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20歳のわたしの「死」についての思考【希死念慮】【ジャーナリング】


わたしは、今年度21歳になる、20歳の女子大生です。

そして、約5年間、「死にたい」という感情と闘って生きてきました。今もです。

まだまだ人生の先輩方に比べたら短いですが、
20年を生きたうちの5年間なので、
この人生における4分の1を自分と闘いながら生きてきた、生きている、ということです。
(数字にしてみると自分でも驚きました。)

毎日のように嫌でも私が考えてしまう「」について、感情と共に整理したくなったのでまとめてみます。

また、
このように感情などを整理するために書いたりする行為を「ジャーナリング」といい、
効果の一部として気分や感情の改善に繋がるそうなので挑戦しているわけです。

さて、本題です。

嫌でも考えてしまう「」というのは、
よくあるような、いつか死ぬのが怖いことでも、
死んでしまったあとの世界が怖いのにそれを考えてしまうことでも、ありません。

嫌でも「死にたい」と、思ってしまうのです。
「死にたい」という感情だけが、わたしを支配するのです。

わたしは何故か、さっきまでポジティブな感情でどちらかと言えば楽しかったのにいきなり鬱感情が襲ってきて胸が苦しくて心が押し潰されそうです。

これを治す為ならば、わたしはどんなことでも出来るというくらい、辛くて苦しいのです。

わたしは自分の心と闘っているのだ。と実感しながら、
何故、“自分の”心なのに、それと闘わなければいけないのか、
わたしはわたしである自分のことが何故、一番理解できないのか、
と、きっと答えの出ない問いに思考を巡らせる日々です。

他人の心を読み取る、というか想像する、理解するようなスキルには自信があります。
気を遣ったり、盛り上げたり、空気を読んだり、場を和ませようとしたり、立てるべき相手を立てたり、
それによって誰かに感謝されることも多い気がするのに。

何故か、自分の心のことはわからない。
だから、ずっと闘っているのです。

現在進行形でこの記事を書きながら感情の整理をしているので、よく分からない書留になってしまいそうですがお許しください。

できるだけ前向きなことを書くように意識して書いてみます。


何故「死にたい」のか、「死にたい理由」とは

これに簡潔な一つの答えを導き出せるなら、
誰も悩んだり苦しんだりはしていません。

なぜなら理由が明確であるのならば、
きっとその原因を解決するか、その問題から逃げればいいだけだからです。

だからもしあなたの「死にたい理由」が明確であるのなら、それを解決するか、解決出来ないのなら逃げるべきだと、わたしは思います。

簡単に逃げることが出来ないのは、
わたしももうしみじみと理解できています。

わたしも逃げることは悪いことだと思っていたし、
それでも、いざ逃げようとしても
それを引き止めてくる障害があったからです。

逃げられない原因として、例えば、
逃げる」ことで周りに迷惑をかけてしまうとか、発生しなくていいコストが発生してしまうとか、誰かを悲しませてしまうとか、失望させてしまうかもしれないとか、逃げることで何かマイナスな事実が働いてしまうから。

ですが、それはあなたが「死ぬ」以上にマイナスなことでは絶対にないはずです。
(そういう考え方が自分は限界だと出来ないので、自分にも今、そう言い聞かせています。)

話が少し逸れてしまいましたが、
きっと訳もわからず死にたいわけでもなくて、
何か抽象的にでも言えることがあるはずだと思うのです。

例えば、人間関係における悩み、将来への不安、自己嫌悪、生活の不安定、環境の変化、疲労、体調の悪化などです。

もしあなたが「死にたい」と思っているのなら、
どれが理由に当てはまるでしょうか。

わたしは、とても周囲に恵まれているので、
人間関係における悩みはほぼ無いと言えるものの、
それ以外の全ての例は心に突っかかっていて、
死にたい原因」に繋がっている気がします。

でも原因と対処法が完璧に明確ではないから悩んでいる訳で、わたしもそうです。

ただ、今再びしっかりと考え直して、
一部ですがその原因を少しでも改善するものを
見つけて、心が少し楽になりました
(具体的にいうと、疲労の改善です。今月はシフトを詰め込み過ぎていたので、9月後半はシフトを減らして楽になった想像をしました。お金の面で厳しくなりそうですが、節約術の考案なんかを楽しんでみようと思います。)

