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芥川龍之介に東洋の精神はない? 堀辰雄の室生犀星へのお礼状は芥川に跳ね返る

 今日芥川の俳句のことについて書いて、

 色々確認してみると、確かに萩原朔太郎が指摘しているように芥川の俳句は少ない。何れきちんと勘定して見るが萩原朔太郎は八十余としており、全集では二か所にまとめられているほか、書簡にあるものが全て拾われているのか確認できないが、ざっと見たところとても『芭蕉雑記』を書いた人間とは思えないくらい少ないことは間違いない。

 尤もこれは正岡子規が『国歌大観』刊行中に没していることから、おそらく正岡子規でさえ『国歌大観』ほどの歌を読んできてはいないだろうという冷やかしではない。芥川の場合はいかにも万句詠んでいそうでそうではないというだけの話だ。

 それから詩も少ない。萩原朔太郎に自分は詩人だと食って掛かった割には、本当に数えるほどしかない。正直自分には全集が未完成、収集不足であることを疑う気持ちの方が強い。

 さらに言えば漢詩を得意にした漱石に対して、「老子」の訓を間違えるとは、少々がっかりだ。

  坂口安吾は怖ろしい指摘をした。

 芥川は晩年に至つてはじめて自らの教養の欠如に気付いたのだと思はれます。すくなくとも晩年に於てはじめてボードレエルの伝統を知りまたコクトオの伝統を知つたやうです。その伝統が彼のものではないことを知つたのでせう。彼は自分に伝統がないこと、なによりも誠実な生活がなかつたことに気付かずにゐられなかつたと思ひます。彼の聡明さをもつてすれば、その内省が甚だ悲痛な深さをもつてゐることを想像せずにゐられません。彼は祖国の伝統からもまた自らの生活からもはぐれてしまつた孤独の思ひや敗北感と戦つて改めて起き直るためにあらゆる努力をしたやうです。一農民の平凡な生活に接してもそこに誠実があるばかりに、彼はひとりとり残された孤独の歎きを異常な深さに感じなければならなかつたものでせう。彼の生活に血と誠実は欠けてゐても、彼の敗北の中にのみは知性の極地のものをかり立てた血もあり誠実さもありました。立ち直ることができずに彼は死んでしまつたのですが、そのときは死ぬよりほかに仕方がなかつた時でしたでせう。

(坂口安吾『女占師の前にて』)

 いや、芥川は古今東西の文学に親しんだ教養人で、日本人としての伝統を持っているからこそ『今昔物語』を現代小説に置き換えることができたのではないか、と誰でも一旦は思うだろう。

 無論フランス文学に親しんだのは遅いかもしれない。しかしそんなことを言い出せば、三島由紀夫のフランス文学の教養と言ってもそれは殆ど澁澤龍彦を通したものであり、日本人でフランス文学の伝統を持っているものなどそういないはずである。しかしそれは責められることなのかと。

 ただし順に確認していくと、例えば谷崎に『源氏物語』の翻訳があるも、芥川には古典の翻訳はないのである。換骨奪胎して良い翻案は出来た。しかし翻訳ができたかどうかは曖昧である。翻案は分からないところを適当に解釈して読み飛ばしても成立する。翻訳はそうはいかない。地味な話だが、分からないところにとことん付き合わなければならない。なかなか根気のいる作業だ。

 ここしばらく芥川に翻訳がないことを考えて来た。芥川は確かに英語でも日本語でも読むのは早かった。しかし翻訳作品の大作はない。

 芥川は『今昔物語』のつまみ食いをした。しかし翻訳できるほど『源氏物語』の伝統を持っていただろうか? つまり『源氏物語』が典拠にしているもの、すべての言葉の背景、由来を覆い尽くすほど親しんでいただろうか。(もちろんこれはどこまでやるかの話で坂口安吾もプルーストを翻訳する際には解らないところは適当に飛ばしていることを告白している。)

 芥川さんもさういふ萩原さんと同じ位に、自分の内側に絶えずはげしい不安を抱いてゐた人ですが、しかし芥川さんはあなたの平靜さを十分に理解しそれを愛してゐたやうであります。いつか芥川さんが、「室生君は幸福だ」と言つたとき、あなたはその言葉に芥川さんの輕蔑しか感じなかつたやうですが、芥川さんはさういふ意味で言つたのではなく、自分が神から與へられたものだけではどうしても滿足できずに苦しんでゐるとき、あなたが神から與へられたものだけで滿足してゐる、いや諦め得てゐることを、痛切に羨望したのであらうと私は信じます。何故なら芥川さんの求めてやまなかつた平靜さは、あなたの生れながら少しも害はずに持つてゐたものでありますから、さういふあなたにとつては人生といふものが、芥川さんのやうに苦しむものではなく、ただ嘆くべきものであるのは、きはめて自然なことであります。私は、私の知つてゐる人々の中で、あなたこそ最も東洋的な精神の持主であると思ひます

(堀辰雄『室生さんへの手紙』)

 この何気ない室生犀星へのお礼状に現れた堀辰雄の指摘もまた怖ろしい。室生犀星へのお礼状だから室生犀星を持ち上げるのはいいとして、間接的に芥川龍之介に東洋的な精神の乏しいことを言ってしまっているとしか読めないのだ。

 ここで『秋山図』を見よ『杜子春』を見よといっても始まらない。

 東洋趣味はある。しかし東洋の精神がない?

