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#国語教科書
芥川龍之介の『一夕話』をどう読むか③ 崩れかける寸前
レボーター「敗因はどこにあるんでしょう?」
解説者「何と言っても失点したことですね」
そんな小泉進次郎botのような話に聞こえるかもしれないが、『一夕話』はまず、
医者と弁護士が メリイ・ゴオ・ラウンドに乗る話
……だと捉えて良いだろう。
レポーター「誤読の原因はどこにあるんでしょう?」
解説者「何と言っても読み誤ることですね」
そんなことを繰り返し指摘してきたが、実際にそのまま
芥川龍之介の『葱』をどう読むか① 「何しろ」「とにかく」「とか何とか」
作家が小説を書くこと、アマチュアが処女作を書くのではなく、プロの作家が依頼原稿を現に書くこと、その枠組みを明らかにして書くこと、書いたうえで、それがいかにもサイズ的には小品であることを承知しながら、話に落ちをつけ、そしてさしたる満足感もなく筆を置いたことまで書き、なんなら批評家のことまで意識していることを明示するのは……太宰治に伝承されたかと思えるほどの太宰節の原型であり、何某かの意匠と思える。
もっとみる芥川龍之介の『闇中問答』をどう読むか①
その年齢を考えるとあまりにも青くてもろい『闇中問答』をどう読むか、どう受け止めればいいのか、私はずっと迷っていた。今回遺作の『歯車』を整理し、
保吉ものを整理したことにより、
なんとかこの『闇中問答』ともちゃんと向き合えるんじゃないかと読み直してみた。うん、青くてもろい。
本が一番売れるのは、作家が死んだ時だ。誰も生きている作家に儲けさせようとはしない。兎に角何とか一圓でも金が渡らな
芥川龍之介の『少年』をどう読むか②「道の上の秘密」
僕の母は狂人だった……。そんキャッチーな言葉で始めれば、「保吉もの」も少しは真剣に読んでくれただろうか。
僕の母は狂人だった……キャッチーな言葉で始まった『点鬼簿』が『歯車』に自叙伝として現れ、吉田精一とかいう、まあ現代で言えば柄谷行人程度のおっちょこちょいによって「保吉もの」が身辺雑貨的私小説として貶められたことによって、「保吉もの」はまるで原稿料稼ぎの余技のような、真面目な評論の対象とは
『彼岸過迄』を読む 4360 作中人物の設定③「須永市蔵」
須永市蔵
親戚からは「市(いっ)さん」と呼ばれている。生年月日不詳。年齢二十六七歳。江戸っ子。独身。法学士。喫煙者。一塩の小鰺が好き。
高等遊民。叔父の高等遊民松本恒三を尊敬していて、影響を受けている。大学は卒業したものの信念の欠乏から来た引込み思案のために働く気がない。就職のことは一日も考えたことは無い。松本恒三の見立てでは須永市蔵は雑誌に写真が載るような良家の御令嬢を貰い受けられる御身
芥川龍之介の『寒さ』をどう読むか
そこは同じプラットフォームだ
詩人でもないのに地球の外の宇宙的寒冷と書いてみる。あるいは宇宙物理学者でもないのに、「宇宙の大に比べれば、太陽も一点の燐火に過ぎない」(芥川龍之介『侏儒の言葉』)と呟いてみる。そこにどれほど言葉の誠があるものだろうか。目の前にある石炭ストーブは見えても、地球の外の宇宙的寒冷とはとても想像できないもののように思われる。
宮本は得意げに熱伝導の法則で恋愛を説
芥川龍之介の『文章』をどう読むか 横向きになっている
書くことの不可能性を巡って
この『文章』という作品は、大正十三年三月に発表されている。ほぼ同時期に谷崎潤一郎は『大阪朝日新聞』に『痴人の愛』の連載を始める。『文章』に書かれている景色は1919年、大正八年三月、芥川が雑誌「新小説」に『きりしとほろ上人伝』の連載を始め、海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞社に入社する寸前の、そのぎりぎりのタイミングを捉えたものだと考えてよいだろう。
保吉は
芥川龍之介の『あばばばば』をどう読むか③ 妊娠三ヶ月半?
そんなわけはない
間違えていた。迂闊だった。柄谷行人や高橋源一郎や島田雅彦同様、こんなことでは文学界から永久追放されても文句も言えまい。私は昨日、
この記事で、
……と書いてしまった。私は小学校七年生なので子育ての経験がない。だから、親子の情愛がよく解らないんだ、という話ではなくて、二月末に生まれた子に「あばばばばばば、ばあ!」はまだ早いということだ。まだ目も開いていまい。つまり子供は
芥川龍之介の『あばばばば』をどう読むか② 燻製は干物ではない
文字は便利
前回私は『あばばばば』は主題が分裂しているように見えるとまるで柄谷行人のようなことを書いただろうか。いや……世界はレキシコンでできていると書いたのか。文字というものは便利なものだ。そして意味も。文字を読めば意味が解る。簡単な図形なら猿にも理解できるかもしれない。しかし「世界はレキシコンでできている」という文章を理解することは永遠にないだろう。本を読むことが出来るのは人間だけだ。読む