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戸坂潤「現代に於ける「漱石文化」」

現代に於ける「漱石文化」

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 今日の吾々から見て、漱石の有つてゐる意義は、勿論第一には大正期の代表的な作家としてである。それがどういふ作家であつたか、所謂低囘趣味や何かの作家であつたかどうか、又ヨーロヲパ大戰後まで生きてゐたらば日本の思想的變動からどういふ風な影響を受け取つたらうか、といふやうなことは今の處論外としておかう。

 とに角彼は第一に作家として思ひ起こされる。だが漱石を一個の作家としてだけ見ることは、云ふまでもなく側面觀に止まつてゐる。尤も人間漱石を見ろとか何とか云ふ意味ではない。今日島崎藤村が徹頭徹尾作家であるといふやうな形に於ては、漱石は單に作家であつたのではない。彼は勿論、有名な學者であつた。イギリス文學史の大家であつたばかりでなく、一般に極めて博學な文藝學者であつたことは人の知る通りである。

 だが又この側面も之を單に學究といふ側面としてばかり片づけることは、正當ではないやうだ。彼がたゞの文學的學究ではなかつたことは、オイケン流の理想主義哲學を愚弄したり、ヰリアム·ジェームスの心理學に感心したりするその仕方の內にも、その氣概の中にも、見出されよう。

 思ふに漱石はイギリス風の實證家であつた。そのことは「文學論」に現れた思辨の内によく出てゐる。だが、それといふのも、實は漱石が學究ではなくて、その本質に於ては評論家であり、批評家であつたからだらう。新聞記者となることを帝大教授になることよりも意義があると考へた、あの當時としての先見もこゝと無關係ではあるまい。

 尤もかう云つた處で、漱石が第一に作家であつたといふことを、少しも變更するものではない。寧ろ評論家であり批評家であり、又時とするとジャーナリストでさへありさうなこの文學者は、イギリス文學の流れから云ふなら、作家としても當然至極なコースにあつたことを知らねばなるまい。

 作家の本質と評論家の本質とが割合大きく結合した資質は日本の文學では乏しいのだが、少くとも漱石はさうした資質の代表者であつた。彼を大きく見せ、彼の影響が、後に見るやうに今日までも綿々としてつきないのも、こゝに大いに原因してゐると考へないわけには行かぬ。

 例へば上田敏もこのタイプに近い處の大をなした人だつたらう。處が厨川白村(※『虞美人草』の小野のモデルと言われている)は遂に作家ではなかつたが、同時に大きい勢力は有たなかつた。しばらく內容は拔きにして、形式上の資質から考へるとすれば、作家と評論家との資質を兼ねそなへることが、作家として又評論家として、必要かどうか、善いか惡いか、それは別として、とに角二つの資質を兼備したものが、大をなしたといふことは、注意すべき一つの法則のやうだ。

 少くとも吾々の近代日本人の文化意識から云つて、大きな文學者といふ範型はさういふ範型であるらしい。これは勿論常識で、少し文句をつけようとすればいつでもつけられるが、併しこの常識がとに角一應常識として通用してゐるといふ事實は、吾々日本人の近代的文化意識から云つて、大切な參考資料ではないだらうか。とに角漱石に對する尊敬·信賴·傾倒·崇拜·ファナティズム、それから敬遠·不滿·不快·憎惡·も亦、漱石のどこかしらに持つ重さに對する反應なのだが、この重きをなし大をなす所以をよく考へて見ると、どうしても例の二つの資質の結合の內にあるやうだ。

 學者が書いた小說だといふことが(學者といふ意味が何であれ)無知な人間にも文化人にも、大きな文化的魅力だつたのだ。だが私は夏目漱石論をやらうとするのではない。現代乃至最近の日本の文化的相貌の内に、云はゞ「漱石文化」の遺產や發達をさへ見出すことが出來る、といふことが、指摘したいのである。

 而もこの現代の漱石文化なるものは決して單純な意味での文學の世界に限られないことも、前に云つたことから當然だ。文化全般に於ける漱石的要素なるものが問題だ。そしてこゝに「學者であつて小說を書いた」漱石といふことが、深い關係を有つのである。

