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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑬ ついていない日も読もう 



本当にそうなのか?

 さて若殿様は平太夫を御屋形へつれて御帰りになりますと、そのまま、御厩の柱にくくりつけて、雑色たちに見張りを御云いつけなさいましたが、翌朝は怱々あの老爺を、朝曇りの御庭先へ御召しになって、
「こりゃ平太夫、その方が少納言殿の御恨を晴そうと致す心がけは、成程愚かには相違ないが、さればとてまた、神妙とも申されぬ事はない。殊にあの月夜に、覆面の者どもを駆り催して、予を殺害致そうと云う趣向のほどは、中々その方づれとも思われぬ風流さじゃ。が、美福門のほとりは、ちと場所がようなかったぞ。ならば糺の森あたりの、老木の下闇に致したかった。あすこは夏の月夜には、せせらぎの音が間近く聞えて、卯の花の白く仄めくのも一段と風情を添える所じゃ。もっともこれはその方づれに、望む予の方が、無理かも知れぬ。ついてはその殊勝なり、風流なのが目出たいによって、今度ばかりはその方の罪も赦してつかわす事にしよう。」
 こう仰有おっしゃって若殿様は、いつものように晴々と御笑いになりながら、
「その代りその方も、折角これまで参ったものじゃ。序でながら予の文を、姫君のもとまで差上げてくれい。よいか。しかと申しつけたぞ。」
 私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません。あの意地の悪そうな、苦りきった面色が、泣くとも笑うともつかない気色を浮かべて、眼ばかりぎょろぎょろ忙しそうに、働かせて居るのでございます。するとその容子が、笑止ながら気の毒に思召されたのでございましょう。若殿様は御笑顔を御やめになると、縄尻を控えていた雑色に、
「これ、これ、永居は平太夫の迷惑じゃ。すぐさま縄目を許してつかわすがよい。」と、難有い御諚がございました。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 月末の支払いがあるのでATMでお金を降ろしたら、残金が思いがけず少なかった。可笑しいなと確認してみたら、一社だけ配当の金額が予定より少なかった。完全な計算ミスだ。中間と期末で額が違うのだ。迂闊だった。これではとても文学などやっていられない。

 いや、まあ、文学を続けよう。

 さてこの「私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません」は何か引っかかるところだ。

 その火の柱を前にして、凝り固まつたやうに立つてゐる良秀は、――何と云ふ不思議な事でございませう。あのさつきまで地獄の責苦に悩んでゐたやうな良秀は、今は云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら、大殿様の御前も忘れたのか、両腕をしつかり胸に組んで、佇んでゐるではございませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の悶え死ぬ有様が映つてゐないやうなのでございます。唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿とが、限りなく心を悦ばせる――さう云ふ景色に見えました。

 しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の断末魔を嬉しさうに眺めてゐた、そればかりではございません。その時の良秀には、何故か人間とは思はれない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳さがございました。でございますから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまはる数の知れない夜鳥でさへ、気のせゐか良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかつたやうでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光の如く懸つてゐる、不可思議な威厳が見えたのでございませう。

 鳥でさへさうでございます。まして私たちは仕丁までも、皆息をひそめながら、身の内も震へるばかり、異様な随喜の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも見るやうに、眼も離さず、良秀を見つめました。空一面に鳴り渡る車の火と、それに魂を奪はれて、立ちすくんでゐる良秀と――何と云ふ荘厳、何と云ふ歓喜でございませう。が、その中でたつた、御縁の上の大殿様だけは、まるで別人かと思はれる程、御顔の色も青ざめて、口元に泡を御ためになりながら、紫の指貫の膝を両手にしつかり御つかみになつて、丁度喉の渇いた獣のやうに喘ぎつゞけていらつしやいました。……

(芥川龍之介『地獄変』)

 この時は不思議な顔ではなかったのだろうか。良秀は最初は「苦しさうな顔」だった。堀川の大殿様の目論見が良秀の「苦しさうな顔」を見ることであったのならば、「恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら」という顔は、その目論見を越えて來る不思議なものであった筈だ。

 平太夫の顔は「泣くとも笑うともつかない気色」だ。しかし「身の内も震へるばかり、異様な随喜の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも見るやうに、眼も離さず、良秀を見つめました」という周囲の反応からしても、良秀の顔の方が平太夫の顔より不思議なのではなかろうか。

 しかし芥川龍之介自身が『地獄変』を忘れている筈がない。ならば敢えてここは変に書いていると見做すべきか。

 とりあえずはこの時の平太夫の何とも言えない敗北感、屈辱感と、それでも命が助かったという安堵感以上のものが「泣くとも笑うともつかない気色」で表されていて、芥川自身があの時の良秀の顔よりも、この時の平太夫の顔の方が不思議だと感じたのだろう。つまり敗北感、屈辱感、安堵感だけではないぞと芥川は言いたかったのだ。

随分歩いたな?


