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芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』をどう読むか① 一人だに聞くことを願はぬ詞を歌はしめよ。

 昨日、この記事で、

一人だに聞くことを
願はぬ詞を歌はしめよ

(芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』)

 この言葉に引っかかった。これまでにも何度となく読んできたはずの所だが、改めて眺めると解らないところだ。

 まずこの『文芸的な、余りに文芸的な』は極めて事務的に、当該喫緊の課題としての谷崎潤一郎との論争に整理をつけようというのか、「話」らしい話のない小説、谷崎潤一郎氏に答ふ、として始まる。

 最近はこんな真剣な論争があるのかないのか知らないが、——あれば少しは文芸誌の売り上げも上がる筈なので、円城塔と三浦俊彦と上田岳弘あたりが主要文芸三誌に分かれ(主要文芸三誌ってどこだ?『文学界』『群像』『新潮』? 『すばる』『ダヴィンチ』『コロコロコミック』?)三つ巴で論戦を繰り広げれば面白そうではある—— この議論がやがて谷崎に『卍』を書かせ、『細雪』を書かせ、それが三島由紀夫をして『豊饒の海』に向かわせるきっかけになったかと思うと、これはなかなか興味深い話である。

 しかしここではその論争そのものの筋は負わない。飽くまでも『文芸的な、余りに文芸的な』の流れを見てゆきたい。

 論争の返答のような事務的な用事を済ませると、芥川はまるで自分自身と文芸の関係をそもそもの所から整理するように、順に説明していく。殆ど逡巡している様子もなく、言い澱みがない。

三 僕

 最後に僕の繰り返したいのは僕も亦今後側目もふらずに「話」らしい話のない小説ばかり作るつもりはないと云ふことである。僕等は誰も皆出来ることしかしない。僕の持つてゐる才能はかう云ふ小説を作ることに適してゐるかどうか疑問である。のみならずかう云ふ小説を作ることは決して並み並みの仕事ではない。僕の小説を作るのは小説はあらゆる文芸の形式中、最も包容力に富んでゐる為に何でもぶちこんでしまはれるからである。若し長詩形の完成した紅毛人の国に生まれてゐたとすれば、僕は或は小説家よりも詩人になつてゐたかも知れない。僕はいろいろの紅毛人たちに何度も色目を使つて来た。しかし今になつて考へて見ると、最も内心に愛してゐたのは詩人兼ジヤアナリストの猶太人――わがハインリツヒ・ハイネだつた。

(昭和二年二月十五日)

(芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』)

 ここでもう「僕」は「漱石先生のような構えの大きい小説も書きたい」とは言っていない。芥川が自分の適性として見出したのはハインリツヒ・ハイネであり、『歯車』にまで現れたヨハン・アウグスト・ストリンドベリではない。

 ハイネは小説家ではない。これではまるで、「僕は小説家には向かなかった」と告白しているかのようでさえある。

四 大作家

 僕は上に書いた通り、頗る雑駁な作家である。が、雑駁な作家であることは必しも僕の患ひではない。いや、何びとの患ひでもない。古来の大作家と称するものは悉く雑駁な作家である。彼等は彼等の作品の中にあらゆるものを抛りこんだ。ゲエテを古今の大詩人とするのもたとひ全部ではないにもせよ、大半はこの雑駁なことに、――この箱船の乗り合ひよりも雑駁なことに存してゐる。しかし厳密に考へれば、雑駁なことは純粋なことに若しかない。僕はこの点では大作家と云ふものにいつも疑惑の目を注いでゐる。彼等は成程一時代を代表するに足るものであらう。しかし彼等の作品が後代を動かすに足るとすれば、それは唯彼等がどの位純粋な作家だつたかと云ふ一点に帰してしまふ訣わけである。「大詩人と云ふことは何でもない。我々は唯純粋な詩人を目標にしなければならぬ」と云ふ「狭い門」(ジツド)の主人公の言葉も決して等閑に附することは出来ない。僕は「話」らしい話のない小説を論じた時、偶然この「純粋な」と云ふ言葉を使つた。今この言葉を機縁にし、最も純粋な作家たちの一人、――志賀直哉氏のことを論ずるつもりである。従つてこの議論の後半はおのづから志賀直哉論に変化するであらう。尤も時と場合により、どう云ふ横道に反れてしまふか、それは僕自身にも保証出来ない。

(芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』)


 しかし反論はまだ終わっていなかった。芥川は自身を雑駁な作家としながら、大作家ではないとは言っていない。そして「純粋な作家」である志賀直哉を持ち出して、味方に付けるつもりらしい。しかし先ほど述べたように論争そのものの筋は追わない。ただ次第に逸脱する中で、「川柳」の直前にはまたこんな奇妙な言葉がある。

 僕はまだ不幸にも代作して貰ふ機会を持つてゐない。が、他人の作品を代作出来る自信は持つてゐる。唯一つむづかしいことには他人の作品を代作するのは自作するよりも手間どるに違ひない。

(芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』)

 これは「代作の弁護」らしいが何が言いたいのかさっぱりわからない。太宰治と井伏鱒二の頃までは代作はあった。しかし芥川は代作をしていないという。ここはあくまでも弟子にも書かせていたというロダンの弁護である。

 それにしても何故今更ロダンの弁護をして、自分にも代作はできると威張る必要があるのだろうか?

 間もなく死ぬのに?

 そして「川柳」の章になる。

二十五 川柳
「川柳」は日本の諷刺詩である。しかし「川柳」の軽視せられるのは何も諷刺詩である為ではない。寧ろ「川柳」と云ふ名前の余りに江戸趣味を帯びてゐる為に何か文芸と云ふよりも他のものに見られる為である。古い川柳の発句に近いことは或は誰も知つてゐるかも知れない。のみならず発句も一面には川柳に近いものを含んでゐる。その最も著しい例は「鶉衣」(?)の初板にある横井也有の連句であらう。あの連句はポルノグラフイツクな川柳集――「末摘花」と選ぶ所はない。

安どもらひの蓮のあけぼの

 かう云ふ川柳の発句に近いことは誰でも認めずにゐられないであらう。(蓮は勿論造花の蓮である。)のみならず後代の川柳も全部俗悪と云ふことは出来ない。それ等も亦封建時代の町人の心を――彼等の歓びや悲しみを諧謔の中に現してゐる。若しそれ等を俗悪と云ふならば、現世の小説や戯曲も亦同様に俗悪と云はなければならぬ。

 小島政二郎氏は前に川柳の中の官能的描写を指摘した。後代は或は川柳の中の社会的苦悶を指摘するかも知れない。僕は川柳には門外漢である。が、川柳も抒情詩や叙事詩のやうにいつかフアウストの前を通るであらう、尤も江戸伝来の夏羽織か何かひつかけながら。
心より詩人わが
喜ばむことを君知るや。
一人だに聞くことを
願はぬ詞を歌はしめよ

(芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』)

 趣旨は「江戸趣味の肯定」と言ってよいだろう。

 現在の地点から眺めれば、川柳はサラリーマン川柳やボケ老人川柳としていまだに大衆の文芸として生きている。私自身は自身の文学をサラリーマン川柳の対極に置きながら、そういうものを全否定しているつもりはない。
むしろ「江戸趣味の肯定」は結構なものだと思う。

 ただ、

心より詩人わが
喜ばむことを君知るや。
一人だに聞くことを
願はぬ詞を歌はしめよ。

(芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』)

 これは解らない。

 平たくとれば、ゲーテよ好きに詠ませてくれ、誰も聞きたくない言葉を詠ませてくれ、という程度の意味ではあろうが、「一人だに聞くことを
願はぬ詞」とは一体何なのだろうか。

 それは『風流夢譚』のようなものであろうか。

 それでさえ「一人だに聞くことを願はぬ詞」ではなかろう。

 江戸趣味で放つ芥川の「一人だに聞くことを願はぬ詞」とは?

 新約聖書の「ローマの信徒への手紙」の「義人なし、一人だになし」……とは関係ないだろう。

 あるいは『新千載集』の「きくことを-いとひてもまた-なれにけり-むそちのはるの-うくひすのこゑ」とも……関係ないだろう。

 諧謔に隠したポルノグラフイツクな歓びや悲しみ?

 確かめようにも「末摘花」なんていくら探しても源氏しか出てこない。

 「願はん道にも入りがたくや」は「御法」だしな……。

 一体全体「一人だに聞くことを願はぬ詞」とは何なのだろうか。

 それはまだ誰にも解らない。

 明日解るんじゃないかな。



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