 もし漱石が思想家であつたかといふ問題が提出されたら、私は充全な意味では思想家ではなかつたと答へるべきではないかと考へる。漱石は思想家ではなくて寧ろ文化人である。といふ意味は、他ではないので、思想の自由といふものは新しい文化を創設するにしても、必ずしも旣成の文化の尺度·標準·を與へる役目を有つものではないからである。思想は新文化を產み出すものだが、新らしい文化はそれが極めて新しい限り、從來の尺度から云つて決して文化的には見えないものだ。その意味で思想は文化の否定といふ性質をさへ持つことが出來るものだ。

 處で漱石の場合、その重きをなし大をなした所以は新しい思想の誕生や舊文化に對するヴァンダリズム文化の創生などではなくて、あくまで既成の、常識的に許容された意味での「文化」の高水準にあつたのだ。で彼は思想家であるよりも寧ろ文化人だ。彼は文化の批判者ではなくて、文化の王座であり、或ひは文化の模範であつた。こゝが漱石の偉大さである。

 世間の博學から無知に至るまでの人間達が、漱石について感心し、之にあやからうと考へる點は、文化の內容的批判者としての彼ではなくて、文化の形式的な最高標準としての彼である。多少語弊はあるが、天才としての彼ではなくて、秀才としての彼なのである。漱石が天才か秀才かなどを論じてゐるのではない。「漱石文化」が繁榮するのは、文化的秀才としての漱石に淵源してゐるのである、といふのだ。

 さて今日、漫然と「教養」と呼ばれてゐるものが、この文化的秀才らしさと、直接の關係があるのである。芥川的教養といふことも云はれないではないが、それは勿論、漱石的教養に遡らねば說明出來ないことだ。つまり今日普通、教養と考へられてゐるものは、漱石的教養であり「漱石文化」の意識に由來する教養の觀念なのだ。

 だから前に云つた處から、この教養は思想としてではなくて文化として、文化の批判者としてではなくて旣成文化の高水準に立つものとして、尊重される。それであるが故にまた、今日この漱石的·漱石文化的·教養は、何となく疑問を持たれたり、信賴されなかつたりもするのである。

 漱石がその作品に於てシンセリティーを缺いてゐるといふ說は、大部分一種の傳說にすぎぬやうであるが、併し彼が思想家ではなくて文化人であるといふ意味に於ける「教養」人であつたことは、この說の無意識な動機をなしてはゐなかつたかと思はれる。寧ろ漱石位眞劍なモラリストはゐないだらう。特に「それから」や「門」以後の、エゴイズムとの取り組みは歿後當時赤木桁平(今の右翼的代議士·池崎忠孝氏)が解說した通りだらう。だがそれを裏づけるものはあくまで、つき破り打ちつける「思想」ではなくて、文化的「教養」の高さであつた。文化の變革の意識ではなくて文化の享受の意識であつた。新しい教養は舊い教養を打ち破らねばならぬ。これは文化についてと全く同じことだ。處がかういふ破壞的再構成的な教養は、現象としては却て教養なく見えるものだ。教養が旣成文化の享受(又はその批判的享受であつてもだ)である限りはだ。―こゝに漱石的教養と漱石文化とに於ける、所謂シンセリティーの缺如と稱されるものゝ、本質がある。

 私はひそかに考へてゐるのだが、例へば谷川徹三氏の如きは、漱石文化圈の選手であり、漱石の云はゞ三代目ではないだらうか。勿論オーソドックスの文學史から云へば、作家でない谷川氏は漱石の後繼者ではないし、又氏自身の立場から云へば、何も特に漱石ばかりが自分のヱレメントでも由來でもないと云ふだらう。だがそれにも拘らず、「漱石文化」といふ文化史(?)から云ふと、兩「アベ」や和辻氏が二代目か二代目半とすれば三代目は谷川氏あたりであらう。そしてこの三代目は「斜に貼る」三代目ではなくて、大いに「漱石文化」の家を興す三代目であるやうだ。

 處でこの谷川氏が時々、つまらぬ某々の男からであらうと、そのシンセリティーを云々されるのは、漱石文化史上、意味がなくはないのである。

 漱石自身がどうであつたかといふことが、こゝでの問題ではない。漱石流の文化·漱石流の教養·が何であるかゞ話題である。漱石的教養がシンセリティーを缺くやうにも言はれるのは、教養が單に教養に止まつてゐて、まだ本當に思想にまで昇つてゐないといふ點からだ。と云ふのは、まだ文化·思想·そのものを變革する處の思想となつてゐないからだ。つまり廣汎に理解された世界の變革への思想とは獨立に、教養がたゞの教養として、例へば古代のある時代に於ける情熱としての宗教が文化と區別されたやうな意味での文化として、たゞの文化財として、價値を持つてゐるからである。

