インターネツトの世界は便利なようで、なかなか正しい情報に辿り着くことを難しくさせている側面もある。例えば深沢七郎の『風流夢譚』で皇太子妃(現在の上皇后)を殺めるマサキリについて調べようとするとほぼ『風流夢譚』に辿り着く。岩波の広辞苑の第三版でマサキリに近いものを探すと、「小手斧」(こじょんの)という言葉が見付かる。しかし使用例に乏しく、私はまだ自分の小説以外で「小手斧」(こじょんの)という言葉を見たことがない。
では芥川龍之介の有名な作品で使われている「小刀」の読みはどれくらい知られているものだろうか。芥川の有名な作品『羅生門』には「夜の底」という表現が用いられており、宮沢賢治他多くの「夜の底」があり、川端康成の『雪国』の冒頭の「夜の底が白くなった」は格別珍しい表現ではない、という話は既に書いた。書いていてまるで芥川龍之介の『羅生門』でさえ、ちゃんと読んでいる人は多くないと書いているような、そんな切ない気分になった。
先日芥川龍之介の『藪の中』を読み直した時、「小刀」の読みに引っかかった。全集は何往復もしているのに、まだ引っかかった。
この「小刀」の文字には「さすが」という読みが当てられている。残念ながら定着しなかった読みである。意味は懐刀であり、肥後守のようなものではない。ただこの読み、実は殆ど読まれていないようなのだ。あるいは読み飛ばされている。
インターネットでは「さすが」の読みだけでは見つからず「さすが 小刀」で検索して、ようやくこんなサイトに辿り着く。
いや、芥川龍之介の『藪の中』を読んでいない人が小説を書いたっていい。ただ誰も気が付かないのが悲しい。しかし同じく芥川龍之介の『藪の中』『羅生門』に出てくる「四寸」の読みも悲しい。
この根拠が以下のように用例で示される。
この世には芥川以外四寸を使う者がいないのか。みな三寸や五寸なのか。と「ふりがな文庫」で五寸を検索したが用例がない。五寸釘をレールに置いて潰し、砥石で研いで小刀にする遊びなどもう流行らぬらしい。悲しいけれど、ここはよきよき芥川、さすが芥川と結んでおこう。これでヨミガナ覚えたね。