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生誕120年 没後60年 小津安二郎展:3 /神奈川近代文学館

承前

 戦後のいわゆる “小津調” の作品、とくにカラー・フィルムの作品の背景には、山口蓬春、東山魁夷など著名な画家による絵画作品がさりげなく飾られている。
 劇中で作品について語られたり、アップになったりということはないものの、カラーゆえに特定もしやすく、そういった研究もすでにある。
 このような絵画の選択も、うつわと同様に「美術工芸品考撰」の仕事になるもので、なかには小津自身の所蔵品も含まれていた。

 本展では『秋日和』『秋刀魚の味』で使われた小津旧蔵の岸田劉生、梅原龍三郎の絵画が出品。
 また、橋本明治による『秋刀魚の味』オープニングの背景画の原画、さらにその縁で手がけたと思われる完成記念品の長方皿も展示されていた。皿にはもちろん、染付で秋刀魚の絵が。
 このうち劉生《小流春閑》は、作者晩年の東洋への回帰を示す、南画ふうの瀟洒な淡彩。額装。劇中のほか、小津家訪問のインタビュー記事にも、床の間に飾られている写真があった。
 この写真に付された説明文に、じつは劉生《小流春閑》への言及はない。「秘蔵の品」であるという宗達の作品についてのみ触れられている。
 劉生が左側の小さな床(とこ)、主従でいう「従」のほうに掛かっているのに対し、右側の幅が広い「主」の床に掛かる軸が、宗達の作品なのだという。
 小品で、本紙は正方形に近い。色紙であろう。本展には、それらしい作品は出ていなかった。
 図版はモノクロで画質・紙とも粗く、なにが描いてあるのかは判然としないが、「宗達の色紙」といえば、59点が現存する《伊勢物語図色紙》だろうか。

 なお、鎌倉に程近い葉山に画室を構え、小津と交流があった山口蓬春も、宗達《伊勢物語図色紙》の持ち主のひとり。
 本作がふたりのあいだを行き来した可能性も、なきにしもあらず。


 『彼岸花』には、笠智衆が詩を吟じる場面がある(笠さんは、いろんな作品でよく歌わされているイメージ)。
 その背後の床の間に、人物を描いた軸が掛かっている。下のリンク・3枚めのスチールをご参照。

 こちらのテキストには「後景の掛軸に描かれているのは後醍醐天皇と思われる」とあるが、正しくは《多武峯曼荼羅(とうのみねまんだら)》と呼ばれる、藤原(中臣)鎌足を描いたもの。

 鎌足は、藤原氏の祖とされる。そのため《多武峯曼荼羅》は藤原氏に連なる家系で大切に扱われ、同様の作例が数多く伝世している。これもそのひとつであろう。
 前掲のテキストにもあるように、鎌足の軸を前にして歌われるのは、楠公父子の「桜井の別れ」。それゆえ後醍醐天皇という連想になったようだが、鎌足にしても天智天皇の忠臣であり、詩吟と床の軸とでイメージをリンクさせている点は変わりがない。

 ——宗達にしても鎌足にしても、本展には残念ながら出てはいなかった。
 しかし、鎌足の例のように、枝葉末節といえなくもない画面の要素ひとつとっても、演出上の意図は徹底されている。
 さすれば、映っているものがなんであるかを知ることは、小津作品の場合、けっして無駄ではないどころか、必要なこととすらいえよう。
 宗達は映画にこそ登場しないものの、“小津好み” がどんなものかをうかがえる、よい手がかりにはなりそうだ。
 茅ヶ崎の展示は、このあたりまで踏み込んだ内容になるのだろうか。期待は高まる。(つづく


鎌倉・鶴岡八幡宮。『晩春』で杉村春子が財布を拾うあたり

 ※2013〜14年に東京国立近代美術館フィルムセンターで開かれた展覧会「小津安二郎の図像学」。このたびの茅ヶ崎展が、どのようにこのときの展示と差別化をはかるか、気になるところ。



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