そして、服従の美学を徹底的に教えられます。
逆らえば良くない。
どう良くないかも良くわからず、従わなかった時のことは未知の世界です。
結論を先に言います。
勇気を出して未知の世界に飛び出して良い。
間違ったことに無理をして耐え続ける必要はありません。
本当に清貧で、家族が毎日笑える家庭なら良いでしょう。
笑っているのは父親だけ、子は冷やかされ、いびられ毎日仏頂面で生きている。
そのような家庭は実は終わっています。
我が家を見て下さい、案の定崩壊しました。
我が家は毎日本当に辛く、鬱屈していました。
幸福感を感じたことはない。
それが当たり前だと思っていましたが、今ははっきりと間違いだと断言できます。
誰でも幸せに生きる権利がある。
笑顔で生きる権利がある。
笑う権利があるのです。
奴隷のように生きなければならない人間はこの世に1人もいない。
よく社会では人を雇用や進学などの弱みに付け込んで支配し、奴隷と勘違いしてこき使ったり、絶対服従させて、都合のいいようにコントロールし、そのコミュニティーの中で吐き捨てたり、拾ったりする輩がいます。
吐き捨てたり、拾ったりすることで、相対的貧困のこの日本でも、絶対的貧困の国、例えばインドのカースト、アフリカの奴隷制度のような、型を作り、絶対服従の奴隷を生み出すことは可能です。
例えば、企業では、クビになる恐怖感を利用すれば、どれだけ安い賃金でも、いくらでも働くブラック企業の奴隷が完成です。
過労死するほどまでに見えない糸で縛り上げて過酷な労働をさせるこのケースは奴隷となんら変わりないと考えます。
奴隷を作るのは簡単。
首を切る所を見せしめに見せればいいのです。
さて、問題はこれをどう「抜けるか」です。
奴隷が生まれるのはブラック企業だけに限りません。
教育の世界にもあります。
家庭にもあります。
日大ではアメフト部が部員を服従させて、相手チームに怪我を負わせる傷害を起こさせました。
大学に限らず部員を服従させる部活は小学校、中学校、高校にもあります。
教員の中には生徒をコントロールするために部活があると考えている方もいます。
東須磨小学校では、カレーを女帝と化した愚かな女性の教員が服従させた先生の目に突っ込みました。
教員は指導者です。
指導者は人を動かすプロです。
そのプロの手法を誤った使い方をしてしまえばこのような事件は起きます。
教員の質は様々です。といわざるを得ません。
この女帝が象徴しているのは、「可愛がる」という言葉を発している所です。
この「可愛がり」に「奴隷抜け」の道が見える気がします。
服従されている人間は弱みを掴まれています。
弱みを見せている人間の弱々しさを見て、愚かなこの女帝は自分が強いと錯覚し、弱い人間を生かしてやり、自らの特権によって、奴隷が生かされていると錯覚しながら、自分によって生かされている奴隷は自分の言うことならなんでも聞くべきだと勘違いしてしまいます。
勘違いしてしまった人間は、善悪の判断がつきません。
相手が苦しんでいるのがわからず、相手はただ、これ以上追い詰められるのが嫌なので、敵意を隠し、好意があるように見せかけて、嫌がっているそぶりを見せていないだけで、喜んでいるふりをし、これ以上刺激しないようにへりくだっているだけなのに、そのへりくだっている姿を見て、喜んでいると思ってしまう始末です。
東須磨小学校の愚かな女帝は、「可愛がっていた」と発言しました。
なら、自分が同じ目に会っても、心から嬉しいんだな?
お前も同じ目に合わせてやろうか?
と思ってしまいます。
やりませんが、もし、やったとしたら私はこの女帝にこう言います。
「笑え」
可愛がってもらって楽しいし、嬉しいんだから
「笑え」
我が家でも同じことがありました。
私の父は私のことを散々いびりました。
事あるごとに冷やかす。
私の中には長年植えつけられた論理がありました。
「親には絶対に逆らってはならない」
これは私の両親が長い年月をかけて私に刷り込んだものです。
これを打ち破ったのは家の外に出て、学校や社会で常識を学んだからです。
どこの社会でもこれほど人をいびる大人はいなかった。
それでも、打ち破るのには刷り込みの倍以上の年月がかかりました。
打ち破ったのは40を過ぎてからです。
私が大人になり、大人の目線で見て、あまりにも多くの親のおかしな点が見えてきた。
それで、目にあまり、打ち破りました。
あまりに、いびり、冷やかすので、制止しました。
その時に彼が言ったことは
「面白いやん」
でも彼の目はまったく笑っていませんでした。
彼は弱い人間です。
それ以来全くいびり、冷やかしはできません。
愚かな絶対的支配者が脆くも崩れ去った瞬間です。
同じように、日大アメフト部の愚かな監督。東須磨小学校の愚かな女帝も間違いなく弱い人間です。
つまり、誰もが「奴隷」でいる必要はないのです。
相手は大したやつではありません。
打ち破ってください。
報復する必要はありません。
毅然とした態度で制止して下さい。
その後私の家庭は崩壊しました。
あなたが職場や学校でそれをしたら、そこを辞めなければならないかもしれない。
でも、人生はそこで終わりではないのです。
心が折れて生きていくよりも、毅然とした態度で強く生きた方が明るい道が開かれます。
「奴隷抜け」して下さい。
同じことは日本の低所得の問題にもあります。
誰かが自分の都合で考えたおかしな論理が日本にはあります。
親の言うことは絶対。
上司の言うことは絶対。
先生の言うことは絶対。
これらは絶対服従の主従関係を作るための言葉です。
親、上司、先生は神ではありません。
神ではない人間は過ちを犯します。
その為、親、上司、先生の言うことが絶対ということはありえない。
親、上司、先生が間違っていたら、それはすぐに指摘して構いません。
親、上司、先生が本当にあなたのことを考えている人なら指摘を快く受け入れるでしょう。
あなた自身にとって最も大切なものは「あなた」です。
本当にあなたのことを思っている、親、上司、先生はあなたを服従させません。
あなたを尊重し、自由を認めるはずです。
あなたの親、上司、先生が本当に立派な人間なら、あなたを慰みものにする必要はありません。
あなたをいびる必要は全くない。
あなたがいびられる必要も全くない。
日大アメフト部の監督、東須磨小学校の女帝は、おそらく自分の行いを隠蔽できると踏んでいたので、愚かな行為に及びました。
反発されないだろうと計算して及んでいるはずです。
今でもどこかで同じようにバレないと思って愚かな服従を強いている輩がいます。
それを無くすのはあなたがそれを制止することです。
反発はして構いません。
反発してください。
できればこんなに大きな問題になる前に反発して彼らのようなモンスターが育たないようにするべきです。
日本中で皆んながNOと言えばこの世からモンスターはいなくなるはずです。
貧困層の人間の多くは、権力者に虐げられて生きています。
権力は金です。
金をすぐに生み出すことができなくとも、そのもとになる「学び」は今すぐにでも始められます。
何も誰もが大学受験をしなけれなならないと言うわけではありません。
受験に必要な教科を全て学ぶことが無理なら1教科でも良いと思います。
スポーツでも散歩でもなんでもいいです。
私の場合は美術でしたが、突き詰めれば必ず食べていけるようになります。
何かを依代にしなくても良い生き方が「学び」の先にあります。
続く
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