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芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか⑥ 親切な人がいるものだ

牧野は金さんをどうやって殺したのか


 仮に牧野が金さんを殺したとするならば、どうやって殺したのか。そこにはきちんと「伏線」があるように思える。

「この病院へ来た当座は、誰が何と云った所が、決して支那服を脱がなかったもんだ。おまけにその犬が側にいないと、金さん金さんと喚き立てるじゃないか? 考えれば牧野も可哀そうな男さ。惠蓮を妾にしたと云っても、帝国軍人の片破れたるものが、戦争後すぐに敵国人を内地へつれこもうと云うんだから、人知れない苦労が多かったろう。――え、金はどうした? そんな事は尋くだけ野暮だよ。僕は犬が死んだのさえ、病気かどうかと疑っているんだ。」

(芥川龍之介『奇怪な再会』)

 初見ではついお蓮が金さんも犬も殺したのかと誤解していたが、やはり冷静に読むと禁句禁句金看板の甚九郎である牧野の「暗打ち」によって金さんは殺されたのだろうと考えられる。

 するとここでわざわざKが「僕は犬が死んだのさえ、病気かどうかと疑っているんだ」と言っていることが金の死因のヒントとなろう。犬はどう死んだのか?

 或いはなぜ殺されたのか?

「ですから犬が死んだ時には、そりゃ御新造には御気の毒でしたが、こちらは内々ほっとしたもんです。もっともそれが嬉しかったのは、犬が粗相をするたびに、掃除をしなければならなかった私ばかりじゃありません。旦那様もその事を御聞きになると、厄介払いをしたと云うように、にやにや笑って御出でになりました。犬ですか? 犬は何でも、御新造はもとより、私もまだ起きない内に、鏡台の前へ仆れたまま、青い物を吐いて死んでいたんです。気がなさそうに長火鉢の前に、寝てばかりいるようになってから、かれこれ半月にもなりましたかしら。……」
 ちょうど薬研堀の市の立つ日、お蓮は大きな鏡台の前に、息の絶えた犬を見出した。犬は婆さんが話した通り、青い吐物の流れた中に、冷たい体を横たえていた。これは彼女もとうの昔に、覚悟をきめていた事だった。前の犬には生別れをしたが、今度の犬には死別れをした。所詮犬は飼えないのが、持って生まれた因縁かも知れない。――そんな事がただ彼女の心へ、絶望的な静かさをのしかからせたばかりだった。

(芥川龍之介『奇怪な再会』)

 ここを「僕は犬が死んだのさえ、病気かどうかと疑っているんだ」という台詞の後で読み返すと、あっと気が付く。青い物は普通は犬の食い物にはない。

 というより人間の食べ物でもあまり青いものはない。青は食欲の失せる色だ。つまり、ここは牧野が犬を毒殺したと考えるのが妥当だろう。

 そして金さんも恐らく毒殺されたのだろうと気が付いてみて、再び、あっと思う。

 そう、確かに牧野はこんなことを言っていた。

「美男ですよ、あの犬は。これは黒いから、醜男ですわね。」
「男かい、二匹とも。ここの家へ来る男は、おればかりかと思ったが、――こりゃちと怪しからんな。」
 牧野はお蓮の手を突つきながら、彼一人上機嫌に笑い崩くずれた。

(芥川龍之介『奇怪な再会』)

  この「こりゃちと怪しからんな」が冗談ではなかったとしたら、牧野という帝国軍人は何と独占欲が強く、かつ嫉妬深く残虐で、不寛容で醜い男であることか。仮にお蓮が雄猫を飼えば雄猫が殺されることになったというわけだ。それが人間でも同じことと考えてみると、牧野が陸軍一等主計に上り詰める過程には、やはりいくつものおぞましい「暗打ち」があったのだろうと思えてくる。大体駄目な組織では卑怯な奴ほど上に行くものだ。

 そしてろくでもない鬼、猟奇的な怪物、真面ではない牧野が見えてくる。

 すると、

 お蓮に男のあった事は、牧野も気がついてはいたらしかった。が、彼はそう云う事には、頓着する気色も見せなかった。

(芥川龍之介『奇怪な再会』)

 こんな話者のミスディレクションが意地悪く思い出される。流石は人の悪い芥川龍之介の作品である。

卦にはちゃんと出ています

「では生きては居りませんのでしょうか?」
 お蓮は声が震えるのを感じた。「やはりそうか」と云う気もちが、「そんな筈はない」と云う気もちと一しょに、思わず声へ出たのだった。
「生きていられるか、死んでいられるかそれはちと判じ悪にくいが、――とにかく御遇いにはなれぬものと御思いなさい。」
「どうしても遇えないでございましょうか?」
 お蓮に駄目を押された道人は、金襴の袋の口をしめると、脂ぎった頬のあたりに、ちらりと皮肉らしい表情が浮んだ。
「滄桑の変と云う事もある。この東京が森や林にでもなったら、御遇いになれぬ事もありますまい。――とまず、卦にはな、卦にはちゃんと出ています。」

(芥川龍之介『奇怪な再会』)

 卦の解釈が間違っていることは既に述べた。しかしそもそも金さんが既に牧野によって殺されていたのだとしたら、この占いには何の意味があったのだろう。

 金さんは若く、生まれ年は卯の一白とされる。お蓮が囲われたのが明治二十八年……。
 近辺の卯の年は、明治十二年、1879年なので、これで明治二十八年だと十六歳にしかならない。これでは若いと云っても若すぎる。しかしその前の1867年とすると慶応三年だ。この辺りの干支と九星を解りやすく一覧できる資料がどこかに無いかな?

 あった。

 これはなんて便利な資料なんだ。誰かがわざわざ『奇怪な再会』の為に用意してくれていたのか? 親切すぎるぞ。

 え?

一八六七年 慶応三年  丁卯 七赤

 もしかして、? その前は?

一八五五年 安政二年 乙卯  一白

 え? 1855年生まれだと明治二十八年、1895年の時点でもう四十歳ではないか。今でこそ四十歳はまだ若いとは言われるものの、結構な年齢じゃないのか。

 もしかして芥川だけは夏目之助の『道草』パズルに気が付いていて、改めて「金さん」の生まれ年を十二支と九星のロジックの中で細工をして見せたのだろうか。

 あるいは卦の見方が出鱈目なように、この卯の一白が間違いなのか。

 その答えはまだ誰も知らない。

 芥川龍之介の読者が一人もいないのはもっともだ。


[もしかして]

 もしかして金さんって「男」ではなくて父親?

 それを勘違いして……それはないか。


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