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芥川龍之介の主要作品に関する基本的な考え方について

 筑摩版『芥川龍之介全集』の解説者・吉田精一がそもそもかなりの偏見の持ち主であることから、多くの読者が芥川作品を読み誤っていることはとても残念なことだ。小説に正しい読み方などないという主張もあるにはあるが、それならば何故「解説」などが可能なのかと問われないことも空しい。
 仮に芥川作品の魅力の一つに「知的なひねり」があると認められるのならば、その「引っ掛かりポイント」を指摘し、解釈を示すことは可能だろう。
 今回はこれまで書いて来た芥川作品に関する私の「引っ掛かりポイント」と解釈の一つを取りまとめて整理してみたい。

              ☆

◎『羅生門』

・下人の太さに対する憧れが滲み出た作品
・多彩なカメラワークによる立体的な描写が見事
・屁理屈による仕返しの話

◎『地獄変』


・絵師は女を焼いてくれとは頼んでいない
・絵師は宙に浮いてはいない
・話者はカメラを左右に振っている
 


◎『蜘蛛の糸』


・弥勒菩薩が現れるまで仏は釈迦一人という仏教の救いのなさが描かれている
・このお釈迦さまは悟っていない
・蓮の花は昼には閉じる(そういう無理が仕掛けられている)
 

◎『杜子春』

・杜子春が仙術を学んで得ようとしたのはおぞましいもの
・杜子春の父母は金持ちでありながら、道徳から外れた人たちだった
・この無法則の世界のぼんやりとした不安を子供たちに教えようとしている

◎『歯車』

・認知バイアスに陥っている男の話
・「荘子」と「韓非子」の取り違えはわざと
・芥川龍之介は『歯車』でかなり遊んでいる

◎『河童』

・第二十三号は捕獲したる人間のうち、食用に適さぬもの
・第二十三号は人間の国でも小さな女の子が好き
・第二十三号も全裸か

◎『少年』

・回顧の形式で失われたものを描くという「保吉もの」の一つ
・クリスマスをキリストの誕生日と勘違いしているかもしれない宣教師が描かれる
・詩的なノスタルジーを獲得している

◎『奇怪な再会』

・明治二十八年に陸軍一等主計の制服はない
・金さんは明治二十八年、1895年の時点でもう四十歳
・孟蕙蓮は日本人なのかもしれない

◎『女』

・庚申薔薇はまがごとのほのめかし(庚申の年長男が誕生している)
・おそらく牡蜘蛛は食われている
・母になる女と母にならない女が描かれている

◎『温泉だより』

・国木田独歩の国粋的省略法が解らない
・修善寺温泉に「き」の字の橋はない
・「私」が何ものなのか解らない

◎『一夕話』

・一晩だけで終わる話ではない
・医者と弁護士が昼間からメリイ・ゴオ・ラウンドに乗る話
・同輩に括られた七人の中年者の崩れかかる寸前を捉えた動きのある物語

◎『あばばばば』

・ここに書かれた光景はやがて津波に流される
・女はすでに妊娠していた
・女は玄人上がりなのかもしれない

◎『魚河岸』

・保吉ものにしては珍しくまだ失われていない日本橋の魚河岸の話
・はしご酒の筈が保吉はライスカレエを食べるという大食いの話
・傲慢の人は遊惰の人たる能はずというお話


◎『鬼ごっこ』

・昔は楽々と逃げられたのに、今度は捕まった。(結婚した。)という話
・刑務所から出て三日目でもう捕まる話
・妙に真剣な顔の彼女は鬼だった

◎『葱』

・作者が身体性を放棄しないまま物語空間に出入りする話
・書き得ないことが書かれる話
・物語の外側でお君さんをいそいそと外出させる話

◎『一人の無名作家』

・無名作家が二人いる話
・現実そのものがパラレルワールドとなっている点を突いている話
・作者のインスピレイションが無意味にされてしまう話

◎『彼』

・トランプ占いをしていた「彼」が歌留多に殺される話
・「彼」の実母は浮気をされていた
・「彼」はそれ以上の下衆なことをしただろう

◎『彼 第二』


・何者にもなれなかった亡友の話
・芥川の遺作になり損ねた話
・ロマン・ロランとバーナード・ショーが否定される話


※そういえば『鼻』と『芋粥』に関してはつまみ食いだけで、正面からは書いていなかった。やり直し。

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