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辞書を疑え② 三省堂の『漢辞海』が正解か、データベースが正解か?

 上田万年がいい加減、などということを書いて改めて手持ちの漢和辞典を確認してみると、何だかおかしなことになって来た。

三省堂の『全訳 漢辞海』によれば「才人」について「後宮の女官の名称。皇后に次ぐ妃に用いる」とあり、典拠が『史記』の「劉長伝」とされている。

 こう書いて調べてみると『史記』に「劉長伝」が見つからないのだ。「劉長」は『漢書』などに出てくるが、そもそも『史記』に「劉長伝」という巻はなく、文字検索で「劉長」が見つけられないのだ。「劉」の字体が異なるので一致しないのか? というわけでもなさそうだ。

『史記』に「才人」の文字は二か所見つかる。「扁鵲倉公列傳」「淮南衡山列傳」の二か所である。


 例えば「才貌」は確かに『後漢書』にある。

 また「才氣」は確かに『史記』の「項羽本紀」に見つかる。

 辞書の通りだ。あたりまえのようなことだが、たまたま例外を一つでも見つけてしまった以上、三省堂の『漢辞海』に対する信頼はかなり低くなった。あくまで参考に留めるものの一つということになる。

 探し方が根本から間違っているのではなさそうだ。これはもしや、その時代時代に典拠とした『史記』なり『後漢書』なりに改ざんが加えられた幾つものヴァージョンが存在し、そのデータ汚染が教科書や辞書にまで及び、修復不可能なものになってしまっているということなのではなかろうか。

続国訳漢文大成 経子史部 第19巻

 現に使用された言葉は書き手の語彙として機能し、やがてはしごが外されたとしても、一旦は典拠のあるものとして認めざるを得ないのかもしれない。ただ、これは飽くまで一般論であり、一つ一つの言葉はやはりその意味を典拠に於いて確認しながら読んでいく必要があることには変わりがない。

 何とも果てしない話だ。


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