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2023年5月の記事一覧
芥川龍之介の『三右衛門の罪』をどう読むか④ それこそ依怙贔屓と云うものだ
何故吉田精一の『三右衛門の罪』の読み方が根本的に駄目なのか。
今日はそこをやります。
吉田精一は『芥川龍之介全集』の編集と解説をしています。これはどうしても嫌いで出来ることではありません。その割に解説を読むと露骨な、あるいは不躾な、さして理論立っていない批判も目立ちます。
この『三右衛門の罪』に対する批判もそうです。「心理描写があってただそれだけで失敗作」なんて読書メーターに書いても
芥川龍之介の『三右衛門の罪』をどう読むか③ なんてややこしい名前なんだ
何てややこしい名前なんだ
昨日は「文政(ぶんせい)四年」が変だよ、というお話をしました。
解ったよーという人は手を挙げて下さい。
はい、解ったよー。
ここは解りましたかね。ここが解らないで「失敗作」なんて書いている人は駄目だということも解りますよね。
それじゃあ、みんなここは大丈夫かな。「加賀(かが)の宰相(さいしょう)治修(はるなが)」これ、解る人?
何が解るかって?
芥川龍之介の『三右衛門の罪』をどう読むか② 何だよその書き出しは?
何だよその書き出しは
ロベルトカルロスの伝説のフリーキックが、実は左足のアウトサイドではなく左足のインフロントキックであることをスーバースローで初めて知った時、やはりサッカー経験者なら必ず驚くに違いない。アウトサイドでシュート回転のボールを蹴ることもインフロントでカーブ回転のボールを蹴ることもそう難しくはない。しかしインフロントでシュート回転のボールを蹴るということは大抵の人にはできないだろう
芥川龍之介の『三右衛門の罪』をどう読むか① 仕掛けたのは誰なのか
吉田精一という人は惨めな人だった。芥川作品の良さを見いだせず、例えば保吉ものを「私小説風身辺雑記」としてしか読むことが出来なかった。繰り返し書いているように『魚河岸』を除く保吉ものは失われたものを回顧の形で書くという形式を持っており、関東大震災の津波に流された阿蘭陀の風俗画じみた、もの静かな幸福に溢れてゐる鎌倉の風景を描いた『あばばばば』などは極めて大胆な構図を持った傑作の一つである。
吉田
芥川龍之介の『孔雀』をどう読むか① 兼『着物』をどう読むか①
孔雀
芥川龍之介
短い話なのでまたまた青空文庫からそのまま貼り付けてしまった。
この話の面白いところは、村上春樹さんの『とんがり焼の盛衰』や『柄谷行人』のような話が、森鴎外の『沈黙の塔』であったり、芥川龍之介の『着物』などの繰り返しであり、いつでも作家と云うものは多くの無理解と向き合いストレスを貯めなくてはならないという現実の変わらなさを確認させてくれるところにある。
芥川の『着物』は
芥川龍之介の『煙管』をどう読むか① フェティシズムとしての権威
今では考えられないことながらの、芥川龍之介という作家は最初から最後まで世間大評判だったわけではない。『羅生門』も仲間内ではぼんやりとした評価であったし、この『煙管』という小説も「乱作を始めたか」と批評されたという。
そんな批評家には『煙管』という小説が捉えきれなかったのだろう。つまり小説が作品数としてしか見えていない。『煙管』は『煙草と悪魔』との関係で言えば、喫煙者という悪魔に魅入られたもの
芥川龍之介の『講演軍記』をどう読むか① そんなに苦しくはない
講演軍記芥川龍之介 どう読むかと言いながら、丸ごと貼り付けてしまった。
短い話なので簡単にやってしまおう。
そんなに苦しくはない
電報の「クルシイクルシイヘトヘトダ」だけが自殺と因縁づけられて流布されていることから、そうかそんなに苦しかったのか、そういえば『歯車』なんか病的だしなと思っている人も多いと思うが、こうして事情を知るとさして苦しそうではない。
第一へとへとでは声も出まい。
芥川龍之介の『風変りな作品に就いて』をどう読むか① そのまま受け取るわけにはいかない
この短い話には二つの大きな引っ掛かりどころがある。
この「きりしとほろ上人伝」の方が、いいと思ふ、という芥川龍之介自身の評価には枝葉がない。どうした理由で良いのか明らかではない。
この『きりしとほろ上人伝』の良さと云うものは今一つ明確ではない。シンプルに結末が弱い。ポアされる理由が明確でない。落ちとしては『奉教人の死』の方が切れている。『きりしとほろ上人伝』にはやられた感がない。
つ
芥川龍之介の『お富の貞操』をどう読むか④ 『雛』をどう読むか② 気が付いていた?
