美術館とお寺と猫
古社寺への巡礼記録、古社寺・宗教美術にまつわる展示の鑑賞記録
建築に関する記事。
「コスモス寺」として有名な般若寺に行ってきた。コスモスの季節にうかがうのは初めて。 近鉄奈良駅からバスで北上。「般若寺」のバス停を通り過ぎて、2つ先の「奈良阪」で下車した。うっかりではなく、あえてのことである。 奈良阪を越えれば京都府。大和国と山城国を結ぶ交通の要衝に、般若寺は位置している。地形をみると、両国の境界には平城山(ならやま)の丘陵が横たわっているが、奈良阪のあたりでそれが途切れ、道が通せる。この位置関係や距離感を、確認しながら歩いてみたかったのだ。 バ
大和路の秋を象徴する行事、それが「鹿の角きり」である。10月の3連休に、初めて見に行ってきた。 この連休中には、さまざまな行事がバッティング。西大寺の大茶盛式のほか、地域のお祭りも同じ日程のところが多い。秋の展覧会も続々始まっている。これらの合間を縫って、春日野へ。 春日大社の参道を脇にそれたあたりに、会場の「鹿苑」がある。3連休に1日4回ずつ、1回30分。わたしは、最終日の13時40分の回に参加した。親子連れやカップルを中心に、なかなかの盛況ぶりである。 春日大社
(承前) 2つめの展示室には「楽舞」に関する資料が集められていた。大仏開眼の法要で実際に使用されたものも含まれている。 開眼会のきらびやかな写真パネルを前に、展示室の中央に、彫りの深い3つの大きな顔が並ぶ。伎楽面である。 《伎楽面 酔胡従》の寸法をいま確認したところ、縦30センチ強。甚だ意外に感じている。演者が顔に着けるものゆえ、その程度ではあるのだが、彫りが深いどころか山あり谷ありで、もっと大きな印象があった。独立ケースで、角度を変えて拝見できたのはよかった。
(承前) 今年の正倉院展では「ガラス」をテーマとした一角が設けられていた。 仏殿の荘厳具の素材として、さかんに用いられたガラス。光明皇后が母の一周忌に創建した興福寺西金堂でも、堂内を飾るためのガラスが大量に必要とされた。その製作背景がうかがえる文書を展示。 隣には、なにやら怪しげな赤い粉末が。鉛の酸化物「丹(たん)」で、ガラスの原料となるものだ。薬包紙として使われていたのは、不要になった行政文書や反故紙。こちらも貴重な資料である。 もちろん、ガラスの工芸品も出てい
近鉄奈良駅前の商店街の入り口に、こんな横断幕が掛かっている。 正倉院展を機に周辺市街地の活性化をめざすプロジェクトの名称であるが、このフレーズ、じつに、しっくりくる。 というのも、わたしが初めて奈良の土を踏んだのは、正倉院展の季節だったのだ。 修学旅行で奈良へ連れてこられたことがあっても、その時点ではてんで興味がなく、鹿と大仏くらいしか記憶に残っていない……という話をよく耳にする。 そのなかには、大人になってみずからの意志で奈良を再訪、どっぷりハマっていったとい
正倉院展は、毎年10月最終週の土曜日から、文化の日をまたいで11月第2週の月曜日まで、奈良国立博物館のみで開催される。会期中無休。 つまり、今年でいえば先週の土曜日26日に開幕、11月11日まで開催。また本日は、月曜日にもかかわらず観覧できたというわけだ。 開幕の翌日27日(日)の、9時30分からの枠に予約を入れて、観覧してきた。 初日や会期末、11月頭の3連休、それにNHK「日曜美術館」の放映後はどうしても混雑に拍車がかかるので避けたい、他の美術展もとりどり目白押
7月13日から9月8日まで東京の世田谷美術館で開催されていた、洋画家・須田国太郎(1891〜1961)の回顧展である。 タイトルには「生誕130年 没後60年を越えて」という、奥歯にものが挟まったような文言が冠される。 本来の節目の年は、2021年。困難を乗り越えて、ようやく最後の巡回先にたどりついたのだ。東京での開催を待ちわびていたわたしも、感無量。 国太郎は京都帝国大学の大学院で美学・美術史を修めたインテリの画家。41歳で初めて個展を開くまでは、外遊を経て大学
平城宮跡を自転車で流したあと、日没までなお時間があったため、もう少し寄り道をしていくことに。 15時。お昼時をとっくに過ぎた、半端な時間帯……ならば、いつも行列ができているカフェ「くるみの木」はどうか。 はたして読みは当たり、並ばずにあっさり入店することができた。悲願の初訪問。 古い倉庫をリノベーションした空間で、いちじくのタルトとティーソーダをいただいた。美味なり…… 同じ敷地内の生活雑貨店は定休日、グローサリーは売り切れだった。ショップが開いているときに、大人
