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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか⑧ 「も」とはどういう意味か?

「も」とはどういう意味か?

 芥川龍之介は有名人だった。そのことは『歯車』の中でも青年に声を掛けられることで強調されている

「ちょっと通りがかりに失礼ですが、……」
 それは金鈕の制服を着た二十二三の青年だった。僕は黙ってこの青年を見つめ、彼の鼻の左の側に黒子のあることを発見した。彼は帽を脱いだまま、怯ず怯ずこう僕に話しかけた。
「Aさんではいらっしゃいませんか?」
「そうです」
「どうもそんな気がしたものですから、……」
「何か御用ですか?」
「いえ、唯お目にかかりたかっただけです。僕も先生の愛読者の……」
 僕はもうその時にはちょっと帽をとったぎり、彼を後ろに歩き出していた。先生、A先生――それは僕にはこの頃で最も不快な言葉だった。僕はあらゆる罪悪を犯していることを信じていた。しかも彼等は何かの機会に僕を先生と呼びつづけていた。僕はそこに僕を嘲る何ものかを感じずにはいられなかった。何ものかを?――しかし僕の物質主義は神秘主義を拒絶せずにはいられなかった。僕はつい二三箇月前にも或小さい同人雑誌にこう云う言葉を発表していた。――「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」……(芥川龍之介『歯車』)

 このことが悲劇を招いたと言えるかも知れない。『羅生門』出版記念パーティーには錚々たるメンバーが集まった。その理由の一つに芥川龍之介の顔がある。芥川で行こうという機運があったことは否めない。

「ええ。よく知ってますね」
「楽屋中で評判よ」
「えっ?」
 信吉はどきんとした。ホテルでのことを全部知られたのか。
「須賀さん、どこに泊っていらっしゃるだろうって、楽屋の老嬢連、ひどく関心持ってたわ」
 信吉はほっとした。
「――もう綽名までついていますわよ」
「煙突……?」
 ノッポだった。
「いいえ、芥川龍之介」
「へえ――?」
「若くって、才人で、スタイルがよくって……いや、眼よ、眼よ。眼が似てるのね」
「何にしろ、芥川龍之介が生きておれば僕に決闘を申し込むでしょう」
 笑いながら、三原橋の停留所まで来た。電車はなかなか来なかった。(織田作之助『夜の構図』)

 芥川が太宰治以上に女好きであったことなど今では隠しようがないが、織田作之助はまだ知らなかったかもしれない。いや、今でも素朴な読者はまだ知らないでいるかもしれない。しかし私にはもうこの「いいえ、芥川龍之介」が強烈な皮肉にしか感じられないのだ。なにしろ『夜の構図』はこう始まる。

 並んで第一ホテルを出ると雨であった。鋪道の濡れ方で、もう一時間も前から降っていたと判った。少しの雨なら直ぐ乾き切ってしまう真夏の午後なのだ。
 一時間も前から降っていたということがいきなり信吉を憂愁の感覚で捉えてしまった。しかし、この寂しさは一体何であろう……。
 雨が降るということには、何の意味もない。チエホフの芝居の主人公なら、
「雨が降っている、これは何の意味です。何の意味もありやしませんよ」
 と言うところであろう。
 雨が降っている……。極めてありふれた自然現象に過ぎない。
 しかし、このありふれた現象が自分の知らぬ間に起っていたということが信吉には新鮮な驚きであった。
 何故か。
 雨が鋪道を濡らしていた一時間、信吉はホテルの第四五三号室のベッドの上で、見も知らぬ行きずりの女の体を濡らしていたのである。
 娘は中筋伊都子という。十九歳だが、雀斑が多いので二十二歳に見える。少し斜視がかって、腋臭がある。(織田作之助『夜の構図』)

 芥川もこの小説の主人公のようにいささか奔放な男だった。こう言っては何だが、ストライクゾーンが広い。その広さがあだになった。従って、「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」という極めて上品なジョークは「性欲」を「神経」と置き換える詩心によって成立していると読めてしまうのだ。「神経」とはまさに情にさされ流される棹のようなものであろうか。

