ペンキ塗りたてなのは雨蛙か青蛙か? 芥川龍之介の俳句を読む①
この芥川の句はまず雨蛙か青蛙か定かではない。そもそも芥川の『蛙』が何蛙なのかが明かでない。
この蛙については、鳴き声の「ころろ、からら」という特徴から日本アマガエルではなく、青蛙の一種ではないかと以前は推測した。
しかし問題は芥川の他の作に「雨蛙」の文字が二度現れるのに対して、「青蛙」の文字が見られないことだ。
ただの「蛙」は『蛙』『河童』『侏儒の言葉』『沼』『邪宗門』『庭』『僻見』『Mensura Zoili』『蜘蛛の糸』『発句私見』『糸女覚え書』『妖婆』に出てくる。いずれも何蛙と種類の特定はしかねるが、なんとはなしに雨蛙か青蛙かと思える程度である。
というのも芥川は「蟇」を明確に区別していて、『妖婆』『素描三題』『偸盗』『侏儒の言葉』『ピアノ』『羅生門』『野人生計事』『戯作三昧』に「蟇」が現れるからだ。つまりただ「蛙」と書くのは蟇ガエルではない。
しかし逆に芥川に雨蛙と青蛙の区別が明確にあったのかどうかが怪しい。
件の句を眺めてみると、
雨蛙は雨蛙でペンキ塗りたてのウエット感、 Just paintedという感じを引き立てているし、青蛙は青蛙で毒々しい緑の鮮やかな色を匂わせる、Freshly paintedというところか。
ところがこれがネットでは、
青蛙おのれもペンキぬりたてか
が正解とされている。そしてフランスの小説家ジュール・ルナールの「博物誌」にある詩「青とかげ ― ペンキ塗り立てご用心」が元ネタだとされている。
さて、では『博物誌』に「青とかげ ― ペンキ塗り立てご用心」と書かれているだろうか?
トカゲのことはこれしか書いていない。
例えば「ペンキ」は、
この一か所だけである。
むしろウエット感と緑色を表現しているのは、この「蛙」の下りではあるまいか。
インターネット上ではさも見てきたようにルナール『博物誌』が元ネタであると断言されているが、友人に語ったという芥川の言葉の伝聞にあっさり騙されてはいまいか。
みな訳知り顔で「解説」してしまうが、その前に何故調べないのだろうか?
ここまでは解ったけれど、ここはちょっと解らないなと何故正直になれないのだろうか?
そうまでして人に教えようとするのは何故なのか?
ちなみに国立国会図書館デジタルライブラリー内には「青蛙おのれもペンキぬりたてか」の句は見つからない。元ネタも不確かなら、「雨蛙」か「青蛙」か「汝」か「おまへ」か「おのれ」かも曖昧で、どうもこの句は正体が掴めない。
芥川の語彙としては「おのれ」は時代物でよく使うけれど、現代語にしては少々乱暴なので「青蛙おのれもペンキぬりたてか」が絶対に正しいのかどうか、私には曖昧だ。
ルナール『博物誌』が元ネタとなっている『動物園』では「お前」が多用され「おのれ」はない。またくりかえすが他の作品では芥川は「青蛙」という言葉を使っていない。
一応全集では「青蛙おのれもペンキぬりたてか」となつており、大正八年の書簡でも三度ほどその句が確認できるので「初出」では「青蛙おのれもペンキぬりたてか」であったのであろう。芥川はこの句が得意のようだ。それがいかにして北原白秋、飯田蛇笏、佐藤惣之助という錚々たる詩人たちのなかで「雨蛙汝もペンキ塗りたてか」「青蛙汝もペンキ塗りたてか」「青蛙おまへもペンキ塗りたてか」と転じたのか、その経緯を見極めなければまだ芥川を読んだとは言えまい。
今日はその確認まで。
【余談】
芥川はこの時自分の猿股を脱いで佐藤春夫に渡している。
ということは?
芥川は?
で、佐藤春夫はそのぬくぬく猿股をすぐ履く?
【余談②】
出てくるな。
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