読み誤る漱石論者たち ダミアン・フラナガン② 谷崎は芥川の弟子ではない。
ダミアン・フラナガンが毎日新聞にまたいい加減なことを書いている。これを読むのは主に外国の人なのだろう。間違った情報が海外に発信されているとしたら、いや、実際にされているのだが、これは彼個人の問題ではなく、そのプロフィールで公にされている出身大学やこの記事を掲載している新聞社の問題でもある。
まず基本的な誤りを指摘すれば、谷崎潤一郎は芥川龍之介の弟子ではない。敢えて言えば、永井荷風の引きで世に出たようなところもあり、付き合いも長く続いたが、誰かの弟子という括りに谷崎は当てはまらないだろう。またこういう表現の中ではあたかも谷崎が漱石山脈に連なるかのような印象を与えかねないので注意が必要だ。
さらに言えば、小宮豊隆や鈴木三重吉は間違いなく漱石の弟子であり、和辻哲郎も漱石の弟子と呼ばれることに異存はなかろうが、芥川龍之介と夏目漱石の関係は彼等とはやや異なる。弟子というからには漱石を先生と呼ばなくてはならない。芥川龍之介の場合「夏目さんもまだまだだ」と云っており、先達の恩人としては認めていただろうが、師事する意識はなかったのではなかろうか。また太宰治が芥川にあこがれていたことは有名であるけれども、芥川が誰かの師匠であったことはなく「多くの文豪の師匠」という表現は根本的に可笑しい。
無論谷崎も作中で何度か夏目漱石を論じているが呼称は「夏目さん」であり、師事する意識はない。ここまでは大抵の日本人なら同意してもらえる内容であろう。
唯一評価すべき点は、芥川が「若者に長年愛されてきた」とする独自の踏み込みである。逆に私は芥川が「多くの大人にご卒業されてきた」ことに興味を持つて居る。しかし独自の研究をさも周知の事実のようにさらりと書いてしまうのは良くない。どこがどうだからこう、なにがどうしたのだからこうと、より具体的な事実を示して論じるべきであろう。
While out walking, the protagonist Sosuke observes men putting winter cladding on a tree and begins to consider buying himself a winter coat and selling off a family heirloom to buy it. This heirloom falls into the hands of his landlord who, Sosuke is shocked to discover, is an associate of his former best friend Yasui. Sosuke's wife Oyone was once Yasui's lover, and when she left him for Sosuke, it caused a falling out between the two men and changed the cuckolded Yasui's entire life course.
Hearing from the landlord that Yasui has become an "adventurer" in Manchuria and that he is about to come back for a brief visit sparks a spiritual crisis in Sosuke. He flees temporarily and embarks on his own uncharacteristic "adventure," seeking mental salvation in a Zen temple.
これは『門』のあらすじである。DeepLの語訳かと思えばそうではなかった。「 she left him for Sosuke」と書いてある。毎日新聞には英語が分からないけど英語版の担当をしている編集者が存在するのだろうか。「彼女が宗助のもとを去ったことで二人の仲がこじれ」ではなんのことかわからなくなる。
ここにも彼の悪い癖が出ている。宗助の参禅を「冒険」と定義することで、安井と対を作り出したいのだろうが、そもそも逃げ出すことを冒険とは呼ばない。また正確に言えば坂井の弟は「冒険者」だが、安井は必ずしも「冒険者」とは書かれていない。「彼らは安井を半途で退学させ、郷里へ帰らせ、病気に罹らせ、もしくは満洲へ駆りやった」と書かれ、坂井の弟の友達であるだけである。
oseki too, the "literary psychopath," worked and slaved, and if he did not quite cut off his ear, he was quite prepared to harm himself in other ways, abandoning his wife and children for two years, his mental and physical health failing as he moved himself into ever more depressing lodging houses in his ruthless pursuit of literature. He eventually ended up in a room close to Clapham Junction, where he could from dawn to dusk hear the incessant clank and grind of locomotives, the ultimate symbol of the nervous breakdown-inducing twentieth century.
Prone to bouts of violent paranoia, for years afterwards, Soseki was obsessed with the idea of being enslaved. He closely read up on the ideas of Nietzsche -- yet another tormented, self-destroying artist -- on the subject. In his 1907 novel, "The Poppy," his male protagonist Ono is described as suffering spiritual enslavement at the hands of a forceful young woman, and in his 1908 novel, "Sanshiro," Soseki took inspiration from Aphra Behn's novel, "Oroonoko" -- about an African prince cast into slavery -- and repeatedly compared his protagonist Sanshiro to such a "Royal Slave."
まず夏目漱石のニーチェ観から整理しておこう。確かに漱石はニーチェを読んだ。その上でこう書いている。
ニーチェは弱い男であった。多病な人であった。また孤独な書生であった、とは意外な捉え方ではある。ただ兎に角夏目漱石にはそう見えたのである。夏目漱石にとってニーチェは心酔する対象ではなく、憐れむべき奴さんである。
またこのように揶揄うべき対象でもある。また、
ニーチェ解釈としては「大将少しやけになってあんな乱暴をかき散らしたのだね」とは、やや極端に感じられてしまうが、実際のところ夏目漱石のニーチェ観というものはこの程度のものだろう。ドストエフスキー程度に感心するところはなく、軽く面白がって切り捨てている。
しかしダミアン・フラナガンは『門』の参禅と、『ツァラトゥストラ』で三十男が山に登り山から下りるという冒頭の設定を強引に結びつける独自解釈をしていることから、どうしても夏目漱石に対するニーチェの影響を過大視したいようだ。
1907年の小説「罌粟(けし)」と云われてはて何のことかと思えば、どうも『虞美人草』のことのようである。ここにもダミアン・フラナガンの「お話を作ろうとする強引さ」が現れている。『三四郎』に現れる「奴隷」とはこの場面のことを言うのであろう。
この「美禰子にモデルにされる」というところから生じる酔いは、少なからず受け身の感覚、「見られるという快感」を含んでいるのだと見てよいだろう。だがこれはまた、
この場面とあらかじめ意識の上で重ねられていることから、「花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである。」という思いが、引っくり返されたこと、ながめるべきところを逆にながめられたらという転倒の快感であることを見ておかねばならないだろう。ここに強引に奴隷だのマゾヒズムなどとどぎつい言葉を持ち込む必要はない。
ここまで書けば「俳友・正岡子規の支配に密かに反旗を翻し、文学の道を歩み始めた。」以降の強引な解釈にいちいち反論する必要もあるまい。第一奴隷になりたいのに反旗を翻すとは、ここでも逃避を冒険と見做すような訳の分からない理屈のねじれができあがっている。
漱石と正岡子規の交際には支配も裏切りもない。漱石はわざと下手な俳句を詠んで子規に直させるようなこともすれば、英文にまで「ベリーグッド」と勝手に評価を与える子規の無茶を受け入れていた。この生涯得がたい友情の間に勝手な裏切りを捏造することは許されるべきことではない。
どうか私の漱石論を読んで出直して欲しいものだ。
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