若冲と一村 時を越えてつながる:2 /岡田美術館
(承前)
田中一村は、伊藤若冲より200年ほど後の時代を生きた新しい人だが、残っている作品となると、数は少ない。
一村といえば、奄美の絵。
一村が奄美で暮らしたのは昭和33年(1958)から同52年に没するまでの20年に満たない期間で、その多くを大島紬の工場での労働や闘病に費やし、絵に専念できた時間はほんのわずか。奄美での作、さらには着色の本画となると、若冲の着色画に引けをとらないくらい稀少だ。
本展では、岡田美術館が所蔵する奄美の着色画2点が、若冲の絵と対置されていた。
1点めは《白花と赤翡翠(あかしょうびん)》。
下向きに花をつける「白花」は、キダチチョウセンアサガオ。「エンジェルストランペット」「ダチュラ」の別名で知られる。
「赤翡翠」は字面のとおり、カワセミの赤いバージョン。奄美では、人里にも現れる身近な小鳥だとか。
この絵に描かれた情景が、人里近くのものかはわからない。
どちらかといえば、山深くに分け入ってようやく見つけられるくらいの、隔絶された場所のような気がする。画面を覆いつくす「閑けさ」が、そういった思いをいだかせるのだろう。
こうした一村の奄美の花鳥画を観るとき、わたしの胸に去来するのは「寂寞」「寂寥」である。
熱気や生気といったものが南国のステレオタイプなイメージだとすると、まるで正反対だ。
モチーフこそトロピカル感あるものが好んで選ばれるが、そうであっても、画面全体から漂ってくるのは、一抹の寂しさだと思う。
そして、その寂しさゆえに、ただ「カラフル」で「きれい」な絵とは一線を画す、陰翳をたたえた画趣が生まれているのではないだろうか。
《白花と赤翡翠》によく現れているように、一村が重きを置いたのは、自然の営みを写実的に描くことよりも、理想化された装飾性の高い画面をつくりあげることにこそあった。
本作の着彩はベタ塗りに近く、平面的な描法がとられているが、6年後に描かれたもう1点の着色画《熱帯魚三種》では、装飾性の追求がさらに進められている。
南洋の、きらびやかな鱗をまとった魚たち。その色合いには、きわめて繊細なグラデーションがつけられている。
画像では残念ながら潰れてしまっているが、岩絵具に特有の粒子状の質感が、このグラデーションの表現に一役も二役も買っている。一村の技術の高さがうかがえると同時に、より複雑で高度な装飾性の模索と成功の跡が認められる。
このような装飾性の追求ぶり、さらにはどの作品にも横溢する高潔な緊張感といったあたりは、たしかに、若冲に通じるものが大いにある。
活動した時代が大きく違っても、同じ展示室内に並べられてよく調和するのは、そういった共通性ゆえなのだろう。(つづく)
※《熱帯魚三種》の添え書きには、描かれた魚に関して「酢味噌をつけて食すと美味」といったことが書かれていた。この絵には、一村の「うまそう」「早くありつきたい」という眼差しもまた、込められているはずだ。
※色紙の着色画も数点。さらっと描かれがちな形態ではあるが、一村は色紙でも本気。しっかり、描いている。紫陽花の図は、トリミングにみえる構図感覚のよさと、雨を含んだとおぼしきうるうるとした花弁にご注目。
※「蔵の街」として知られる一村の生地・栃木県栃木市に「栃木市立美術館」が新たにオープン。開催中の記念展では、一村の最高傑作とされる《アダンの海辺》(個人蔵)ほか、着色画が多数出品されている。
※一昨年、千葉市美術館の一村展の感想。
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