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芥川龍之介論2.0

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#太宰治

芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑬ ついていない日も読もう 

芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑬ ついていない日も読もう 


本当にそうなのか?

 月末の支払いがあるのでATMでお金を降ろしたら、残金が思いがけず少なかった。可笑しいなと確認してみたら、一社だけ配当の金額が予定より少なかった。完全な計算ミスだ。中間と期末で額が違うのだ。迂闊だった。これではとても文学などやっていられない。

 いや、まあ、文学を続けよう。

 さてこの「私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません」は何か引っ

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芥川龍之介の『保吉の手帳から』をどう読むか①  カプグラ症候群ではない

芥川龍之介の『保吉の手帳から』をどう読むか① カプグラ症候群ではない

それは冗談として

 太宰治の名言と言えば何と言っても「ワンと言えなら、ワン、と言います」(『二十世紀旗手――(生れて、すみません。)』)だろうと思う。そのタイトルごと、日本文学史上最高の名言と言って良いのではないか。
 夏目漱石には「そりゃ、イナゴぞな、もし」他スマッシュ・ヒットが数多い。しかし芥川龍之介の名言はなんだろうと思い出そうとしても、これというものが浮かばない。教科書的に言えば中島敦の

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ある死をめぐる考察 静子が殺されたことは明らかにおかしいのだ

ある死をめぐる考察 静子が殺されたことは明らかにおかしいのだ

 吉田和明の『太宰治はミステリアス』(社会評論社、2008年)は太宰治を聖化しようとする太宰ファンたちの神話を突き崩そうという試みであり、少なくともこれにより太宰の死に顔は微笑んでいたという神話は明らかに突き崩されているように思える。しかし太宰ファンではない、ただの太宰信奉者ではない、単なる浅はかな太宰作品の愛読者であるこの私にとって、太宰の死体がぶよぶよであったことなどはどうでもいい。ここから始

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芥川龍之介の論理・太宰治の意地・三島由紀夫の蟹

芥川龍之介の論理・太宰治の意地・三島由紀夫の蟹

人の悪い芥川「お父さんは相当な皮肉やさんだったけど、私や使用人にも荒いことばで何か言ったり怒ったことはない人でした」「お父さんは普段怒らないし、やさしい人だったけれど、皮肉やさんでしたね」(芥川瑠璃子『双影 芥川龍之介と夫比呂志』)これは文の言葉である。瑠璃子は「ちょっと人の悪いところもある龍之介」と書いている。

 私は既に芥川龍之介作品の核は「逆説」であると書いた。この『実感』では「死骸の幽霊

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サバイバーズ・ギルトのない風景

サバイバーズ・ギルトのない風景

 芥川龍之介が直接的に戦争について書いた作品は『首が落ちた話』と『将軍』のみであると言って良いであろうか。「東西の事」を書いた『手巾』が戦争に関して書いたのではないとしたら、そういう理屈になるのではなかろうか。

 しかしこんな残酷な風景はむしろ付け足しである。芥川にとって戦争とは単なるプロットに過ぎない。芥川は『将軍』でも『首が落ちた話』でも戦争を材料にはするが、戦争そのものを云々する意図は見

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漱石・芥川・太宰・三島のらっきょう

漱石・芥川・太宰・三島のらっきょう

 鞄に入る入らない問題、そして副知事室に4500万円トイレ設置で有名な作家猪瀬直樹は三島由紀夫について『ペルソナ 三島由紀夫伝』でこう述べている。

 らっきょう頭から生まれる絢爛たる文学といえば、やはり芥川龍之介のことを思い出さざるを得ない。芥川龍之介の小中学生時代のあだ名はやはり頭の形から「らっきょう」だった。このらっきょう頭、太宰では顔になり、精神になる。

 このらっきょう顔について、夏目

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