 個人主義かエゴイズムかの限界をつきつめて見ようとした漱石自身の文學上の精神が、社會問題や文化問題に對してどういふ態度に出るべく用意したであらうかは、文藝史家の研究に一任しよう。それがどうあらうとも、こゝで見てゐる漱石的文化·漱石的教養·は、さういふ關心とは喰ひ違つたものであることに、私は注意を促したい。

 漱石文化は例へば社會主義やマルクス主義と對蹠的な反對物、その意味で反動的だ、といふわけには行かぬ。對蹠や反對や對極といふやうに、同一線に並ぶのではなくて、二つはお互ひに縱と横との關係なのだ。それが實際上のエフェクトから云つて進歩的な役割をもつか反動的な役割をもつかは、一概には決まらないが、とに角、興味は進步や反動にあるのではない。あくまで想定された「文化」なるものゝ水準の高さ一般といふ抽象物が關心の對象だ。

 實は今日に於ける漱石文化のエージェントの一つは、岩波書店の存在なのだ。岩波書店が漱石自身と如何に深い關係があるかは、誰でも知つてゐるが、私の指摘したい點は、岩波書店による出版物の一般的な特色が、正に現在に於ける漱石文化を、如實に物語つてゐる、といふ點なのである。―そこで言葉は少し妙になるが、岩波出版活動が進歩的か、反動的かといふことになると、一寸答へるに困るかも知れない。

 勿論岩波書店の本は大體に於て、政治的意識及び文化的意識をつき合はせて見て、決して反動的とは云へない。寧ろ進歩的なのだ。では社會に於ける進步性といふものだけを主な標準にして見て、岩波出版物の品質を充分理解出來るかといふと、又決してさうではないのだ。岩波出版物のねらつてゐる點は、所謂進步的であるか所謂反動的であるかではなくて、それより先に、文化一般といふ抽象物についてその水準が以何に高いか、といふことにあるのだ。一岩波書店がマルクス主義にぞくする名著を出版するとすれば、それはマルクス主義思想の眞實といふ資格を買つたのではなくて、その文化財としての價値を買ふからに過ぎぬ。

 如何に愚劣な思想內容のものでも、文化的な威容さへ持てば(例へば學殖·學界常識·旣成文化圏內の文化的好み·文化的テクニックの發達·等)一つの文化財として尊重される。―かくて岩波臭といふ一つの好みが、藝術や哲學や社會科學や自然科學の內にさへ發生してゐるわけなのである。文化財として價値があれば、それは眞實を持つことだから、思想として愚劣であることなどはあり得ない、と云ふかも知れないが、さうではないのだ。なぜといふに、こゝで文化財と評價されるものは、既成文化をそのまま標準化した際の文化財のことで、無條件に、旣成のブルジョア文化の力一杯の精華に他ならぬからだ。學究的實力もあり文化的氣品もあるに拘らず、一種思想上の卑俗感を與へるのはこれだ。」

 阿部次郞(及び安倍能成)を二代目漱石文化の代表者だとすれば、和辻哲郞教授は寧ろ約二代目半の代表者である。前に云つたやうに谷川徹三氏を三代目とすればだ。處で例へば雜誌「思想」などは、漱石=岩波文化の長處と短處を、最も要領よく現してゐるだらう。次郞氏が最近「新思潮的活動をしなくなつたのは、現代の漱石文化が、すでに二代目と三代目との間へ來てゐるせいだらう。或ひは「ケーベル」文化(?)が邪魔をしてゐるのかも知れないが。


 かうした漱石=岩波文化が、今日の學藝文藝の世界に於けるアカデミーの標準と、可なり一致してゐることは、不思議ではない。漱石文化に立つ岩波的ジャーナリズムは、それ自身アカデミックなものだからだ。こゝに岩波書店出版物の學界其他に於ける信用と名譽とが約束されてゐるのも、又決して不思議ではない。と共に(本屋のことはどうでもいゝが)現在に於ける漱石文化なるものが、學界·一部の文藝界·又一般文化界·高尙な常識界·などに於て占める威容ある地位も、容易に理解出來る。

