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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか39 お髯のない「僕」

 夏目漱石はいつでも先生で、芥川龍之介はいつでも悩める文学青年だ。その違いはどこから来るのかと言えば、やはり髭であろう。
 恐らくそのことに芥川は自覚的であった。

 夏目漱石を夏目先生と呼びながら、「僕」は先生と呼ばれることにどうしても耐えられない。

「何か御用ですか?」
「いえ、唯お目にかかりたかっただけです。僕も先生の愛読者の……」
 僕はもうその時にはちょっと帽をとったぎり、彼を後ろに歩き出していた。先生、A先生、――それは僕にはこの頃で最も不快な言葉だった。僕はあらゆる罪悪を犯していることを信じていた。しかも彼等は何かの機会に僕を先生と呼びつづけていた。僕はそこに僕を嘲ける何ものかを感じずにはいられなかった。何ものかを?――しかし僕の物質主義は神秘主義を拒絶せずにはいられなかった。僕はつい二三箇月前にも或小さい同人雑誌にこう云う言葉を発表していた。――「僕は芸術的良心を始め、どう云う良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」……

(芥川龍之介『歯車』)

 このことはある意味奇妙なことでもある。井伏鱒二、佐藤春夫、菊池寛を先生と呼び、常に弟子であり続けた太宰治の羞恥心とは別の、そしてまたここにわざとらしく告白されている罪の意識などというものとは全く無関係な、「先生ではない気質」というものが芥川にはあったのではなかろうか。お父さんであることさえ苦痛なのに、その上先生と呼ばれなくてはならないことに我慢がならない。そんな我儘のような自由さが芥川にはある。

 例えば三島由紀夫は先生と呼ばれることを恥じる羞恥心に欠いていた。そしてある日スポーツジムでたまたま原稿用紙を抱えていた浅田次郎を見て厭な顔をした。こういう捻じれは夏目漱石にはない。英語でも小説でも自分が教えられるものはその辺の子供にでも押しかけて来た女にでもなんでも教えたし、文学青年を毛嫌いすることもなかった。夏目漱石はいつでも先生であり、三島由紀夫は先生ではなかった。

 芥川龍之介にも教師経験はある。しかし教師にはなり切れなかった。

 こんな頓珍漢な話もあるが、やはり芥川龍之介は誰の先生でもない。そのことは『歯車』に現れる四つの「ひげ」が象徴的に表していよう。

彼は棗のようにまるまると肥った、短い顋髯(あごひげ)の持ち主だった。

彼は丁度獅子のように白い頬髯(ほおひげ)を伸ばした老人だった。

轢死した彼は汽車の為に顔もすっかり肉塊になり、僅かに唯口髭(くちひげ)だけ残っていたとか云うことだった。

彼は不相変らず天鵞絨の服を着、短い山羊髯(やぎひげ)を反らせていた。

(芥川龍之介『歯車』)

 いや、はっきりとは書かれてはいないが牧羊神の表情を示す屋根裏の隠者ももみあげから顎にかけてやはり豊かな髭を蓄えていたことだろう。妻の弟も無精ひげを生やしている。そしておそらく「僕」にはお髭がない。髭を生やすほど偉くなれないからだ。冗談でも吾輩と言ってみることも出来ない。偉くなってしまうことへのうっすらとした軽蔑がこの「ひげ」の例示には込められているとみていいだろう。

 それから又僕の隣りにいた十二三の女生徒の一人は若い女教師の膝の上に坐り、片手に彼女の頸を抱きながら、片手に彼女の頬をさすっていた。しかも誰かと話す合い間に時々こう女教師に話しかけていた。
可愛いわね、先生は。可愛い目をしていらっしゃるわね

(芥川龍之介『歯車』)

 この生徒に嘗められ切った先生よりも「僕」の目の方が可愛らしいだろう。それにしてもさすがに異常だ、嘗められ過ぎているなと改めて思えばこそ、ここには「僕」が先生であることに対する困難さが示されていると見ることも出来ようか。
 そうでなければやはり「膝の上に坐り、片手に彼女の頸を抱きながら、片手に彼女の頬をさすっていた」というふるまいは変だ。

 先生になれない可愛らしい「僕」を描いて、この期に及んでまだ女にもてようとしていたのか、龍之介! とは言うまい。「僕」の持っている神経、とはある意味の清潔さである。

 私が、文芸家協会云々のことに反対すると、彼はそれなら今後、印税はあの中に入れてある各作家に分配すると言い出したのである。私は、この説にも反対した。教科書類似の読本類は無断収録するのが、例である。しかるに丁重に許可を得ている以上、非常な利益を得ているならばともかく、あまり売れもしない場合に、そんなことをする必要は絶対にないと、私は言った。その上、百二、三十人に分配して、一人に十円くらいずつやったくらいで、何にもならないじゃないかと言った。私が、そう言えばその場は、承服していたようであったが、彼はやっぱり最後に、三越の十円切手か何かを、各作家の許にもれなく贈ったらしい。私は、こんなにまで、こんなことを気にする芥川が悲しかった。だが、彼の潔癖性は、こうせずにはいられなかったのだ。

(菊池寛『芥川の事ども』)

 こうせざるをえない、それは「気質」というもので芥川の神経は潔癖性に働いた。精神病の狂人のふるまいではない。それは繰り返しになるがこんなところに表れている。

 僕の見たものは錯覚ではなかった。しかし錯覚ではないとすれば、――僕は午飯の世話にならないうちに姉の家を出ることにした

(芥川龍之介『歯車』)

 姉の家だから昼飯くらい世話になってもいいじゃないか、鰻飯くらい出前してもらえばいいじゃないかと思うが、「僕」にはそれができない。親子丼が食べられない。それが『歯車』のルールだからだ。

 いつの間にか容易く偉くなり、先生になってしまう人は多い。「僕」はそうではない。そういう神経を持つているのだ。その神経は最後まで持っている。この潔癖症の「僕」にあだ名をつけよう。

 芥川龍之介。

 ここは泣くところだ。



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