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芥川龍之介の『あばばばば』をどう読むか④ それは津波にさらわれた

何故オランダ?



 この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、保吉にとつての呪詛であつた。

 昨日こんなことを書いて分かったふりをしていたが、どうにもわからないことがある。

De Hooghe
Droste
Van Houten

 ……が阿蘭陀趣味であることは解る。しかし、

 或秋も深まつた午後、保吉は煙草を買つた次手にこの店の電話を借用した。主人は日の当つた店の前に空気ポンプを動かしながら、自転車の修繕に取りかかつてゐる。小僧もけふは使ひに出たらしい。女は不相変らず勘定台の前に受取りか何か整理してゐる。かう云ふ店の光景はいつ見ても悪いものではない。何処か阿蘭陀の風俗画じみた、もの静かな幸福に溢れてゐる。保吉は女のすぐ後ろに受話器を耳へ当てたまま、彼の愛蔵する写真版の De Hooghe の一枚を思ひ出した。(芥川龍之介『あばばばば』)

 この「何処か阿蘭陀の風俗画じみた、もの静かな幸福に溢れてゐる。」という時の、保吉の感情がどうにもつかみきれない。「保吉もの」と呼ばれる一連の作品群には、少なからずその傾向がある。しかしそのふわふわしたものをきっちりとらえた近代文学1.0の批評が見当たらない。

 そもそも何故阿蘭陀なのかと問われたことも、近代文学1.0の枠組みの中では一度たりともなかったのではなかろうか。そもそも所詮「保吉もの」だと読み捨てられてこなかっただろうか。日本近代文学はこんな恥ずべき歴史を背負ってはいまいか。

 これはダッチワイフが母になる話で……としても詰まらない。

 おそらく保吉は恥ずかしがり屋の若く猫のような女ごと、この店の雰囲気になじんでいたのであろう。それはささやかなもので、なにげないものだが、得がたく失われやすいものだ。いや、たちまち失われてしまうものだ。この微妙なものの微妙さが「保吉もの」ではとらえられてきた。それはまさにとらえがたいものであり、ふわふわしたものではなかつたか。

 ここでそもそも何故阿蘭陀なのかと問われたとして、理詰めの答えは見つからないように思える。ただふわふわしている。

 例えば

 この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、……

 とわざと言いさしにしたのは「保吉もの」の流儀ではなかったか。むしろ「祝福」と書けても「呪詛」と書けないのが「保吉もの」なのではなかろうか。

 大正十二年十一月に書かれた『あばばばば』はその年の九月に地震と津波で壊滅的な被害を受けた鎌倉の雑貨店の、大正五年から大正七年にかけての在りし日のぼんやりとした幸福を描いている。

 オランダでは明治三十九年、明治四十四年、大正五年に大規模な洪水被害が起きている。
 鎌倉の雑貨屋にぼんやりとあった「何処か阿蘭陀の風俗画じみた、もの静かな幸福」は津波にさらわれて、大正十二年十一月にはもう存在しないのだ。

 そんなことを恐らく人類史上初めて書いてみるのが近代文学2.0で ↓ こんな本を売っているのだけど、誰か買わんか? 読まないまま死ぬのか? あの世に金は持っていけないぞ。

 いや、真面目な話、夏目漱石作品に関しても森鴎外作品に関しても、芥川、谷崎作品に関しても、全然駄目だったということが、もう解っているでしょう。

 これまでの読みは、全部上滑りだったと。 

 それなのにまだ、「読もうとしない」のは何故なんですかね。

 近代文学に興味がないのではなく、恐いのではありませんか。

 あまりの迂闊さが。

 あまりの読みの浅さが。

 しかしまだ間に合います。

 これまでの経過からして自力ではどうにもならないんですよ。

 楽になりましょう。

 今ならまだ間に合います。

 もうすぐ手遅れになります。

[余談]

 De Hoogheの絵はしばしば同時代の阿蘭陀画家フェルメールとの類似について語られるが、むしろもっと神経質で繊細な書き込みの多い画風のものが海外のサイトでは多く見られる。
 しかしここで芥川がイメージしているのはまさにフェルメール的な絵なのだろう。しかしなぜフェルメールでないのかは永遠の謎である。
 まさか昔はフェルメールが知られていなかったとか?


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