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芥川龍之介の『闇中問答』をどう読むか①


 その年齢を考えるとあまりにも青くてもろい『闇中問答』をどう読むか、どう受け止めればいいのか、私はずっと迷っていた。今回遺作の『歯車』を整理し、

 保吉ものを整理したことにより、

 なんとかこの『闇中問答』ともちゃんと向き合えるんじゃないかと読み直してみた。うん、青くてもろい。

或声 しかしお前は安心しろ。お前の読者は絶えないだらう。
僕 それは著作権のなくなつた後だ。

(芥川龍之介『闇中問答』)

 本が一番売れるのは、作家が死んだ時だ。誰も生きている作家に儲けさせようとはしない。兎に角何とか一圓でも金が渡らないように工夫して読む。少なくとも私はそうしてきた。

 流石に三島は最後まで金勘定に囚われることは無かった。金がないことなど何でもないと解っていたとも思えないが、そもそも金の苦労を知らないお坊ちゃんなのだ。芥川はその点、若いしもろい。同じ人気作家ながら、お坊ちゃんの図々しさがない。

或声 お前は何をしてゐるのだ?
僕 僕は唯書いてゐるのだ。
或声 なぜお前は書いてゐるのだ。
僕 唯書かずにはゐられないからだ。
或声 では書け。死ぬまで書け。
僕 勿論、――第一その外に仕かたはない。

(芥川龍之介『闇中問答』)

 そもそも金が欲しくて書きはじめたわけでもなかろう。しかし結果として芥川は最後まで金から自由になれなかった。そこに蒼さともろさがある。

 とある文学とは無縁の人が「芥川は生活苦で死んだんだよね」と言っていた。その人は「ぼんやりとした不安」などというおためごかしをすっ飛ばして、たまたまにせよ『闇中問答』のところまで辿り着いた。
 こいつ、悪魔と金の話をしているよ、と芥川は確かにそういうところも見せているのだ。
 僕には神経はあっても道徳はないと嘯いてさえ、作家には生活なんてものはない、とは書けなかったのだ。

 今私は芥川にもっと残酷なことが云える。あなたの作品は読み飛ばされ、

 作家志望でも「よき」も「しすん」も記憶にない。誤読は伝搬され、

 最後には精神異常を告白して死んだことにされる。

保吉ものは身辺雑記的私小説と貶められ

 『あばばばば』はデッドコピーによって汚される。

 小説の背後に事実のあるなしは作品のよしあしとは無関係であるという主張は誰にも届かない。

 作品が多くのプロットとモチーフを鋳めたものだと誰も認めない。

 あなたは忘れられてはいないが玩具にされている。「芥川は生活苦で死んだんだよね」という批評は動物的エネルギイの枯渇を言い当てているかのようだ。あなたの作品に一つだけスキを押す誰かは、あなたの作品を理解している訳ではない。ただあなたに承認されたいだけだ。

 あなたにはこれまで本当の意味での読者は一人としていなかった。著作権のなくなった今も、誰も『葱』を褒めない。ただ太宰治なら、その太宰節の原点のような意匠を理解してくれていただろうと夢想するよりない。

 この『葱』が解らなければ、芥川龍之介の作品を理解したとは言えないだろう。絶対に。



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