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芥川龍之介の『歯車』をどう読むか26 読みすぎてはいけない

 村上春樹は伏線を回収しないタイプの作家だ。例えば、リトル・ピープルがなんなのか僕にも解りませんと平気で言ってしまう。テーマもメッセージも、そういうものはとくにありませんと言ってしまう。

 しかしその作品の中では思わせぶりに既存の文学作品であったり、音楽が登場する。『1Q84』ではジェームズ・フレイザーの『金枝篇』やアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフの『サハリン島』などが引用され、どうしてもぼんやりした意味を持ってしまう。しかし厳密な像は浮かばせない。そのやり口を何と呼ぶかは別にして、これも間テクスト性というレトリックの一種だと見做してよいだろう。

 しかしそうした「作品」ではないもの、小説の中に固有名詞を持ち出すことにはどのような意味があり得るだろうか。

 たとえば『歯車』に現れる二つ目の固有名詞、「カイヨオ夫人」、1914年3月16日に「カイヨー事件」という殺人事件を起こして有名になった。1914年とは大正三年の話だ。夏目漱石が『こころ』を書く寸前の出来事だ。これは相当昔の話、まさか芥川が柳川隆之助の頃の話でも読まされているのかと一瞬思う。
 いや、そうではなかろう。
 今更ながら「カイヨー事件」のようなスキャンダルが「僕」にもあることが仄めかされているのだろう。
 そう気が付いてしまうと「マダム・ボヴァリイ」やら「暗夜行路」といった仄めかしが急に嘘くさく思えてくる。
 「カイヨー事件」はスキャンダルを暴露した新聞社の編集者を射殺する事件だ。「マダム・ボヴァリイ」は、若い男との浮気、「暗夜行路」は不義の子である苦しみ……いずれも男女関係の乱れの話ではあるが、小説の背後にある芥川龍之介の私生活の秘め事を示唆するものではない。

 「アナトオル・フランスの対話集」や「メリメエの書簡集」に関しては詳らかにしない。

「罪と罰」と「カラマゾフ兄弟」の製本屋の綴じ間違え? にどんな意味があるのかも定かではない。しかし「罪と罰」の「罪」と「僕」の「罪」は全く別の種類の「罪」であることは想像に難くない。いや勿論作者は芥川龍之介の私生活の秘め事を暴露しようとなどはしていない。しかし明らかに何かを匂わせ、そしてはぐらかしている。

 もしもこんな芥川龍之介の自著解題が新発見されたとしたらどうだろう。

とくに意図ってないんですよね。最初なにかの断片があって、それがちょっとずつ僕の中で膨らんでいって、そのうちに物語になっていきます。すごく自然に。 テーマもメッセージも、そういうものはとくにありません。あるのかもしれないけど、僕にはわからない。僕はただ文章を使って話を書いているだけです。お役に立てなくて申し訳ないですが。

 あるいは、

いつも僕の本を読んでくださってありがとうございます。僕の書く小説の意味がわからない、ということですね。そうですね、変なものがいっぱい出てくるし、変なことがいっぱい起こります。その意味をいちいち考え始めると、わけがわからなくなるかもしれません。でも作者である僕にだって、僕の本の中で、わけのわからないことはたくさんあります。でも「わけはわからないけれど、これは正しいことなんだ」という確信があるから、そのように書いています。迷いなく書いています。たぶんそこで大事なのは、「わけがわからない」ものを、わけがわからないなりに、しっかり受け止められる力です。僕らがこの人生を――このときとして苛烈で残酷で悲しみに満ちた世界を――生きて行くには、そういう力が必要になります。もしあなたが「よくわけがわからんけど、読んでいて面白い」とお感じになるのなら、あなたはその「わけがわからない」ものをしっかり受け止めておられるのです。だから大丈夫です。気にしないで、どんどん読んでください。

 これでは全ての芥川研究家がずっこけるしかない。
 いや、こんなものが存在しなかったとしてもずっこけた『歯車』論がまさに今どこかで書かれてはいまいか?

 仮に『歯車』を恐ろしいと読まなくてはならないなら『保吉の手帳から』も十分に恐ろしい。『歯車』を面白いと読むのならば、『保吉の手帳から』は面白い。いや『歯車』を精神異常で自殺した作家の遺作として読むことを強いられなければ、両作ともふわふわしていて面白いのだ。

 明らかに何かを匂わせ、そしてはぐらかすことを詐欺と呼ばないでよければ、それは確かにふわふわとして面白いのだ。

 ふわふわとして面白いでは論文にならぬから何とかこむつかしい理屈を捜してしまう。そして汚染データが増えてしまう。それほど近代文学を涜す振舞はなかろう。「カイヨー事件」から一つ教訓が得られるとすればスキャンダルの暴露は剣呑だということだ。そのくらいの間テクスト性なら、芥川も認めてくれるのではなかろうか。



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