 それから間もなくの事でございます。一夜の内に腰さえ弓のように曲った平太夫は、若殿様の御文をつけた花橘の枝を肩にして、這々裏の御門から逃げ出して参りました。所がその後からまた一人、そっと御門を出ましたのは、私の甥の侍で、これは万一平太夫が御文に無礼でも働いてはならないと、若殿様にも申し上げず、見え隠れにあの老爺の跡をつけたのでございます。
 二人の間はおよその所、半町ばかりもございましたろうか。平太夫は気も心も緩みはてたかと思うばかり、跣足を力なくひきずりながら、まだ雲切れのしない空に柿若葉の匂のする、築土つづきの都大路を、とぼとぼと歩いて参ります。途々通りちがう菜売りの女などが、稀有な文使いだとでも思いますのか、迂散らしくふり返って、見送るものもございましたが、あの老爺おやじはとんとそれにも目をくれる気色はございません。
 この調子ならまず何事もなかろうと、一時は私の甥も途中から引き返そうと致しましたが、よもやに引かされて、しばらくは猶も跡を慕って参りますと、丁度油小路へ出ようと云う、道祖の神の祠の前で、折からあの辻をこちらへ曲って出た、見慣れない一人の沙門が、出合いがしらに平太夫と危くつき当りそうになりました。女菩薩の幢、墨染の法衣、それから十文字の怪しい護符、一目見て私の甥は、それが例の摩利信乃法師だと申す事に、気がついたそうでございます。

(芥川龍之介『邪宗門』)

どうそ‐じん【道祖神】ダウソ━
 〘名〙 悪霊や疫病の侵入を防ぐために峠・辻・村境などの道端にまつられる神。自然石・陰陽石・男女和合の石像などを神体とする。性の神・縁結びの神、旅行安全の神などともされる。障さえのかみ。手向たむけの神。道陸神どうろくじん。

明鏡


 それにしても平太夫は腰が曲がったわりには歩くな。しかも行き先はどうも少納言の二条西洞院の屋敷ではなさそうだ。


 こうではなく、どこへいくつもりなのか。十条か。十条と云ってもあの北区の有名な商店街ではない。いずれにせよ位置関係が現在の地図通りなら「この調子ならまず何事もなかろう」という判断はおかしいということになる。


語りの位置が解らないぞ

 危くつき当りそうになった摩利信乃法師は、咄嗟に身を躱しましたが、なぜかそこに足を止めて、じっと平太夫の姿を見守りました。が、あの老爺はとんとそれに頓着する容子もなく、ただ、二三歩譲っただけで、相不変らずとぼとぼと寂しい歩みを運んで参ります。さてはさすがの摩利信乃法師も、平太夫の異様な風俗を、不審に思ったものと見えると、こう私の甥は考えましたが、やがてその側まで参りますと、まだ我を忘れたように、道祖の神の祠を後にして、佇んでいる沙門の眼なざしが、いかに天狗の化身とは申しながら、どうも唯事とは思われません。いや、反ってその眼なざしには、いつもの気味の悪い光がなくて、まるで涙ぐんででもいるような、もの優しい潤いが、漂っているのでございます。それが祠の屋根へ枝をのばした、椎の青葉の影を浴びて、あの女菩薩の旗竿を斜めに肩へあてながら、しげしげ向うを見送っていた立ち姿の寂しさは、一生の中にたった一度、私の甥にもあの沙門を懐しく思わせたとか申す事でございました。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 語り手の立ち位置がかなりわかりにくい芥川作品に『奇怪な再会』がある。

 この「私」という語り手の立ち位置が掴めないと何の話なのか分からないが、最初は「私」が見えない。そういう書き方をしている。
 その点『地獄変』や『邪宗門』は堀川の大殿様の家臣、あるいは堀川の若殿様の家臣が過去を回想するという語りとして素直に読むことができる。

 しかしここに変な時間が置かれる。話者がいつの時点でこの話を語っているのかが一瞬曖昧になる。それは何故か。これまで私は何となく、堀川の若殿が亡くなったので、その時点から過去を振り返って語っているものかと読んできた。ところが「一生の中にたった一度、私の甥にもあの沙門を懐しく思わせたとか申す事でございました」では沙門も甥も死んでいないか?

 つまり若殿さまも甥も死に話者だけが随分長生きしていないか。「一生の中にたった一度」と言えるのは、もうその機会がないという意味で、甥よりも沙門が死んでいて、その過去を懐しく思う程度に甥は生きたのだとして、甥は現に生きている? 死んでいる?

 ただ確かなことは話者は生きているということだ。それ以外のことはまだ誰にも解らない。何故なら私がまだこの続きを読んでいないからだ。




[余談]

 改めて「夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳さ」というところに引っかかった。この「獅子王」、日本では通常、平安時代に作られたとされる日本刀(太刀)である。

 しかしどうもこれは刀ではない。

 人間ならば普通はウィリアム一世のことだろう。しかしどうも合わない。

しし‐おう【獅子王】‥ワウ ①獅子の美称。 ②名剣の名。鳥羽天皇から相伝され、源頼政が鵺ぬえを射た功に賜った。豊後定秀、また、実成さねなりの作と伝える。獅子王丸。平家物語4「主上御感のあまりに、―といふ御剣をくだされけり」

広辞苑

 ここでは「獅子」の美称であろう。それにしてもこの話者、獅子を夢に見るとは只者ではない。

こんな人もおるねんな。


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