堀辰雄が室生犀星について「あなたこそ最も東洋的な精神の持主であると思ひます」と書き、萩原朔太郎がやはり室生犀星について東洋趣味の人と見做し、どちらかと言えば芥川もそちら側に置いていることは面白い。
しかし芥川の俳句のように芥川の東洋趣味もまた、そんなに根が太いわけではないのかもしれない。
例えば泉鏡花は東洋趣味の第一人者、というよりもっとも日本的な文学者であると誰しも認めるところであろう。その根の深いところに芥川は最短距離で近づこうとしたようなところがないだろうか。
つまり『後漢書』を読むのではなく、孫引きの注釈に頼るようなところがなかったであろうか。
わずか五百部しかない『山島民譚集(さんとうみんだんしゅう)』を泉鏡花と芥川龍之介は手に入れた。その種本が功を成したのは最晩年の一度きりではあるが、芥川は実に効率的に利用できたであろうか?
じつは芥川の『河童』の設定は独特なもので、『山島民譚集(さんとうみんだんしゅう)』そのものは種本と言われるほどの影響を与えているようには思えない。逆に言えば『山島民譚集』を汲み尽くしたとは見えないのである。
この岸田国師の指摘は、坂口安吾の指摘と重ねられた時、思いがけない毒を持って來る。安吾は芥川にフランス文学の教養が欠けていることを指摘した。岸田國士は芥川がルナールを読み切れていないとは書いていない。日本的であると書いているだけだ。
しかし芥川が『後漢書』や「老子」を読み切れていないのであれば、『猿蓑』も蕪村も読み切れていないのであれば、仏蘭西の作家を愛してゐた芥川がついにその本質に届かなかったから、三つの文学が隔たってみえるということはないだろうか。
私は芥川を文豪に置かない。
立原道造や中原中也、太宰治は文豪ではない。彼らを文豪と呼ぶとかえって貶めているように思える。谷崎は文豪である。
芥川に伝統がないという坂口安吾はやはり芥川には文豪の「豪」がないというのではなかろうか。安吾は芥川の「日本的」なところまで否定する。
しかしここで少し冷静になろう。
坂口安吾の言葉はこと「フランス語」に於いてなにがしかの根拠を持っているようでありながら、時代と安吾が呼ぶ戦争の暗さに染められた、憎しみの表れでもあるのだ。
芥川が女たらしであることは否定しない。しかしさすがに「ふところにドスをのんで縁日かなんかぶらつき、小娘を脅迫、口説いていたのである」というまでのことはなかったのではなかろうか。
安吾は芥川を憎み、痛いところを突いた。
確かに最晩年芥川はシャルル=ピエール・ボードレールを引っ込め、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテにすり替えたようなところがある。
このすり替えのインチキ臭さは言うまでもない。芥川はボードレールをフランス語で読んだだろうが、ゲーテはドイツ語で読めたであろうか。間違いなくここには隙があるのだ。
しかしまた堀辰雄が「芥川龍之介はドストエフスキイの一行をこそ欲すべきではなかつたか」と書いていることが、甚だ見当違いに思えて面白い。安吾は芥川から東洋どころか日本まで奪おうとした。ドストエフスキーを持ち出せば片付く問題ではない。むしろ『猿蓑』も蕪村も読み切れていないのであれば、芥川も案外根無し草であると認めていいのではないか。
それは根本的な疵ではない。
そこそこ根無し草であることは、芥川の天才をいささかも損なうものではない。『史記』に「劉長伝」が見つからないとしても、三省堂の『全訳 漢辞海』は素晴らしい漢和辞典だ。
間違いは誰にでもある。人にはそれぞれ知っていることと知らないことがある。ラテン語までやらないと英語は分からないという考えもあろうが、それは程度問題ではなかろうか。
例えば安吾は芥川の熱心な読者ではないので、『一塊の土』を読んでいないのではなかろうか。そして寝たきりの良人に跨るお住の姿が見えていないのではないか。
私はこれが日本だと思う。書かない。けれども事実としてある。そういう設定や書き方を含めて「省略」という短詩型の芸術を極めた日本でこその小説だと思う。一間で三世代が暮らしていて二人目の子供ができる日本には5000を超える俳句の結社があると言われ、俳誌も四百を超えると言われている。そんなひそかな詩人の国が世界に他にあるだろうか?
この詩人の国だからこそ『一塊の土』は成立するのだ。
芥川に日本の生活と詩はある、と私は断ずる。しかし室生犀星の東洋趣味に飽き足らないものがあり、西洋の教養を求め、安吾がいうところの欠如に苦悩していた可能性は否定しない。ふところにドスはなかろう。
【余談】
昭和十八年になっても宮本百合子は芥川のことを書いている。令和五年になっても私が芥川について書いていることと似ていようか。
この時点で宮本百合子はトルストイと芥川のゴシップを耳にしていないようだ。しかし芥川のモラルが壊れていたことは『歯車』……でないにしても、
芥川がモラリストではないことは明らかだろう。
織田作の『夜の構図』が昭和二十一年。織田作は芥川がモラリストではないことをとうに見抜いていたように思う。
どうも宮本百合子も芥川を文豪に置かない。宮本百合子は三島由紀夫的な方向へ向かっていたのか。しかし『風流滑稽譚』が出るのは昭和二十一年だ。
それにしても宮本百合子は貫録があるなあ。