芥川龍之介の『歯車』をどう読むか42 多分あなたは気が付いていない
もしも新人作家がこんな原稿を持ち込めば、親切な編集者はたちまち注文を付ける。あるいは即座に原稿をゴミ箱に捨てる。(苛立たし気に叩き込む。)
繰り返し何度も眺めながら、何も読もうとしない頑固な人々はまだ何のことかわからないだろうか。
倫敦塔に断頭吏はいるが絞首吏はいない。鴉が三羽でてきたところで『倫敦塔』を思い出さない漱石門下はいないだろうし、二羽では真ん中はなく、三羽でなくてはならないという理窟が分からない郵便配達員も相撲取りもヤクルトおばさんもいまい。ただ芥川龍之介の眺者だけがそんな理屈が理解できない。
「一面」「ニ三羽」「四たび」、つまり真ん中にいた鴉が四回鳴いたのが確かなら、鴉はニ三羽ではなく、確かに三羽いたんじゃないかとベテラン編集者は云うかもしれない。足の親指の爪に黒い垢を貯めながら、黒くても「あか」とは妙だとも思わないまま。
いえ、四回鳴いたのは確かなんですが、二羽か三羽かははっきりしないのです、と言い訳をしたとして、でも真ん中が鳴いたのは確かなら、両端がいたということで、と食い下がられるだろう。
そこに女が現れ「あの鴉は五羽います」という。
あの鴉は? 腹の出た編集者は困惑する。何故女は「あの鴉は何にも食べたがっていやしません」というのかと。それはおそらく麺麭よりも確かなものを食べて来たのだという「お知らせ」に過ぎない。
残りの二羽はまだ食べている途中でしょうが、と。
しかし『歯車』の何羽いるのか不確かな鴉は腹を減らしている。誰かが死ぬのを待っているからブランコ台にとまっているのだし、この男はもう真ん中に鴉がいるのに二羽か三羽か分からなくなっている。
一町って、何メートル? もう孫もいる編集者は尋ねる。去年からNISAとiDeCoを始めた。百メートルと一寸です。なら、二百メートルか三百メートルの間に、四度犬が通るのは多いな。それでつまり、半面だけ黒い犬って右左、背中とお腹? 残りは白いの?
この「黒犬」とさっきの「半面だけ黒い犬」は同じなの? 別なの? 同じだとしたら「半面だけ黒い犬」って「黒犬」と呼ばれてしまうわけだ。半分なのに。
あしゅら男爵はどうなるのかな。
それにしたって、「それから又僕の足もとには黒犬も一匹横になっていた」ということは、いつの間にかその犬を「僕」が手懐けていたということになるね。唾液のついたビスケットでもやって。別だとしたら、少しやかましすぎないかな。
え?
それが「誰にもわからない疑問」?
さて、この黒犬は妻の実家の飼い犬でしょうか?
それとも半面だけ黒い犬でしょうか?
「僕」は「黒犬」が妻の実家の飼い犬であることをすっかり忘れていて、「半面だけ黒い犬」は「僕」を覚えていたから、「二三町を通るうちに丁度半面だけ黒い犬は四度も僕の側を通って行った」んじゃないの?
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