美術館とお寺と猫

ミュージアムと古社寺と猫の「さとる」。2024年9月、首都圏から奈良へ移住しました。

美術館とお寺と猫

ミュージアムと古社寺と猫の「さとる」。2024年9月、首都圏から奈良へ移住しました。

マガジン

最近の記事

茶の湯の堺 〜利休と桃山陶〜/堺市博物館&さかい利晶の杜

 大阪府堺市は、千利休の出身地。その師である北向道陳や武野紹鴎も、やはり堺の地で活動した人物だ。  茶の湯の大成者を堺が輩出できた背景には、日明貿易や琉球貿易、朱印船貿易により巨万の富を築いた大商業都市としての姿と、その担い手となった町衆の豊かな文化的素地があった。町域には環濠がめぐらされ、全国有数の自治都市として戦国の世に大きな存在感を放っていた。  いっぽうで、堺は幾度も災禍に見舞われ、上から土をかぶせて整地を繰り返してきた。そのため地中にはミルフィーユ状の層ができ、出

    • 仁徳天皇陵と近代の堺 /堺市博物館

       世界最大級の墳墓といわれる、大阪府堺市の仁徳天皇陵。その目の前にある堺市博物館で、古墳の「古代」ではなく「近代」にスポットを当てた展覧会を観てきた。  まずは「古代」について、常設展でお勉強。仁徳陵をはじめとする世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」に関する展示がたいへん充実している。さすが、お膝元。  堺市博の展示空間はU字形をなしており、左半分が常設展示室、右半分が企画展示室。区切りらしい区切りはなく、そのまま企画展に入っていった。  さて、みなさんは「天皇陵」というもの

      • 木津川の古寺巡礼:5 旧燈明寺・現光寺

        (承前)  浄瑠璃寺の門前から再びバスに乗り、山中を抜けて、木津川沿いの盆地まで下りてきた。JR加茂駅前で下車、徒歩10分。橋を渡れば、旧燈明寺である。  じつは、木津川巡礼の最大の目的地こそ、この旧燈明寺。岩船寺や浄瑠璃寺、比較的近い海住山寺や恭仁京跡には来たことがあるものの、旧燈明寺は念願叶って初訪問である。  燈明寺の創建は、奈良時代とも平安時代ともいわれる。近世までに荒廃と復興を繰り返してきたなかで古記録が散逸し、詳しいことがわからなくなってしまったのだろう。明治

        • 木津川の古寺巡礼:4 浄瑠璃寺・下

          (承前)  浄瑠璃寺の諸像のなかで、最も高い人気を誇るのが《吉祥天女立像》(鎌倉時代  重文)。まずは上のリンク先から、画像でしかとその美を堪能いただきたい。  堀辰雄「浄瑠璃寺の春」のみならず、吉祥天さまを慕って浄瑠璃寺を訪ねる人もまた多い。公開は春と秋、年始に限られており、この期間を狙って、こぞって人がやってくる。  わたしもじつは、そのひとり。「浄瑠璃寺へ行くなら、吉祥天は外せまい」というわけである。  吉祥天は中尊の左前に、厨子に入った状態で公開されていた。長らく

        マガジン

        • 工芸
          206本
        • 奈良
          88本
        • 古寺巡礼
          181本
        • 33本
        • 日本近代絵画
          239本
        • 日本絵画(近世まで)
          198本

        記事

          木津川の古寺巡礼:3 浄瑠璃寺・上

          (承前)  岩船寺のご本尊は丈六の《阿弥陀如来坐像》(平安時代  重文)であり、周辺の石仏には阿弥陀さんが多い。  当尾(とうの)の里には、浄土信仰の長い歴史がある。その中心こそが、浄瑠璃寺であった。  堀辰雄の随筆「浄瑠璃寺の春」によって、浄瑠璃寺を知る人は多い。馬酔木(あしび)咲く古寺を、夫妻が訪ねる……ただそれだけといえば、それだけ。わたしも高校の現代文の授業で触れ、あこがれを強くしたものだ。  堀は文章のなかで、2度も「平和」という語を使っている。昭和18年(1

