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芥川龍之介の『一人の無名作家』をどう解釈するか 無名作家は二人いる

 七八年前のことです。加賀でしたか能登でしたか、なんでも北国の方の同人雑誌でした。今では、その雑誌の名も覚えて居ませんが、平家物語に主題を取つて書いた小説の載つてゐるのを見たことがあります。その作者は、おそらく青年だつたらうと思ひます。
 その小説は、三回に分れて居りました。
 一は、平家物語の作者が、大原御幸のところへ行つて、少しも筆が進まなくなつて、困り果てて居るところで、そのうち、突然、インスピレエシヨンを感じて、――甍破れては霧不断の香を焚き、枢落ちては月常住の灯を挑ぐ――と、云ふところを書くところが、書いてありました。
 それから二は、平家物語の註釈者のことで、この註釈者が、今引用した――甍破れては……のところへ来て、その語句の出所などを調べたり考へたりするけれども、どうしても解らないので、俺などはまだ学問が足りないのだ、平家物語を註釈する程に学問が出来て居ないのだと言つて、慨歎して筆を擱くところが書いてありました。
 三は現代で、中学校の国語の先生が、生徒に大原御幸の講義をしてゐるところで、先生が、この――霧不断の香を焚き……と云ふやうな語句は、昔からその出所も意味も解らないものとされて居ると云ふと、席の隅の方に居た生徒が「そこが天才の偉いところだ」と、独言のやうに呟くところが書いてありました。
 今はその青年の名も覚えて居りませんが、その作品が非常によかつたので、今でもそのテエマは覚えてゐるのですが、その青年の事は、折々今でも思ひ出します。才を抱いて、埋れてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます。(大正十五年三月)

(芥川龍之介『一人の無名作家』)


 この話の味噌は言わずもがな「霧不断の香をき」には「甍破れては霧不断の香をき」とし、「落ちては月常住」に対して「落ちては月常住の灯をかゝぐ」とする異本があり、それぞれが教科書に載り、それぞれが繰り返し試験で問われており、現実そのものがパラレルワールドとなっている点を突いていることにある。

 また、作者はインスピレイションで書き、註釈者はその「ない」典拠が解らないと嘆き、現代の国語教師は「出所も意味も解らないものとされて居る」と解釈を放り出す。

 いや、註釈なしでも意味は解るだろうと思うが、註釈者が「ない」典拠に拘ったがために作者のインスピレイションが無意味にされてしまうというところが芥川好みのイロニーとなっている。

 また『平家物語』の作者は不明である。「一人の無名作家」とは加賀か能登の同人誌に小説を書く青年でもあり、『平家物語』の作者でもある。名無しの彼も才を抱いて、埋れてしまった一人である。「才を抱いて、埋れてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます」という芥川龍之介の予想は『平家物語』が既に証明している


 なおこの箇所には「霧を香の烟に見たてた意」「月が永久の燈となつた慘たる光景をいふ意」(ほかに明かりがない意)と昔から差しさわりのない自然な註がついていて、いたずらに解釈を拒んではいない。解釈を拒ませるのはあほな汚染データであるとも芥川龍之介は書きたかったのであろうか。


[余談]

 芥川がパラレルワールドについてどのように考えていたのかは定かではない。ただ、

 Blanqui の夢

 宇宙の大は無限である。が、宇宙を造るものは六十幾つかの元素である。是等の元素の結合は如何に多数を極めたとしても、畢竟有限を脱することは出来ない。すると是等の元素から無限大の宇宙を造る為には、あらゆる結合を試みる外にも、その又あらゆる結合を無限に反覆して行かなければならぬ。して見れば我我の棲息する地球も、――是等の結合の一つたる地球も太陽系中の一惑星に限らず、無限に存在している筈である。この地球上のナポレオンはマレンゴオの戦に大勝を博した。が、茫々たる大虚に浮んだ他の地球上のナポレオンは同じマレンゴオの戦に大敗を蒙っているかも知れない。……
 これは六十七歳のブランキの夢みた宇宙観である。議論の是非は問う所ではない。唯ただブランキは牢獄の中にこう云う夢をペンにした時、あらゆる革命に絶望していた。このことだけは今日もなお何か我我の心の底へ滲しみ渡る寂しさを蓄えている。夢は既に地上から去った。我我も慰めを求める為には何万億哩マイルの天上へ、――宇宙の夜に懸った第二の地球へ輝かしい夢を移さなければならぬ。

(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

 こう語る芥川は、フランスの革命家ルイ・オーギュスト・ブランキの『天体による永遠』の無限大の宇宙のなかで無限に反復せざるを得ない六十いくつかの元素の結合が、無限に存在する地球を存在させるほかなく、その中にはマレンゴオの戦に大敗を蒙っているナポレオンも存在するのではないか、という議論の是非を捨て、夢破れた革命家の慰めをみる。
 無限の反復を永劫回帰と結びつけようとしない。
 宇宙の無限大を信じない程度に理智的であるのか、宇宙の無限大を意識に上らせない程度の現実主義者であるのか。


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