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芥川龍之介の『あばばばば』をどう読むか③ 妊娠三ヶ月半?
そんなわけはない
間違えていた。迂闊だった。柄谷行人や高橋源一郎や島田雅彦同様、こんなことでは文学界から永久追放されても文句も言えまい。私は昨日、
この記事で、
つまり7、8、9、10、11、12、1、2と指折り勘定して見ると、保吉が女と会った七月の時点で女は妊娠二か月くらいかという計算になる。
……と書いてしまった。私は小学校七年生なので子育ての経験がない。だから、親子の情愛がよく解らないんだ、という話ではなくて、二月末に生まれた子に「あばばばばばば、ばあ!」はまだ早いということだ。まだ目も開いていまい。つまり子供は二月初旬に生まれていて、珊瑚、いや産後の肥立ちも良く、二月末にならなければ、「あばばばばばば、ばあ!」はあり得ないのではなかろうか。つまり七月の時点で女は妊娠二か月ではなくて三か月半ぐらいでないと計算が合わない。つまり店の主人と硯友社風の女は四月にはこんにゃろめこんにゃろめ、まいったかこら、とぺったんこぺったんこしていたことになる。半年前から店に通っていたわけだから、少なくとも三か月間保吉は女の存在に気が付かなかったことになることに私は今日まで気が付かなかった。
あるいはまだ私はあのことに気が付かずにいるのではなかろうか。
保吉はずつと以前からこの店の主人を見知つてゐる。
ずつと以前から、――或はあの海軍の学校へ赴任した当日だつたかも知れない。
年譜を見れば大正五年十二月一日、芥川龍之介は海軍機関学校の嘱託教官となる。大正五年十二月九日夏目漱石は逝去する。
僕は学校を出た年の秋「芋粥」といふ短篇を新小説に発表した。原稿料は一枚四十銭だつた。が、いかに当時にしても、それだけに衣食を求めるのは心細いことに違ひなかつた。僕はそのために口を探し、同じ年の十二月に海軍機関学校の教官になつた。夏目先生の死なれたのはこの十二月の九日だつた。僕は一月六十円の月俸を貰ひ、昼は英文和訳を教へ、夜はせつせと仕事をした。それから一年ばかりたつた後、僕の月俸は百円になり、原稿料も一枚二円前後になつた。僕はこれらを合せればどうにか家計を営めると思ひ、前から結婚する筈だつた友だちの姪と結婚した。僕の紫檀の古机はその時夏目先生の奥さんに祝つて頂いたものである。机の寸法は竪三尺、横四尺、高さ一尺五寸位であらう。木の枯れてゐなかつたせゐか、今では板の合せ目などに多少の狂ひを生じてゐる。しかしもう、かれこれ十年近く、いつもこの机に向つてゐることを思ふと、さすがに愛惜のない訣でもない。
このややこしい暦の中に眇の男が現れる。眇の男が硯友社風の女とぺったんこぺったんこしていた時期、芥川龍之介は『羅生門』を書きあげ、出版記念パーティを開き、女が出産するより早く『煙草と悪魔』を刊行している。『あばばばば』は大正十二年十一月の作だ。『あばばばば』の暦の中に夏目漱石の死はある。大正十二年九月一日に関東大震災が起きている。このややこしいタイミングで芥川龍之介は妊娠三ヶ月半の恥ずかしがり屋の女に「ぢつと顔を見つめても好い。或は又指先にさはつても好い」と勝手なことを言う保吉を描いたのだ。
しかも保吉は、
保吉は女を後ろにしながら、我知らずにやにや笑ひ出した。女はもう「あの女」ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、……保吉は歩みつづけたまま、茫然と家々の空を見上げた。空には南風の渡る中に円い春の月が一つ、白じろとかすかにかかつてゐる。……
……と二月末を春にしてしまう。二月末に春の月はまだ早いのではないか。いや、そこではなく、女を「恐ろしい「母」の一人」にしてしまう。そしてここに問題の「しかし」が現れる。「恐ろしい「母」の一人」は、
むしろ本当に恐ろしい母と、逃れがたい伯母達の母性の両方に向けられた言葉だろう。
ではこの「しかし」はどうか。
この「しかし」の意味に辿り着いた読者はこれまで一人でも存在しただろうか。
この点に関して私は悲観的だ。多分この「しかし」の意味に辿り着いた読者はこれまで一人も存在しなかっただろう。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、〇〇〇〇〇〇〇〇〇。
この〇〇〇〇〇〇〇〇〇に当てはまる文字は何か。
理屈で考えると「この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし」なので「あらゆる祝福を与へても好い」の逆、つまりマイナスの方向であろうことは間違いなかろう。ここは
この変化は勿論女の為にはあらゆる祝福を与へても好い。しかし娘じみた細君の代りに図々しい母を見出したのは、保吉にとつての呪詛であつた。
……とならないだろうか。「前から結婚する筈だつた友だちの姪と結婚した」芥川はまた娘じみた細君が恐ろしい「母」の一人となるのを知るのは大正九年三月末のことである。
空にはもう春の月が浮かんでいたことだろう。
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