見出し画像

読み誤る漱石論者たち ダミアン・フラナガン 謎の女?

  夏目漱石を偉大な作家であると認める評論家にこそ素朴な読み誤りが多いのは何故かなどと大人しいことを書くつもりはない。どれほど謙虚になろうと、これはとても素朴な読み誤りなどではないのだ。

日本近代文学の最高峰といわれる夏目漱石(1867-1916)は、これまで何百冊もの批評書を生み出してきた。しかし、本当の夏目漱石は、従来の説明では信じられてきたよりもはるかに心理的に複雑で、残忍なまでに激しく、呪われた人物、つまり狂気と絶望の頂点に立つ人物であった。このシリーズでは、ダミアン・フラナガンが、遅咲きながら非常に多作で幅広い文学キャリアを持つ彼が、トマス・ド・カンセイのアヘンによる夢からインスピレーションを得て、自らの芸術的独立を主張し、次第に夢のような現代世界の再現に着手していく様子をロンドンで追跡しています。

https://mainichi.jp/english/articles/20220408/p2a/00m/0op/017000c

 このようにしてダミアン・フラナガンは小宮豊隆から石原千秋までを全否定することになる。しかしその漱石観は噴飯物と言わざるを得ない。

漱石は、文学的野心のために自分や他人を残酷に犠牲にする、一種の「文学的サイコパス」になりつつあったのである。家族も友人も捨てて地球を半周し、大嫌いな国で半貧困の生活を送るというのは、他にどんな理由があるのだろう。漱石は狂気のふちに立たされ、狼のように吠え、現実の殺人鬼と同じように不気味な存在である。

 これは単なる事実誤認であるばかりか、不要な脚色である。漱石は英語教育法研究のため留学したのであり、文学的野心のために自分や他人を残酷に犠牲にしたわけではない。

 余の命令せられたる研究の題目は英語にして英文学にあらず。余はこの点についてその範囲及び細目を知るの必要ありしを以て時の専門学務局長上田萬年氏を文部省に訪ふて委細を質ただしたり。上田氏の答へには、別段窮屈なる束縛を置くの必要を認めず、ただ帰朝後高等学校もしくは大学にて教授すべき課目を専修せられたき希望なりとありたり。ここにおいて命令せられたる題目に英語とあるは、多少自家の意見にて変更し得るの余地ある事を認め得たり。かくして余は同年九月西征の途に上り、十一月目的地に着せり。(夏目漱石『文学論』序)

 このような間違った前提からは誤解しか生まれない。
 他にどんな理由があるのかということも多くの人によって研究されている。留学以前の漱石の「文学」は趣味の俳句に留まり、それは半ば友人正岡子規との「交流」の意味合いも持っていた。潜在的に文学への意欲があったことは否定できない。潜在的だから見えない。漱石自身は『吾輩は猫である』という小説を書くことが出来たことに対して「ああいう時期に達していた」と必然的であったかのように述懐している。一方作家になれたことに関しては「偶然」と見做している。

 けれども私が文学を職業とするのは、人のためにするすなわち己を捨てて世間の御機嫌を取り得た結果として職業としていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して来たのだと見るのが本当だろうと思います。(夏目漱石『道楽と職業』)

 さらにダミアン・フラナガンはおかしなことを言い出す。

 ロンドンのベッドでの回想から5年も経たないうちに、漱石は親友の子規を「殺した」と言い出し、以後、一人の男が親しい男友達を裏切り、愛する女を奪うという主題が、洪水のように彼の書く小説の中で支配的で永遠と繰り返されることになる。その最も有名な小説「こころ」では、大切な若い女性を友人の手から奪い取った結果、その友人が静かに壮絶な死を遂げ、心に残る後悔を残すことになった。
 漱石がこれほどまでに心を揺さぶられ、執着心を抱いた謎の女性を、多くの漱石研究者が漱石の生涯の中に見つけようと徹底的に試みたが、誰も納得のいく形で特定することはできなかった。漱石自身の人生においても、女性はほとんど登場せず、長年連れ添った妻は、彼の気分の火山性変化と時折起こるパラノイアを辛抱強く見守る存在に過ぎなかった。


 ダミアン・フラナガンは『こころ』のKが正岡子規だと言いたげだが、それでは『こころ』を読んだことにはならない。『こころ』ではKに裏があることが仄めかされており、先生がKを裏切っただけという単純な話にはなっていない。もしKが正岡子規だとしたら、漱石はKの裏切りも書いていることになり存在しなかった「裏切りあい」が捏造されてしまうことになる。

 またここで言われている謎の女性とは嫂などのことではなく、「子規と取り合いになった女性」という意味だろうか。子規と漱石の間で女の取り合いになったという話は聞かないし、そもそも漱石は子規を裏切ってもいないから、ここには無駄な詮索だけがあるように思う。漱石には子規に対する後ろめたさも見受けられない。どのような理由から彼が、『こころ』のKが子規だと思い込んでいるのかは分からないが、やはり間違った前提からは誤解しか生まれないと繰り返すしかない。
 ちなみに、


『漱石のマドンナ』には十一人の女の名前が挙げられる。『道草』の御縫は日根野れん、『草枕』の那美は前田卓子、井上眼科の待合室であった女は外務省某局長の娘、『硝子戸の中』で漱石を訪ねてくる女は吉永秀、三千代は鰹節屋の御神さんだそうである。

 ……として、古くからの友人の一部が頑なに口を噤んでいるものの、漱石の女性関係はほぼ掘りつくされていると言ってよい。やはり子規と漱石の間で取り合いになった謎の女性はそもそも存在しないと見てよいだろう。

 ダミアン・フラナガンによって夏目漱石の間違ったイメージが拡散されるのは残念なことだ。また子規と漱石の友情が存在しない「裏切りあい」によって涜されてしまうことには憤りさえ覚える。いや、憤りではない、この感情はやはり「こんなくだらないものが堂々と流通しているな」といういらだちと呆れだろうか。うん。そうだな憤ってはいない。「こんなくだらないものが堂々と流通しているな」とは一人、ダミアン・フラナガンだけに向けられたいらだちではない。流通には受け手も関与している。





流通させてね。

【余談】「地獄」は「地極」

 ダミアン・フラナガンは宗教的な「地獄」と「買春」意味の「地獄」を混同しているが「買春」意味の「地獄」は「地極」であり、宗教的な「地獄」とは関係ない。

 外国文学を研究することはかほどかように困難なことなのだとしておこう。「大森」の意味も「待合」の意味も変わっていく。日本人には夏目漱石が解るわけはないという決めつけ、慢心を捨て、謙虚に学びなおしてもらいたいものだ。




 ちなみに元少年Aの『絶歌』でカマキリの古名「イボジリ」が使われますが、これは四国に残った呼び方で、沖縄出身なら「イシャトゥー」「サール」「マーミーシ」と言わないのが変。

https://www.nacsj.or.jp/shirabe/2008/07/1754/


阿片溺愛者の告白



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?