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芥川龍之介の「さすが」

 インターネツトの世界は便利なようで、なかなか正しい情報に辿り着くことを難しくさせている側面もある。例えば深沢七郎の『風流夢譚』で皇太子妃(現在の上皇后)を殺めるマサキリについて調べようとするとほぼ『風流夢譚』に辿り着く。岩波の広辞苑の第三版でマサキリに近いものを探すと、「小手斧」(こじょんの)という言葉が見付かる。しかし使用例に乏しく、私はまだ自分の小説以外で「小手斧」(こじょんの)という言葉を見たことがない。

 では芥川龍之介の有名な作品で使われている「小刀」の読みはどれくらい知られているものだろうか。芥川の有名な作品『羅生門』には「夜の底」という表現が用いられており、宮沢賢治他多くの「夜の底」があり、川端康成の『雪国』の冒頭の「夜の底が白くなった」は格別珍しい表現ではない、という話は既に書いた。書いていてまるで芥川龍之介の『羅生門』でさえ、ちゃんと読んでいる人は多くないと書いているような、そんな切ない気分になった。

 先日芥川龍之介の『藪の中』を読み直した時、「小刀」の読みに引っかかった。全集は何往復もしているのに、まだ引っかかった。

 わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星に当ったのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠を脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛られている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹を突かれたでしょう。いや、それは身を躱したところが、無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我も仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。(芥川龍之介『藪の中』)

 この「小刀」の文字には「さすが」という読みが当てられている。残念ながら定着しなかった読みである。意味は懐刀であり、肥後守のようなものではない。ただこの読み、実は殆ど読まれていないようなのだ。あるいは読み飛ばされている。

 インターネットでは「さすが」の読みだけでは見つからず「さすが 小刀」で検索して、ようやくこんなサイトに辿り着く。

刺刀・小刀・短刀【さすが】とは
腰に帯びる短刀。人を突き刺すのに用いる小刀。小刀や短刀を「さすが」と読むのは当て字。

刺刀・小刀・短刀【さすが】の例文(使い方)
例文はまだありません(「小説・コラム・ブログなど書き方の参考書
日本語表現インフォ」https://hyogen.info/word/9146524)

 いや、芥川龍之介の『藪の中』を読んでいない人が小説を書いたっていい。ただ誰も気が付かないのが悲しい。しかし同じく芥川龍之介の『藪の中』『羅生門』に出てくる「四寸」の読みも悲しい。

“四寸”のいろいろな読み方と例文
読み方 割合
よき 66.7%
しすん 33.3%(「ふりがな文庫」https://furigana.info/w/%E5%9B%9B%E5%AF%B8)

  この根拠が以下のように用例で示される。


よき(逆引き)
馬は月毛の、——確か法師髪の馬のようでございました。丈でございますか? 丈は四寸もございましたか? ——何しろ沙門の事でございますから、その辺ははっきり存じません。
藪の中 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
馬は月毛の、——確か法師髮の馬のやうでございました。丈でございますか? 丈は四寸もございましたか? ——何しろ沙門の事でございますから、その邊ははつきり存じません。
藪の中 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しすん(逆引き)
現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。
羅生門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)

 この世には芥川以外四寸を使う者がいないのか。みな三寸や五寸なのか。と「ふりがな文庫」で五寸を検索したが用例がない。五寸釘をレールに置いて潰し、砥石で研いで小刀にする遊びなどもう流行らぬらしい。悲しいけれど、ここはよきよき芥川、さすが芥川と結んでおこう。これでヨミガナ覚えたね。




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