          木津川の古寺巡礼:3 浄瑠璃寺・上

          木津川の古寺巡礼:2 当尾・石仏めぐり

          (承前)  岩船寺門前の集落から、山へと分け入っていく。  ここ当尾(とうの)の里をかつて訪れた際、浄瑠璃寺から歩いて岩船寺まで登り、帰りは一部ルートを変えつつ引き返して、大小の石仏をあらかた拝見した。そのときの往路と同じ道を、今回は下っていく。  一本道で迷うようなことはないし、長くもキツくもない道。「登山」という表現はおろか、「ハイキング」すら怪しい……どなたさまにも、散策に好適な道である。  唯一、息を切らして登った記憶のある急勾配の石段すら、きょうは下りだ。軽快に

          木津川の古寺巡礼:2 当尾・石仏めぐり

          木津川の古寺巡礼:1 岩船寺

           京都府の最南部=「南山城(みなみやましろ)」には、魅力的な古刹・古仏が多く、大和国とはまた違った、かといってオーバーツーリズムの京都市内とはもっと異なる空気が流れている。  恒例の「秋の特別公開」に合わせて、奈良市のお隣・京都府木津川市内の4つの古寺をまわってきた。  越県とはいっても、岩船寺(がんせんじ)や浄瑠璃寺のある「当尾(とうの)の里」までは、近鉄奈良駅発のバス路線が至便であった。どうも廃止されてしまったらしい……かろうじていまの時期は「お茶の京都  木津川古寺巡

          木津川の古寺巡礼:1 岩船寺

          生誕140年記念 石崎光瑤

           美術館でときおり見かけて、ちょっぴり気になる存在だった石崎光瑤(こうよう  1884~1947)。  花鳥画をよくし、富山の福光に作品がまとまって残っている日本画家……というくらいの前知識しかなかったのだが、このたびの大回顧展を拝見して、これほどエピソードに事欠かず、かつ、それに見劣りしない輝きを放つ作品を残していることに、たいへん驚かされた。  富山県南砺市(旧・福光町)に生まれ、12歳のとき山本光一に師事。光一は酒井抱一の系譜に連なる琳派の絵師で、このとき金沢に移って

          生誕140年記念 石崎光瑤

          平城京の町なかのお役所 -大学寮と鋳銭司- /平城宮いざない館

           奈良市平野部の中央、およそ2,500ヘクタールにおよぶ平城京の心臓部の跡地が、国営歴史公園となっている。  園内にはいくつかの施設があり、「平城宮いざない館」に関しても、詳細はともかく、存在だけはなんとなく認識していた。  このたび訪ねることとなったのは、考古の展示らしからぬ、企画展リーフレットのかわいらしいデザインに魅かれたため。  ネーミングから、ビジターセンターふうの施設だろうと勝手に想像。近場ということもあり、気楽に来館したのだが……平城宮跡にふさわしい規模の常設

          平城京の町なかのお役所 -大学寮と鋳銭司- /平城宮いざない館

          文人墨客 鳩居堂の幕末明治 /京都市歴史資料館

           便箋、葉書など、和紙を使った上質な製品で知られる鳩居堂。書道やお香を趣味とする方にとっては、より身近な老舗といえるだろう。  銀座の本店前は路線価日本一の土地として毎年ニュースになるが、店内は銀ブラついでにひやかすだけでも楽しい。  もうひとつの本店がある創業の地・京都の京都市歴史資料館で、鳩居堂とその当主・熊谷家の近世・近代を振り返る展示を拝見してきた。  京都国立博物館でも、京都府京都文化博物館でも、京都府立京都学・歴彩館でも、京都市考古資料館でも、京都市学校歴史博

          文人墨客 鳩居堂の幕末明治 /京都市歴史資料館

          美と用の煌めき 東本願寺旧蔵とゆかりの品々 /大谷大学博物館

           洛中の人びとから、親しみをこめて「おひがしさん」と呼ばれる東本願寺。その旧蔵品とゆかりの品々を特集した展覧会が、大谷大学の附属博物館で開かれている。  京都の寺院に多くの障壁画を残す京狩野派は、東本願寺とも深い関係にあった。  京狩野の2代目・山雪の《武家相撲絵巻》(江戸時代・17世紀  相撲博物館)は、東本願寺13代門主・宜如によって九条家に献上されたことが、3代・永納の識語によってわかる。  山雪は蘭亭曲水のダイナミックな襖絵を東本願寺のために描いたというが、残念なが

