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生誕120年 没後60年 小津安二郎展:1 /神奈川近代文学館

 小津安二郎に関する資料は、いくつかの展示施設で観ることができる。
 誕生の地・東京都江東区の古石場文化センターには小津の展示コーナーが、9歳から19歳までを過ごした三重県松阪市には小津安二郎松阪記念館がそれぞれ所在。前者は市民センターの一角、後者は歴史民俗資料館に併設の形で、いずれも小規模ではある。
 また、晩年を過ごした神奈川県鎌倉市の鎌倉文学館には、小津家やカメラマン・厚田雄春の資料が寄託。常設とはいかないものの、ときおり公開されている。直近の大規模な展示は2020年であった。

 これらの施設の資料から選りすぐり、さらに小津の研究者・築山秀夫さんのコレクションを加えて展示の軸としている本展。
 生誕120年・没後60年を記念するにふさわしい網羅的な内容で、ほんとうならば、これらの資料を常時展示するそれなりの規模の顕彰施設があってしかるべきなのに……とすら思われたのであった。

 展示室に入ってすぐのところでは、「カニ」と呼ばれるロー・ポジション用の三脚に、小津愛用の白いピケ帽といったおなじみの撮影道具が、大きなひとつのケース内にディスプレイされていた。
 そのケースを取り囲むように、海外での上映企画時のポスターやリーフレット、英語やフランス語で書かれた研究書を展示。ポスターには、カメラテストで「カニ」を覗く小津があしらわれたものもあった。
 小津がいかに世界で評価され、よく知られてきたかが、まず示されたのである。

 これを導入として、以降は時系列に沿い、貴重な関連資料をまじえつつその生涯と作品をみていくという、オーソドックスな構成となっていた。
 深川に生まれ、松阪で多感な時期を過ごし、代用教員を経て映画界へ飛び込む。
 フィルムが現存しない第1作『懺悔の刃』(1927年)から、サイレント時代の「大学もの」「喜八もの」、トーキー第1作の『一人息子』(1936年)を経て出征。戦後は『長屋紳士録』(1947年)にはじまり、「紀子三部作」などいわゆる “小津調” の作品の数々……観た作品はウンウンとうなづきながら、未見の作品はあらすじをよく読んで想像をして、進んでいった。

 関連資料として脚本やコンテが多数出ていたけれど、どの場面をひらいた状態で展示するのか、見どころであった。
 さすがというべきか、その作品のとりわけ印象深いシーン、これという象徴的なシーンが、しっかりチョイスされていた。ファン心理を的確に衝かれた思い。
 たとえば『小早川(こはやがわ)家の秋』(1961年)。遠目から「小早川家のところにコンテがあるぞ」と気づいた時点で「もしや、あのラストの葬列のシーンでは……?」と思われたところ、はたしてそのとおりであった。わが意を得たり。
 これとは逆に「そう来たか!(でも納得)」といったケースもあった。
 企画者と打席で勝負しているかのような感覚で、次はどんな球が来るのかと考えるのもまた楽しかった。(つづく


港の見える丘公園にある、神奈川近代文学館
園内のバラ園では、バラが最盛期を迎えていた。芳香があたり一面に漂う



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