 が、そこにも一枚のポスタアの中には聖ジョオジらしい騎士が一人翼のあるを刺し殺していた。しかもその騎士は兜かぶとの下に僕の敵の一人に近いしかめ面を半ば露あらわしていた。僕は又「韓非子」の中の屠竜の技の話を思い出し、展覧室へ通りぬけずに幅の広い階段を下って行った。(芥川龍之介『歯車』) 

 龍は殺されなくてはならなかった。

 それから「希臘神話」と云う一冊の本へ目を通すことにした。黄いろい表紙をした「希臘神話」は子供の為に書かれたものらしかった。けれども偶然僕の読んだ一行は忽ち僕を打ちのめした。
「一番偉いツォイスの神でも復讐の神にはかないません。……」
 僕はこの本屋の店を後ろに人ごみの中を歩いて行った。いつか曲り出した僕の背中に絶えず僕をつけ狙っている復讐の神を感じながら。……(芥川龍之介『歯車』) 

 これではアリバイどころではなく、殆ど白状してしまっているようでさえある。しかし一般の人の感想などを読む限り、そのことに気が付いている人はいないようだ。ただ芥川のレトリックに幻惑され、死の予感と鬱々としたものを受け止めているようだ。

「君はここに泊っているのですか?」
「ええ、……」
「仕事をしに?」
「ええ、仕事しているのです」
 彼はじっと僕の顔を見つめた。僕は彼の目の中に探偵に近い表情を感じた。(芥川龍之介『歯車』) 

 小説には書かれることと書かれないことがある。この「」に意味があることは、

 ここでヒントを出しておいたのだが、気が付いた人はいるのだろうか?

 あるいはそのように読めていた人がいるだろうか。

 ここで彫刻家に「探偵に近い表情を感じ」るのは、主人公にやましい気持ちがあることをわざわざ示していて「」の意味を念押ししている。漱石に比べるとやはり芥川の方が仄めかしが丁寧だ。

 さすがに「仕事も?――どうして君は『仕事も』と言うのだ?」とまでは書かないが、『歯車』全体を読めば「ええ、仕事しているのです」の意味は明確だろう。ここを読み落としたまま「読破」なんて威張っている人がいたら、これは恥ずかしい。芥川龍之介は中里介山とは違うのだ。

 この後彫刻家とは女の話になる。

 僕等は親友のように肩を並べ、静かに話している外国人たちの中を僕の部屋へ帰って行った。彼は僕の部屋へ来ると、鏡を後ろにして腰をおろした。それからいろいろのことを話し出した。いろいろのことを?――しかし大抵は女の話だった。僕は罪を犯した為に地獄に堕ちた一人に違いなかった。が、それだけに悪徳の話は愈僕を憂鬱にした。僕は一時的清教徒になり、それ等の女を嘲り出した。
「S子さんの唇を見給え。あれは何人もの接吻の為に……」
 僕はふと口を噤み、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼は丁度耳の下に黄いろい膏薬を貼はりつけていた。
「何人もの接吻の為に?」
「そんな人のように思いますがね」
 彼は微笑して頷いていた。僕は彼の内心では僕の秘密を知る為に絶えず僕を注意しているのを感じた。けれどもやはり僕等の話は女のことを離れなかった。僕は彼を憎むよりも僕自身の気の弱いのを恥じ、愈憂鬱にならずにはいられなかった。(芥川龍之介『歯車』)

 ここまで書いてあるのに、「仕事?――どうして芥川は『仕事』と書くのだ?」と引っかからない人はやはり基本的な文章読解能力に欠いていることになる。あるいは文章読解能力とはこの程度のことの積み重ね、組み合わせによって培われるものなのではなかろうか。

 ちゃんと読めている人には当たり前すぎることを書いてしまったかもしれない。誰も私の本を買わないのはそういうことなのか?




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