 彼の性格氣質の中には、多分に東洋的のものが滲み渡つて居る。それは藝術家の生活としても、彼を東洋的の修道院に住まはせてゐる。その東洋文人の修道院で、彼は、「身を修め藝を研く」の古訓を守り孜々として修養して來た。この點で彼の生活樣式は、故芥川龍之介君と同型であり、東洋文人の或る範疇を思はせる。一方で僕自身は、西洋流の文學史に特色してゐる、あのルツソオ的言行矛盾や、ドストイエフスキイ的不身持ちから、生活と藝術とを矛盾さすべく、そこに天才の定義を考へて來た。僕と彼は反對である。

(萩原朔太郎『室生犀星に就いて』)

 この萩原朔太郎の『室生犀星に就いて』でも芥川は室生犀星側の「東洋的のもの」に押しやられ「故芥川龍之介君と同型」として、萩原朔太郎と反対の位置に置かれていて、何だかとばっちりを喰らっている感じだ。

 例えばこれまで私は『蜘蛛の糸』における極楽の設定や解脱したはずのお釈迦様が仏と呼ばれず、最後には「悲しそうな御顔をなさり」というところに芥川の強烈な皮肉を見て来た。そんなわけはあるまいにと笑ってきた。仏とは何なのか、成仏とは何なのかなどということは、芥川の方がよく知っていると思いこんでいたからである。

 地獄から悪人どもが極楽に押し寄せてきたら、それは川尻市のサルド人みたいにあばれまわることになるぞ、と笑っていた。

 あるいはあれだけ切支丹ものを書いてきた芥川がクリスマスがキリストの誕生日ではないことを知らない筈がないと思いこんできた。しかし仏に悲しそうな顔をさせるくらいの教養レベルの人ならば、クリスマスをキリストの誕生日だと勘違いしていても全然おかしくはないのである。

 いずれにせよこれから「芥川龍之介には東洋的な精神の乏しい」という堀辰雄の指摘は、坂口安吾の「教養の欠如」「伝統のないこと」と併せてしっかり検証していなくてはならない。それは猿股と結婚式、山高帽とも併せて考えてみるべき事柄であろう。

 そうか、立派な漢詩がなければ東洋的な精神は乏しいのかと簡単に片づけてしまうわけにはいかない。少しずつ片付けてきたつもりが、又課題が増えていく。これでは私が生きているうちに片付かないかもしれない。

 ちなみに本日これで五記事めだと気が付いている人が一人でもあるだろうか。


【余談】

 その間に、芥川につづいて売り出した久米は幾つかの学生物の短篇を次々に発表した。後に一巻にまとめ上げた「学生時代」がそれである。久米の集中でもすぐれたものであらう。あの連作シリイズのなかでは「競漕」が一番いいのではなからうか、すくなくとも僕は一番すきである。長江先生の批評がさすがにそつくり当てはまる文章で、そつがなく行き届いてゐる。気どりはどこにもないが一脈ハイカラな味があつて新らしい俳人三汀の眼が水上春日の自然と競漕といふ人事とをよく見てゐる。さきに名をあげた久保勘三郎は舵手(?)としてこのなかに描かれてゐるが、その風貌挙動などもその人を知る自分には面白く描写されてゐたと思ふ。淡々として清泉のやうな文致の間にほのかな感情が漂うてゐるのが久米の文体の一特色で、芥川の文章に流露感がないと難をつけた人のものだけの価はあらう。単に文才といふ一点だけで云ふと、芥川、菊池よりも久米の方が上かも知れない。また批評眼、鑑識にかけても決して人後に落ちないものがあつた。その頃の彼を思ふと後年の彼は駿足を十分に延べなかつたやうな憾を抱くのは決して僕ばかりではあるまい。

(佐藤春夫『若き日の久米正雄』)

 どうしても芥川を読んでいくと久米は引き立て役のように思えてしまうが、佐藤春夫は「単に文才といふ一点だけで云ふと、芥川、菊池よりも久米の方が上かも知れない」とまで言う。さすがにそれはと思うが芥川の評価が最初はそれほど高くなかったというのは事実のようである。

 芥川の猿股を借りておいてよく言うものだ、とは思うまい。

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