このように、
死にたい理由」「死にたいまでに繋がる悩みの根本」を少しずつ減らしていくことで、
心が楽になるのではないかと思います。

わたしも簡単にできていたらこんな風に毎日死にたいだなんて思っていないし、
そもそもそれが、絶対に希死念慮の解決に絶対に繋がるとは言えないかもしれないし、
悩みの原因の捜索と改善もとっても難しいことだとはわかっていますが、
ゆっくりと模索し、頑張っていこうと思います。


わたしが死ぬことで発生する影響

何故死にたいと思うのか?という問いに繋がるのですが、
人は何故その行動を取りたいと思うか、というとき
その行動によって得られるメリットが、
デメリットを上回ると考える為ではないでしょうか。

わたしも、死ぬことにデメリットよりもメリットを感じるため、
わたしは死にたいと感じて毎日を過ごしているのです。

わたしが感じる、死ぬことで得られるメリットといえば、「苦しい現実から解放される」というのが
1番大きいと思います。
恐らくこれは多くの方が同じだとも、思います。

現実がとても苦しくて辛くて、怖くて、逃げたい。
この先、生きていく勇気も希望もない。

そうなったら、「死にたい」と思ってしまうことは、痛いほどよくわかります。
わたしも現にそう思ってしまっています。

でも、考えてみました。
死ぬことによるデメリット」と「本当に『死』にしか逃げ道がないのか」をです。

まず、「死ぬことによるデメリット」から考えてみましょう。

まずありがちな一つの答えは、家族や友人、周囲の大切な人間を苦しめてしまうことです。

もしかしたら、自分が死ぬことで、
自分がいま体験している以上の苦しみや悲しみ、
絶望感や喪失感、失望感、辛さを、
わたしやあなたの大切な人が感じてしまう未来になってしまうかもしれない。

そして自分と同じ「死」の道を辿ってしまうかもしれない。

そう考えたら、
「もう少しだけ耐えてみよう」または「休んでみよう」と少しは思えるような気がします。


次に、「本当に『死』にしか逃げ道がないのか」です。

これは先程すこし述べてしまいましたが、
死にたい理由が明確であれば、
それに繋がる原因を改善、排除すればいいのです。

それは抽象的でも構わなくて、
例えばもし自分が自己嫌悪に苦しむのなら、
「開き直ってみる」ことをしてみようと思考しました。

かく言うわたしも、
毎日毎晩、自己嫌悪に襲われており、気持ちよく眠れたことがほぼ無く、と言うか眠れず、
そのせいか悲観的な考え方しかできないような精神状態になっていると思います。
夜は、考え方が悲観的になりがちだからです。

だから、「死にたい」と考えてしまっています。
「死」にしか、ここから逃げる方法はないと。

ただ、自分の嫌な部分を実感した上で、
「まぁこれもわたしの性格か。」
と思えたら心が楽になりそうですよね。

そんなことを言っても、思考や考え方を変えるということはとても難しいことで、
わたしはまだこう思えていません。

きっと今日も自己嫌悪に襲われる夜とまた戦います。

けれど、今日から、少しずつでもこう思えるように
思考の改善を試みてみようと思います。


ここまで、「死」に対するわたしの思考を
だらだらと書いてみました。

ただ単に「死にたい」と思うより、
自分の状況を客観視すること、
「死」について、自身の感情だけではなくて、深くまで思考してみること、
またこうやって書き出してみることで、
文章にまとまりはなくても、感情の整理には繋がったと思います。

また、明確な改善策とは言えずとも、
ここ最近自分がそろそろ限界だと感じる程に
「死にたい」で支配されたわたしの脳内に
少し希望が与えられたような、
そんな気がしました。


もし、あなたがわたしのように希死念慮が酷く、
「死にたい」という感情でいっぱいになってしまうことが多いのなら、
ジャーナリング」という行為はあなたを少し楽にしてくれるかもしれません。

では、ここまで読んでくださった方に、
ありがとうございました!

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