 つまり今日の日本の文化人の世界では、而も高尙な文化人の世界では、高級常識から云ふと、漱石文化が文化そのものゝスタンダードになつてゐるのである。科學でも藝術でも、時には宗教さへが(但し邪教はいけないが)、このスタンダードに照して評價される。之は現下の、日本の意外に强靱な、高級大常識なのである。

 このスタンダードは、高い文化水準を意味してゐる。だがそれは高い思想水準と一つではない。又は(文化といふ言葉をもつと將來のあるものとして使へば)高い技術水準を意味してゐるが、高い文化水準は意味してゐない、と云つてもよい。現在の日本に於けるアカデミシャニズム、及び云はゞアカデミコ·ジャーナリズムの、最も優れた形態が殆ど總てこゝに歸着するやうに思はれる。

 アカデミシャニズムは往々滑稽なもので諷刺の對象であるが、こゝのアカデミシャニズムは、最も隙のない形のもので、決して滑稽視される心配のないものなのである。にも拘らず世間からは、色々と不滿を持たれてゐるものだ。世間はその不滿をうまく云ひ表せない。手强い相手なのだ。でかういふ風に漱石文化の特色を展開して來ると、それはもはや漱石自身の文化的傳統とは必ずしも關係のない現象ともなる。

 要するに夫は、現代ブルジョア日本の文化圈に於ける形式上の高水準、といふものを意味するに他ならない。さういふ「文化」·「教養」·「氣品」·「好み」·を、そしてそれに對する忠實な秀才徒弟の賞揚を、意味するのだ。―だがまづ漱石門下の漱石文化者だけでも數へて見よう。哲學では今の處一寸見當らぬ。實證家であつた漱石は、あまり「哲學」は好きではなかつたやうだ(彼は少くともエルトマン近世哲學史の英譯は讀んだと思ふが)。

 阿部次郞氏も安倍能成氏も普通の範疇としての專門哲學者ではない。谷川氏もさうだ。西田幾多郞博士の西田哲學は勿論漱石自身とは全く關係がない。尤も西田哲學の社會的意義は、全く(漱石門外の)漱石文化にぞくすると考へられるのだが。

 續いてあげれば倫理學の教授となることに決心した和辻博士位だらう。だが之を文藝評論家乃至文藝研究家として見れば、門下的漱石文化のエージェントは、日本の文化の世界に、實に手廣い地盤を有つてゐる。兩アベを始めとして、小宮豐隆·野上豐一郞·和辻哲郎·其他の諸氏は、動かすことの出來ない勢力を占めてゐる。又更に直接聲咳に接しない半門下的漱石文化人としては谷川徹三·林達夫·本多顯彰·其他の諸氏を數へることが出來る。

 どうもかう考へて來ると漱石文化圏の外にゐる文化人は何か品が惡いやうな氣さへする。それ程漱石文化は文化的紳士のスタンダードなのだ。作家では勿論、芥川龍之介が、代表者である。久米正雄氏は門下であるが今日ではもはや漱石文化の圈外にある。通俗小說を書くからである。

 松岡讓氏は門下で家系にさへぞくすると云つていゝやうだが、文化史上漱石物かどうか研究をまつて決めるべきだ。

 現在の門下的漱石文化人で異色のあるのは、內田百閒氏であらう。氏の隨筆の隆盛は漱石文化の小スケールな示威運動だ。漱石門下で漱石文化の批判をやらねばならぬ位置におかれてゐる變り種は、左翼の作家評論家江口渙氏である。そして池崎忠孝氏はもはや「文化人」ではない。― 自然科學關係では寺田寅彥の隨筆が、今や一世を風靡してゐる。津田靑楓氏は「日本畫」に多忙である。等々。(一九三六)

[出典]『世界の一環としての日本』戸坂潤 著白揚社 1937年

[付記]

 戸坂潤といえばカントとか空間論みたいな難しい本しか読んだ記憶がないので、そもそも夏目漱石について書いていたのが意外だった。漱石=岩波文化の指摘は戸坂潤が起源なのかな。

 この後池崎忠孝は日米開戦論を弁じ、戸坂潤は唯物論の研究に進む。そして何故か(なんでや?)戸坂は特高につかまり、終戦直前の八月九日に疥癬により長野刑務所で獄死した。三木清は九月二十六日にやはり疥癬により獄死している。池崎忠孝はA級戦犯の容疑で巣鴨拘置所に拘留されたが釈放された。そんな未来を知りつつ読むとなかなか感慨深い。











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