見出し画像

芥川龍之介の『講演軍記』をどう読むか① そんなに苦しくはない

講演軍記

芥川龍之介

 僕が講演旅行へ出かけたのは今度里見弴君と北海道へ行つたのが始めてだ。入場料をとらない聴衆は自然雑駁になりがちだから、それだけでも可也しやべり悪い。そこへ何箇所もしやべつてまはるのだから、少からず疲れてしまつた。然し講演後の御馳走だけは里見君が勇敢に断つてくれたから、おかげ様で大助かりだつた。
 改造社の山本実彦君は僕等の小樽にゐた時に電報を打つてよこした。こちらはその返電に「クルシイクルシイヘトヘトダ」と打つた。すると市庁の逓信課から僕等に電話がかかつてきた。僕は里見君のラジオ・ドラマのことかと思つたから、早速電話器を里見君に渡した。里見君は「ああ、さうです。ええ、さうです」とか何なんとか云ひながら、くすくすひとり笑つてゐた。それから僕に「莫迦莫迦しいよ、クルシイクルシイですか、ヘトヘトだですかときいて来たんだ。」と云つた。こんな電報を打つたものは小樽市始まつて以来なかつたのかも知れない。
 講演にはもう食傷した。当分はもうやる気はない。北海道の風景は不思議にも感傷的に美しかつた。食ひものはどこへたどり着いてもホツキ貝ばかり出されるのに往生した。里見君は旭川でオムレツを食ひ、「オムレツと云ふものはうまいもんだなあ」としみじみ感心してゐただけでも大抵たいてい想像できるだらう。

雪どけの中にしだるる柳かな(昭和二年六月)

青空文庫より

 どう読むかと言いながら、丸ごと貼り付けてしまった。

 短い話なので簡単にやってしまおう。

そんなに苦しくはない

 電報の「クルシイクルシイヘトヘトダ」だけが自殺と因縁づけられて流布されていることから、そうかそんなに苦しかったのか、そういえば『歯車』なんか病的だしなと思っている人も多いと思うが、こうして事情を知るとさして苦しそうではない。

 第一へとへとでは声も出まい。

 逆に『歯車』をフェアに読むためには、この確認は重要だ。読める範囲で読んでみた『歯車』論は、悉く自殺の前の精神異常者の告白の分析になっていて、レトリックをほとんど拾えていない。

 え? それで読んだつもりなの? というものになっている。どこかに悪い見本があるんだろうな。


くすくすひとり笑つてゐた

 実際芥川はいつものように人を笑わせようとしたのであり、それを自慢げに報告している。電話を里見弴に渡したのも、笑わせる為だったように思われる。

 大体タイトルが軍記だよ。

 本当にげっそりしていたら笑えない。この講演旅行で直接芥川を見た太宰治もその自殺に驚いている。やっぱり死んだかとはなっていない。谷崎とも直前まで喧嘩していたし。

雪どけの中にしだるる柳かな

 これは最後の最後に柳川隆之助が出たんじゃないかと思われるところ。

 ただそれだけ。


[余談]

 里見弴先生、演台の上に顏が出たのかな?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?