ちょうど1か月前の9月24日、平城宮跡とその周辺のあちこちを、自転車で一日中ぶらついてきた。 最初の目的地は奈良市役所。転入届とマイナンバーカード更新の手続きにやってきたのだが、思わぬところで足止めを喰らってしまった。 市役所1階のロビーに、平城京の1,000分の1縮小模型が展示されていたのだ。 館内の配置図で模型の存在に気づいたものの、その時点では「ついでに見ておくか」という程度。しかし、着いてみると、なんともデカい……東西8.3メートル、南北6.4メートル。よくつ
奈良県天理市の自治体名は、新宗教の天理教にちなんでいる。 金光教に由来する岡山県の金光町が平成の大合併で消えてからは、特定の宗教名がついた自治体としては、天理市が唯一の存在となっている。 そういうわけで、天理といえば天理教のイメージが強いけれど、スポーツ好きであれば柔道や野球、ヤング(死語)であれば天理ラーメン、歴史ファンであれば古墳や山の辺の道、天理参考館など、人によってやや異なるところはあるかと思う。 多様で、異様で、なつかしい——そんな天理の街を、今回はご紹介し
けっして立ち入るべからず……そのように言い伝えられてきた土地を「禁足地(きんそくち)」という。 奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)にも、禁足地がある。 一般的な神社では、御神体を祀る場として本殿が、参拝者が柏手を打つ場として拝殿が設けられるいっぽう、石上神宮にはもともと本殿がなく、あるべき場所が禁足地となっていた。つまり、参拝者は禁足地に向けて祈りを捧げてきた。 この禁足地への特別参拝が、3日間に限って許されると聞き及び、馳せ参じた。 ひと月前の、9月22
中華料理を出すファミレスの名として、日本ではもっぱらおなじみのバーミヤン……と書き出そうとして、もしやと思い店舗検索を試みたところ、首都圏であれだけ見かけたバーミヤンが、関西圏にはかなり少ないと判明。大阪府が最多7店舗、奈良県にはわずか2店舗。ショックである。自分で手巻きする北京ダックと、ドリンクバーの白桃のジュースが好きです…… 筆者の食の嗜好についてはともかく、すかいらーくが展開するファミレス・バーミヤンの店名は、以下のような理念に基づいているらしい。 ここで述べ
(承前) 第2展示室の「蕪村〜大雅〜竹田〜玉堂」と続く文人画のリレーがすばらしい。中央の島には、文晁の風景スケッチ帖もあった。すべて、重文指定を受けている。 与謝蕪村《山水図屏風》(江戸時代・宝暦13年〈1763〉)。画中の霞や靄(もや)、水面、そのほとりの湿潤な空気、さらには光——こういった描写に対して、絖(ぬめ)地に特有の光沢がうまく呼応し、あたたかで雅味たっぷりの画面がつくりだされていた。 今春の「池大雅 陽光の山水」展でも拝見した大雅《十二ヵ月離合山水図屏風》
長期休館前の一大シリーズ企画「出光美術館の軌跡 ここから、さきへ」の第4弾、トリを飾る展覧会である。今週末の10月20日まで開催中。 先にお伝えしておきたいのは「お見逃しなく……」。ただ、それだけ。 こういった表現自体が陳腐化しているのは承知の上で、それでも読んで字のごとく、見逃すわけにはいかない。こんな記事は読み飛ばして、いますぐ丸の内へ走ってほしい。そんな展覧会だ。 実態としては、館蔵の日本絵画、それに古筆の名品展ということになる。 ふたつの国宝《伴大納言絵巻
首都圏で拝見し、書けずじまいになっている展示のなかに、まだ会期中のものがいくつか残っている。せっかくなので、そういった賞味期限内の展覧会たちについて、綴っていくとしたい。 まずは、11月10日まで渋谷区立松濤美術館で開催中の「空の発見」。 ✳︎ 伝統的な日本絵画において「空」が意識的に描かれることは、意外なほど少なかった。解説から借りれば「空は青く、雲は白く」描くものという概念が、日本には存在しなかった。 いま、お子さんのするお絵かきでは、空を青で塗って
(承前) 中国の伝説上の仙人たちは、禅者の理想像として、さかんに絵画化された。 雪村周継《呂洞賓(りょどうひん)図》(室町時代 重文)は、本展のメインビジュアルに起用されるように、たいへん強い印象を残すもの。 小瓶から召喚された子どもの龍の繊細な筆遣いに比して、呂洞賓の衣文線のなんと墨色鮮やかで、大胆なことか。それを引き立てるのは、呂洞賓の奇矯なポージングと暴風であろう。 イナバウアーのようなポージングと手の形を、作品の前で(こっそり)真似してみたが、こうも上手