生誕120年 没後60年 小津安二郎展:4 /神奈川近代文学館
(承前)
小津作品の登場人物には「喜八もの」に描かれるような最底辺の庶民もいるけれど、ブルジョワや、医師、大学教授、会社の重役といった職にある良家の人びとがより目立つ。
彼らの会話のなかには、一定以上の裕福さや知的教養の高さを物語るために、文学や音楽、美術などの文化的な話題がしばしば織り込まれる。
『戸田家の兄妹』では、遺産相続をめぐる親族の話し合いのさなか、名士だった父が遺した書画骨董の目録を読み上げるシーンがある。作品名と作者を書き出してみたい。
「なかにはだいぶいいのもあるらしい」とのことで、真贋さえ問題がなければ、これだけでも相当な資産価値となろう。
長男が沈南蘋を「ちんなんぴん」と読み上げたところで、「しんなんぴんでしょう」と即座にツッコミが入ってはいるものの、これら書画骨董に対して、兄妹たちは基本的に無関心である……(わたしは興味津々)。
『父ありき』では、神田に行くという息子(佐野周二)に対して父(笠智衆)が「上野の博物館も観ておきなさい」と薦める場面がある。「昔からの日本のものには、深い味わいがある」。
「かざん」がまとめて出ているというから、渡辺崋山の特集展示がやっていたのであろう(横山華山ではないと思う)。息子は、にこやかに「そうですか」と応じる。
この場合はブルジョワジーがどうのというより、老境に達する元教師の好みらしい、悪くいえば「じじむさい」「硬い」イメージを、渡辺崋山の名を借りて演出しているように感じられた。崋山は知名度こそあれど、じつに渋い存在の画家である。
若々しく小綺麗な息子の「そうですか」はけっして気のない感じではないが、内心、父の提案には興味をもたなかったかもしれない……(なお、父はこの直後に倒れ、搬送後に逝ってしまう)。
文人画といえば、忘れがたいシーンがもうひとつ。『麥秋』の、池大雅の掛軸を囲む描写である。
上のふたつの例では、美術作品はセリフのみでのわずかな登場であったわけだが、こちらの例では大きく映され、しかも話題の中心となる。
はるばる大和から北鎌倉へ、弟・間宮周吉(菅井一郎)の家を訪ねた「おじさま」(間宮茂吉=高堂国典)。「大雅堂」の軸を前にして、ふたりは語り合う。同じ大雅堂の山水を描いた扇面もあったが、もう売ってしまったともいう。兄弟仲良く「いいなァ……」と、大雅堂の軸をながめる。
そこに、美しき姪・紀子(原節子)が帰宅、おじさまへ出すお茶を携えて挨拶に現れる。紀子は大雅堂の軸には目もくれず、軸に背を向けたままおじさまとじゃれあい、去っていく……
大雅堂とはいうまでもなく、池大雅。劇中の山水図は、川か湖に面し、木々に囲まれた家屋を近景に、岩山を遠景に描き、上に賛を記したもの。家屋には、おそらく人物が描かれているのであろう。図録を何冊かめくってみたが、この作品は載っていなかった。
大雅堂の絵もやはり、『父ありき』の崋山と同じく骨董の「じじむさい」イメージを喚起する記号ともいえるが、『麥秋』ではもっと大きな意味を持つと思う。
『麥秋』は、三世帯の大家族が解体されていく “無常” の物語。
大雅堂の軸に魅せられる茂吉・周吉の老兄弟は、父祖の地である大和・奈良——古く美しい日本の象徴へと、これから回帰していくことになる。
かたや、大雅堂になんぞ興味を示さない(気づいてすらいない?)若き紀子は、夫となる人物の赴任先である東北・秋田へと向かい、新たな家庭を築く。紀子の兄・康一(笠智衆)の家族は、北鎌倉の家に留まる。
序盤に挟みこまれる大雅堂のシーンは、このような真反対の方向へと散っていく茂吉・周吉と紀子の成り行きを、大雅の絵を媒介として暗示しているように思われるのである。
——展覧会の感想を標榜しておきながら、またしても大脱線してしまった。
崋山も大雅も、横浜の小津展には、かすってすらいない……
これに懲りず、脱線ついでにもう1回、小津と美術の話をしてみたい。(つづく)
※出光美術館では、年度末に「生誕300年記念 池大雅—陽光の山水」を控えている(2024年2月10日~3月24日)。他にも小規模なものとして東京黎明アートルーム「池大雅と中国のやきもの」、京都国立博物館「生誕300年 池大雅」、京都文化博物館「池大雅展-あるコレクターの視点」が開催予定。
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