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芥川龍之介の『舞踏会』をどう読むか② あり得たかもしれない別の私

 それでもあえて言うならば『藪の中』がたった一つの現実を巡って答えのない事実の食い違いを表わした作品なのだとしたら、『開化の殺人』と『舞踏会』の間にはそうであり得たかもしれない明子の二つの人生が描かれていると考えても良いだろうか。

 それは芥川サーガと括ってさえ多重世界と呼びうる迄の精緻な絡まりは見いだせないものの、確かに何かは淡く交差した二つの世界だ。情報連携のキーとなるのは「美しい明子」そして「H夫人」という名前だけだ。それだけで甘露寺明子と明子を結びつけてしまえばマイナ保険証に他人の資格情報が結びつくような杜撰なことになってしまう。

 明治元年に片足立ちであそこを見せつけた十歳の甘露寺明子は本多子爵に嫁いだ後どうなったのか。金の力で男同士の間で物のようにやり取りされながら、結果として二人の男を殺した明子は何を思い生きてきたのか。

 あるいは人の一生とは何なのか。

 ついそんなことを考えてしまう。

 何故なら、

「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生(ヴイ)のやうな花火の事を。」
 暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。

(芥川龍之介『舞踏会』)

 我々の人生は花火のように一瞬で消えて行く。この『舞踏会』という作品の主題は、そんな人生のはかなさなのだ。明子の人生にはその後、この舞踏会以上に晴れがましいことは何一つ起こらなかったのだ。

 それは大抵の人が同じだろう。私の人生最高の思い出は、とある女の子を台車で運んだことだ。私の人生にはその後、それ以上に晴れがましいことは何一つ起こらなかった。振り返ってみれば、大抵の人がそんなものだと思う。

 昨日、明子はデビュタントなのに手袋もしていない、と書いた。書いて一晩考えると、はたと気がついた。

 明子の父親は頭が禿げている。そのことは二回も書かれている。ならば明子の子も頭が禿げるのではないかと。そして――家の令嬢と呼ばれ、フランス語とダンスの教育を受けていたとはいえ、俄かにダンスを仕込まれた芸者たちが動員された鹿鳴館において、――家の格もそれ程高くはなかったのではないかと。明子は懇意の令嬢たちとは談笑する。主人の伯爵には挨拶した。後は仏蘭西の海軍将校と話すばかりである。

 明子が受けた教育はこの一晩の舞踏会の為に花火のように空しく燃え尽き、息子は禿げる。しかも唯一の華やかな思い出の相手は心の中で明子のことをグロテスクな人形だと思っていた……。

 しかしそれでは毒が足りない。

 ここ「優しく明子の顔を見下しながら」というところで明子のドレスは肩が出ていたかどうかが気になるところだ。肩が出ていると、背の高い男からはお乳が見える。

 そこがどうも曖昧に描かれている。

               ☆

 いやいやいや。

 違う違う。

 そこではない。正確に読んでみよう。

「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生(ヴイ)のやうな花火の事を。」

 この仏蘭西の海軍将校は「人生は花火のようにあっけない(はかない)」などとは言っていない。むしろ花火は我々の生のようであると言っていて、それが長いとも短いとも言っていないのだ。

 つまり「明子は三十二年前の一度きりの舞踏会の思い出を生涯大切にして生きてきた」とか「せっかく習い覚えたフランス語もダンスも一晩の舞踏会で使い果たした」という読みはそもそも根本から間違っていないだろうか。

 華やかに光り輝く花火のようなLa vieが我々にはあると言っているのだ。現にこの仏蘭西人は世界各国を巡り、現地の女性との関係をネタに多くの小説を書き残した。『お菊さん』はその一つである。とにもかくにも彼は幾つもの花火を打ち上げた。

 では明子はどうなのか。そのフランス語とダンスは、たった一度の舞踏会で蕩尽されたのか。

 それは書かれていないことだ。

 もしも明子のvieが花火なら、そしてある青年の小説家が網棚に乗せていたのが赤い薔薇の花束だったなら、あるいは白い百合の花束だったなら、明子はそれぞれ別の思い出話を人生のたった一つの宝物のように話して聞かせてくれたかもしれない。

 女性の「あまり服を持っていない」という話は信じない方がいいと昔から言われる。女性のバッグの中にはポーチが這入っているものだ。明子を見くびってはいけない。明子は又現れるだろう。次に明子が現れるのは君の町かもしれない。

[余談]

 ということらしい。

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