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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか33 全部男だ
全部男だ
たまたま持ち出した織田作之助の『夜の構図』と比べてみた時、『歯車』の登場人物はその不自然さが際立っている。
どういう了見か「僕」は女を見かけはするもの姪と姉と妻以外、つまり家族以外の女と会話をしない。
確認してみよう。
間違っていたら切腹ものだ。
「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るって云うんですが」
「昼間でもね」
僕は冬の西日の当った向うの松山を眺めながら、善い加減に調子を合せていた。
「尤も天気の善い日には出ないそうです。一番多いのは雨のふる日だって云うんですが」
「雨の降る日に濡れに来るんじゃないか?」
「御常談で。……しかしレエン・コオトを着た幽霊だって云うんです」
或理髪店の主人、この人物は短い顋髯の持ち主なので男性だろう。
「あすこに女が一人いるだろう? 鼠色の毛糸のショオルをした、……」
「あの西洋髪に結った女か?」
「うん、風呂敷包みを抱えている女さ。あいつはこの夏は軽井沢にいたよ。ちょっと洒落た洋装などをしてね」
或会社にいるT君、これも男だろう。女は悪意のない限り女を女とは呼ばないものだ。
「もし堯舜もいなかったとすれば、孔子は嘘をつかれたことになる。聖人の嘘をつかれる筈はない」
或名高い漢学者は獅子のように白い頬髯を伸ばした老人だ。この人も男だろう。
「ここにありました。このバスの部屋の中に」
「どうして又そんな所に行っていたのだろう?」
「さあ、鼠かも知れません」
この給仕が男性か女性か。
或女給の言葉。――いやだわ。今夜はナイホクなんですもの。
註。ナイホクはナイフだのフオオクだのを洗ふ番に当ることである。
それだけならばまだ好いいでしょう。そこへまた時々親戚などから結婚問題を持って来るのよ。やれ県会議員の長男だとか、やれ鉱山持ちの甥だとか、写真ばかりももう十枚ばかり見たわ。そうそう、その中には東京に出ている中川の息子の写真もあってよ。いつかあなたに教えて上げたでしょう。あのカフェの女給か何かと大学の中を歩いていた、――あいつも秀才で通っているのよ。
一つは長女に後を向けて次男に乳をのませてゐる女親。
一つは或女給の胸に下つたいろいろの学校のメダルの一ふさ。
一つは或玄人上りの細君の必ず客の前へ抱いて来る赤児。
どうも芥川の語彙としては女給は女、給仕は男である。
「ちょっと通りがかりに失礼ですが、……」
それは金鈕の制服を着た二十二三の青年だった。僕は黙ってこの青年を見つめ、彼の鼻の左の側に黒子のあることを発見した。彼は帽を脱いだまま、怯ず怯ずこう僕に話しかけた。
「Aさんではいらっしゃいませんか?」
これはやはり男だろう。どうしてこうも男ばかりなのだ。
「もし、もし、二十銭頂きますが、……」
僕の投げ出したのは銅貨だった。
これが男だという確証はない。しかし女でも無かろう。ここをさして女が現れたとするわけにはいかない。
君はここに泊っているのですか?」
「ええ、……」
「仕事をしに?」
「ええ、仕事もしているのです」
この或先輩の彫刻家は短い山羊髯を反らせている。これまた男性だ。
「何時?」
「三時半ぐらいでございます」
この給仕も男だろう。密かに女物の下着を身に着けているのかもしれないが。
「どうした、君の目は?」
「これか? これは唯の結膜炎さ」
応用化学の大学教授も男だろう。
「その植木屋の娘と云うのは器量も善いし、気立も善いし、――それはわたしに優しくしてくれるのです」
「いくつ?」
「ことしで十八です」
屋根裏の隠者はやはり男だ。
僕の次にはいったのは或地下室のレストオランだった。僕はそこのバアの前に立ち、ウイスキイを一杯註文した。
「ウイスキイを? Black and White ばかりでございますが、……」
ここも性別は不明。しかしやはりここでも女性とする根拠はなく、家族ではない女性と会話をしたということはできない。
「エエア・シップならばございますが、……」
これも給仕、男だ。
「Mrs. Townshead……」
何か僕の目に見えないものはこう僕に囁いて行った。
僕の目に見えないもの? お前は誰だ?
「Le diable est mort」
お前も誰だ?
後は家族との会話だ。こう男ばかりが現れるのは女性差別だ。という話ではない。ここまで徹底して女を眺め、表向きには女と会話しない「僕」がやはり女好きであることをわざわざ芥川は書いているというのだ。
僕は十分とたたないうちにひとり又往来を歩いて行った。アスファルトの上に落ちた紙屑は時々僕等人間の顔のようにも見えないことはなかった。すると向うから断髪にした女が一人通りかかった。彼女は遠目には美しかった。けれども目の前へ来たのを見ると、小皺のある上に醜い顔をしていた。のみならず妊娠しているらしかった。僕は思わず顔をそむけ、広い横町を曲って行った。
大抵の若い男は、いやさして若くなくとも、若く美しい女性についつい目を奪われるものだ。それは大抵の若く美しい女性なら誰でも気が付いていよう。そしてその視線が老いにつれて次第に少なくなることを。しかしこんなに露骨に書かなくても良さそうなものだ。遠目に美しいということは、遠くから獲物を狙うように眺めていたということになる。そして視線を外さず近くに来ては顔面を凝視し、ついにお腹の出具合を確認して顔をそむけたことになる。
妊娠していたら顔をそむける?
なんたる性的人間であることか。これはつまり書かれていない部分で仕事以外のこともしているという仄めかしであろう。
この「僕」に、織田作にちなんで渾名をつけてみよう。
「芥川龍之介」
ここは笑うところだ。
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