          美と用の煌めき 東本願寺旧蔵とゆかりの品々 /大谷大学博物館

          巨匠たちの学び舎 日本画の名作はこうして生まれた /京都市京セラ美術館

           東京からの新幹線が京都へ到着するほんの十数秒前、真新しい建築群が右側を通り過ぎる。2023年に移転が完了した、京都市立芸術大学のキャンパスである。  この移転を記念する本展では、同大学の前身である京都府画学校、京都市画学校、市立絵画専門学校、市立美術専門学校で学び、あるいは教えた日本画家たちの作品を展示する。  章立ても、校史をなぞった時系列順。  京都府画学校は明治13年(1880)開校。初代校長の田能村直入、幸野楳嶺(※《帝釈試三獣図》↓)ら幕末生まれの絵師が教師を務

          巨匠たちの学び舎 日本画の名作はこうして生まれた /京都市京セラ美術館

          多彩な抹茶の器「茶入」 /野村美術館

           京都市営地下鉄の蹴上(けあげ)駅を降りた頃は、ぽつりぽつり。  南禅寺方面へ歩みを進めるごとに雨足は強まり、野村美術館の前に着いたとたん、土砂降りに。たまらず駆け込む。  室内で聴く雨音はかえって風情が感じられるものだから、ふしぎだ。  きょうは、茶の湯のうつわ「茶入」のお勉強にやってきた。昨年は「茶碗」のお勉強。茶碗ときたら、次は茶入である。  野村美術館の展示は入門書を読み解くようで、たいへん勉強になるのだ。  こうしてノートをまとめるのもまた、お勉強。しばし、展示の

          多彩な抹茶の器「茶入」 /野村美術館

          南明寺の御開帳と、コスモスまつり 奈良・柳生

           大和路には、コスモスの名所といわれる場所がいくつかある。  奈良阪の般若寺、斑鳩の法起寺、橿原の藤原宮跡……このあたりがまず挙げられようが、阪原のコスモス畑は初めて知った。  柳生街道沿いといえば伝わりやすいだろうか。奈良市東部の山あい、剣豪の里・柳生へと至る途中に、コスモス畑が広がっているのだ。  般若寺を辞したのち、再びバスに乗りこみ、今度は奈良阪を右折して40分ほど山道を進んだ。1日5本の運行ダイヤ。無事乗ることができ、ほっとした。  阪原のコスモス畑を知るきっか

          南明寺の御開帳と、コスモスまつり 奈良・柳生

          「コスモス寺」般若寺

            「コスモス寺」として有名な般若寺に行ってきた。コスモスの季節にうかがうのは初めて。  近鉄奈良駅からバスで北上。「般若寺」のバス停を通り過ぎて、2つ先の「奈良阪」で下車した。うっかりではなく、あえてのことである。  奈良阪を越えれば京都府。大和国と山城国を結ぶ交通の要衝に、般若寺は位置している。地形をみると、両国の境界には平城山(ならやま)の丘陵が横たわっているが、奈良阪のあたりでそれが途切れ、道が通せる。この位置関係や距離感を、確認しながら歩いてみたかったのだ。  バ

          「コスモス寺」般若寺

          鹿の角きり 奈良・春日野

           大和路の秋を象徴する行事、それが「鹿の角きり」である。10月の3連休に、初めて見に行ってきた。  この連休中には、さまざまな行事がバッティング。西大寺の大茶盛式のほか、地域のお祭りも同じ日程のところが多い。秋の展覧会も続々始まっている。これらの合間を縫って、春日野へ。  春日大社の参道を脇にそれたあたりに、会場の「鹿苑」がある。3連休に1日4回ずつ、1回30分。わたしは、最終日の13時40分の回に参加した。親子連れやカップルを中心に、なかなかの盛況ぶりである。  春日大社

          鹿の角きり 奈良・春日野