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芥川龍之介の『少年』をどう読むか①「クリスマス」

エッセイではない 

 ついさっき、
芥川龍之介の「保吉もの」は吉田精一によって「身辺雑記的私小説」と定義されてしまったため小説としての構造や意匠が見落とされている。

 ……などと書いた。例えば、

 保吉はこの宣教師に軽い敵意を感じたまま、ぼんやり空想に耽り出した。――大勢の小天使は宣教師のまわりに読書の平安を護っている。勿論異教徒たる乗客の中には一人も小天使の見えるものはいない。しかし五六人の小天使は鍔の広い帽子の上に、逆立ちをしたり宙返りをしたり、いろいろの曲芸を演じている。と思うと肩の上へ目白押しに並んだ五六人も乗客の顔を見廻しながら、天国の常談を云い合っている。おや、一人の小天使は耳の穴の中から顔を出した。そう云えば鼻柱の上にも一人、得意そうにパンス・ネエに跨っている。……

(芥川龍之介『少年』)

 例えば『歯車』を読んで閃輝暗点を疑う人は、ここでも小人が見える幻覚 lilliputian hallucinationやレビー小体型認知症が疑われるとやってしまいかねないが、実際はそういうことではなかろう。これを幻覚の告白と読んでしまうことにはさして意味はない。
 ならばジョナサン・スウィフトや稲垣足穂は幻覚を見たのかと言えば、けしてそうではなく、ただそれぞれ小説(足穂の方は詩的散文と言って良いと思うが)を書いたのだ。

 例えば芥川龍之介の『金将軍』に「八兆八億の兵」という言葉が出て來る。これを「芥川の数のスケール感は異常だ」といってしまうと馬鹿になれる。ここは八道を攻め上る大軍を意味するに過ぎない。

 保吉も、そして芥川も実際に天使を見たわけではない。これを『少年』だから認め『歯車』では認められないという人は、もう少し冷静に考えた方がいい。

 第一章「クリスマス」は十二月二十五日をイエス・キリストの誕生日だと勘違いしているカトリック教の宣教師と保吉の関東大震災後の風景である。これを芥川自身が、

この数篇の小品は一本の巻煙草の煙となる間に、続々と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。

(芥川龍之介『少年』)

 ……とやっているから良くない。少しも小狡さのない、育ちのいい、疑うことを知らない善良な読者は、書いてあることをそのまま受け取ってしまいかねない。よくよく考えてみよう。果たしてクリスマスをイエス・キリストの誕生日だと勘違いしているカトリック教の宣教師など存在するものだろうか。いや、正確に読んでみよう。

「お嬢さん。あなたは好い日にお生まれなさいましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人になった時にはですね、あなたはきっと……」

(芥川龍之介『少年』)

 厳密にはカトリック教の宣教師は「世界中のお祝いする」「お誕生日です」と言ったのであり、ここに「イエス・キリストの」を挿入していない。その日は「世界中のお祝いする」日なのであり、このお嬢さんの「お誕生日」なのだ。
 この「お誕生日」を、イエス・キリストの誕生日にしてしまっているのは保吉なのだ。

 数時間の後、保吉はやはり尾張町のあるバラックのカフェの隅にこの小事件を思い出した。あの肥った宣教師はもう電燈もともり出した今頃、何をしていることであろう? クリストと誕生日を共にした少女は夕飯の膳についた父や母にけさの出来事を話しているかも知れない。

(芥川龍之介『少年』)

 聖書を読んでいた気配のある芥川龍之介がクリスマスを「降誕祭」ではなく「誕生日」だと勘違いしていた可能性はどのくらいあるものだろうか。そしてカトリック教の宣教師が、勘違いしていた可能性はどのくらいあるものだろうか。

 クリスマスは、日其のもの貴きにあらず。史家は十二月二十五日を以て、人なる耶蘇の誕生日なることを承認せず。啻に基督の誕生日が不明なるのみならず、亦た彼の生れし年月すらも一大疑問にして、此の重大なる事實に關する歷史は逸として明かならず。

(『随想録』新渡戸稲造 著丁未出版社 1918年)

 この程度の知識は当時の知識人にとってはむしろ常識の範疇ではなかろうか。

 年はもう五十を越しているのであろう、鉄縁のパンス・ネエをかけた、鶏のように顔の赤い、短い頬鬚のある仏蘭西人である。保吉は横目を使いながら、ちょっとその本を覗のぞきこんだ、Essai sur les ……あとは何だか判然しない。しかし内容はともかくも、紙の黄ばんだ、活字の細い、とうてい新聞を読むようには読めそうもない代物である。

(芥川龍之介『少年』)

 このEssai sur les ……はエッセイではなく、「……に関する試論」と注が付いている。つまりこの仏蘭西人の宣教師は、ぴんからきりまである宣教師の中で、比較的勉強をしているタイプのようである。それで五十歳を越してクリスマスの意味を知らないということはまさかなかろう。そういう設定になっている。つまり、これを講談本か何かを読んでいる若い日本人の宣教師にしなかった芥川も、ここに「保吉の誤解」を仕掛けているとは考えられないだろうか。

 保吉もまた二十年前には娑婆苦を知らぬ少女のように、あるいは罪のない問答の前に娑婆苦を忘却した宣教師のように小さい幸福を所有していた。大徳院の縁日に葡萄餅を買ったのもその頃である。二州楼の大広間に活動写真を見たのもその頃である。
「本所深川はまだ灰の山ですな。」
「へええ、そうですかねえ。時に吉原はどうしたんでしょう?」
「吉原はどうしましたか、――浅草にはこの頃お姫様の婬売が出ると云うことですな。」
 隣りのテエブルには商人が二人、こう云う会話をつづけている。が、そんなことはどうでも好いい。 

(芥川龍之介『少年』)

 これまで私は「保吉もの」が身辺雑記ではなく、五六年前以前に設定を置いた回顧的な書き方をされていることを指摘してきた。失われた過去が描かれることによって、書かれている時代と書いている時代の距離の中に物語構造が現れることを見てきた。この「クリスマス」では「そんなことはどうでも好いい」とされるのが「深川はまだ灰の山」「お姫様の婬売が出る」という書いている時代である。

 そんなことはどうでもいい、煙草を一本吸っている間にさらさらっと書きますよと言って、Essai sur les ……と仕掛けてくるのが逆説好きの芥川の流儀であることは、もうそろそろ信じてもらってもいい頃だろう。これはエッセイではない。小説とは何か、自らが生涯をささげる覚悟をした小説とは何かを試みるパッションだ。

 何しろこの作品が書かれてから、後二年で百年だ。

 百年、もうそろそろ……。

 



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