昨日は『お富の貞操』という題名は『お富の開脚』に変えた方がいいという話を書いた。
いや、そこまでは書いていなかった。
そういう視点に立てば『開化の殺人』と『お富の貞操』は対となる作品だ。では他に開脚ものを見逃していないかと気になるところ。
もう一度『舞踏会』を読み直すと、明子は仏蘭西人海軍将校に開脚したかどうかは曖昧乍ら、その後開化に踊らされることなく堅実な人生を歩んだように見える。
芥川龍之介の『お富の貞操』をどう読むか③ 新公の見たもの
これまで一応お富の猫の為に貞操を捨てようとする心理について書かれてきた有象無象の「あなたの感想」とは違うものを、この記事にまとめた。しかし一方で新公のふるまいに関してはこれまでもあまり議論もされていないようで、実は大きな見落としの可能性があることに今気がついた。
吉田精一はお富の「突発的な微妙な心理」を見出すが、その言い回しからはお富の覚悟が見逃されている。
この時、お富はどちら向きに寝
芥川龍之介の『お富の貞操』をどう読むか② 開化ものの物語構造
前回は「解る」というところにフォーカスして『お富の貞操』を読んでみた。この『お富の貞操』は『奇怪な再会』や『あばばばば』に並ぶ、極めて読み応えのある作品だと思うので、もう少し別の角度から読んでみたい。
おそらくこう言われている「最初にこじらせてしまった人」に私は区分されるだろう。もう何十年も永井哲学に触れながら、どうしてもその核の所、比類なき〈私〉には辿り着けないでいる。一方一応書かれている
芥川龍之介の『雛』をどう読むか① 何かが瓦解した
人生はあっという間だが、『舞踏会』の一夜で明子の人生が終わってしまったわけではない、と昨日書いたような気がする。
そして開化ものと呼ばれている芥川作品は『開化の殺人』と『開化の良人』だけではなく『舞踏会』と『雛』と『お富の貞操』があるが、『雛』が開化ものと呼ばれているのは『明治』の改稿であるためで、これまでの分類では抜けている『南瓜』が開化ものの中心だと書いたような気がしていたが、『南瓜』の
芥川龍之介の『舞踏会』をどう読むか③ そこには落とし穴がある
森鴎外は乃木大将の殉死に「感動」して、立て続けに殉死小説を書いたのだと本気で考えている人がいる。そんな馬鹿なと思うが、本当にいるのだ。そんな人は一生そんな思い込みが捨てられないで死んでいく。
あるいは『舞踏会』の明子はアイスクリームを食べるので知覚過敏ではないことが解る。しかしそう気が付かない人もいる。
あるいは『舞踏会』は『たね子の憂鬱』『糸女覚え書き』『おぎん』『おしの』『奇怪な再会
芥川龍之介の『舞踏会』をどう読むか② あり得たかもしれない別の私
それでもあえて言うならば『藪の中』がたった一つの現実を巡って答えのない事実の食い違いを表わした作品なのだとしたら、『開化の殺人』と『舞踏会』の間にはそうであり得たかもしれない明子の二つの人生が描かれていると考えても良いだろうか。
それは芥川サーガと括ってさえ多重世界と呼びうる迄の精緻な絡まりは見いだせないものの、確かに何かは淡く交差した二つの世界だ。情報連携のキーとなるのは「美しい明子」そし