2023年1月の記事一覧
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか43 何故誰も気が付かないのだ?
私はしばしば誰も驚かないことに驚く。それは私が特別恐がりだという意味ではなく、カピバラのような落ち着きに驚くのだ。カピバラで悪ければやはり哲学的ゾンビと云うべきか。
決して隠されていない、堂々と公開されている作品に書いてあることを読まない人々、そんな人たちが楽し気に読書を語っているのが実に奇妙なことに思える。谷崎潤一郎の『秋風』を読んで、食い物の話としか理解できない。
おそらくこれまで『秋
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか42 多分あなたは気が付いていない
もしも新人作家がこんな原稿を持ち込めば、親切な編集者はたちまち注文を付ける。あるいは即座に原稿をゴミ箱に捨てる。(苛立たし気に叩き込む。)
繰り返し何度も眺めながら、何も読もうとしない頑固な人々はまだ何のことかわからないだろうか。
倫敦塔に断頭吏はいるが絞首吏はいない。鴉が三羽でてきたところで『倫敦塔』を思い出さない漱石門下はいないだろうし、二羽では真ん中はなく、三羽でなくてはならないと
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか39 お髯のない「僕」
夏目漱石はいつでも先生で、芥川龍之介はいつでも悩める文学青年だ。その違いはどこから来るのかと言えば、やはり髭であろう。
恐らくそのことに芥川は自覚的であった。
夏目漱石を夏目先生と呼びながら、「僕」は先生と呼ばれることにどうしても耐えられない。
このことはある意味奇妙なことでもある。井伏鱒二、佐藤春夫、菊池寛を先生と呼び、常に弟子であり続けた太宰治の羞恥心とは別の、そしてまたここにわざ
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか38 痔のせいではない
数日前、『歯車』の「僕」が汽車に遅れたのは朝飯の為ではなく、妻がいなくてもできることに思いのほか時間を取られたのだとして、「参考文献」として最も信用できない作家・谷崎潤一郎の『或る時』という小説を引用して印象操作を試みたような気がする。
それは何故か?
人類が存在しているからである。
少なくともいささかやかましい『歯車』のライトモティーフの一つには官能的欲望があり、十二三の女生徒
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか36 遅れたのは朝飯の為ではない
村上春樹の小説には主人公がセックスをするというポリシーでもあるのか、とにかくセックスをする。遠慮がない。芥川龍之介にも『好色』といういささか過激な作品があるが、流石にストレートにセックスをする話は……これまで書いてこなかったと記憶している。『女』もその後の話だ。勿論『歯車』にもそういうシーンはない。
ところで谷崎潤一郎の『或る時』という短い話にこんなことが書かれている。
初出は新聞
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか34 神様は全裸だ
昨日私は、『歯車』の主人公「僕」に「芥川龍之介」というあだ名をつけた。
昨日?
多分昨日だ。
何故か女をじろじろと観察しながら表面上は家族以外の女とは会話しない「僕」はまるでぎりぎりで股間を隠して描かれるルネッサンス期の希臘神話の神々のようにエロチックだ。殆ど碌な食事をしていないにも関わらず『歯車』はファルスも隠せない作品である。
これもまた私の勝手な色眼鏡や抜群な思い付きですら
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか33 全部男だ
全部男だ
たまたま持ち出した織田作之助の『夜の構図』と比べてみた時、『歯車』の登場人物はその不自然さが際立っている。
どういう了見か「僕」は女を見かけはするもの姪と姉と妻以外、つまり家族以外の女と会話をしない。
確認してみよう。
間違っていたら切腹ものだ。
或理髪店の主人、この人物は短い顋髯の持ち主なので男性だろう。
或会社にいるT君、これも男だろう。女は悪意のない限り女を女とは
芥川龍之介の『あばばばば』をどう読むか⑦ それは書かなくてもいいこと
これは本来墓場まで持っていくべき話だが、このnoteの閲覧者はきわめてゼロに近い、つまり見ないでスキを押しているだけなので、安心して書いてしまおう。携帯電話をライト代わりに翳してくれたおかげで、待ち受け画面にしてある彼氏の写真が見えたことがある。彼女は間もなく結婚したが相手は別の男性であった。おそらくそういうことはよくあることなのだろうが、何故か女性はそんなことを隠したがり、男性は知るのを恐れる
もっとみる芥川龍之介の『歯車』をどう読むか32 驕れるもの久しからず
・「春秋」は孔子が書いたものではないと主張
・「屠竜の技」「寿陵余子」というあり得ない話を持ち出す
・楠木正成の敵は誰かと問う
どういうわけか「僕」はロジカルである。むしろそんなあからさまな、一切隠されていないことどもを無視して、芥川龍之介の自殺という外側の事情だけを読み解くために『歯車』を読むこと、それは読書でも眺書でもなく、単なる誤読である。
ごく冷静に考えてみれば、天照大神は実在しな
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか31 赤と緑の対比
赤と緑の対比、そんないかにも蓮實重彦が書きそうな文字を連ねてみる。そのやり口は見え透いている。例えば夏目漱石の『それから』には赤と緑の対比があった。緑の世界に留まりたい気持ちがありながら赤の世界に放り出される代助がいた。では『歯車』の世界はどうだろう。かりに赤と緑を抽出してみれば、そこには将棋の対戦者の昼飯やスイーツほどの見事な対比が現れるものだろうか。
赤
緑
防衛増税。
岸田政権が
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか29 生肉でもあるまいに
ココアを二杯、ブラックコーヒーを一杯、ウイスキーを一杯、『歯車』という作品の中で「僕」はほとんど食事らしい食事をしていない。それはけしてたまたまではない。
蛆はまるで肉を食うことを禁じるように今更どこかから湧いてきた。
生肉でもあるまいに!
それが仮にもビーフステーキであるなら、蛆も焼けて出て來た筈だ。それなのについついにょろにょろしてしまう。にょろにょろ君はなかなか死にきれない。夏目
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか26 読みすぎてはいけない
村上春樹は伏線を回収しないタイプの作家だ。例えば、リトル・ピープルがなんなのか僕にも解りませんと平気で言ってしまう。テーマもメッセージも、そういうものはとくにありませんと言ってしまう。
しかしその作品の中では思わせぶりに既存の文学作品であったり、音楽が登場する。『1Q84』ではジェームズ・フレイザーの『金枝篇』やアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフの『サハリン島』などが引用され、どうしてもぼ
芥川龍之介の『歯車』をどう読むか27 それは単なる「ミス」だった
日本文化の土俗的な、あるいは伝統的なゆるい汎神論は、時に言葉遊び的にありふれたものを聖化してしまう。古くはAKB48の「神セブン」から、最近目にしたケースでは「から揚げの天才」の「冬の神! カキフライ」といったコピー迄、軽々しく神を持ち出す。まさか本当にカキフライが神だとは信じていないだろうが、このコピーを考えたものは耶蘇教徒ではないことだけは確かで、タルタルソースと別のソースがウスターなのかオ
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