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夏目漱石の『こころ』をどう読むか477 朝刊を読め
乃木大将は何故死んだのか?
それでもこれまで私は乃木静子の死にばかりフォーカスして、肝腎なことを見逃していたかもしれない。
確かに漱石は新聞に載った乃木希典の遺書を先生に読ませながら、敢えて軍旗を奪われたことにフォーカスして、「乃木静子の死」といういささか度の過ぎた冗談から読者の気を逸らせるという、ミスディレクション、赤ニシンというレトリックを使っている。
しかしよくよく考えてみれば、そもそも乃木希典にさえ死なねばならない客観的な理由などないのであり、その死は、死の直前に撮られた写真を眺めれば眺めるほど、そう、まさに芥川龍之介の『将軍』にあるようにどうにもちぐはぐなものなのだ。
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「写真をとっても好いいじゃないか? 最後の記念と云う意味もあるし、――」
「誰のためにですか?」
「誰と云う事もないが、――我々始めN閣下の最後の顔は見たいじゃないか?」
「それは少くともN将軍は、考うべき事ではないと思うのです。僕は将軍の自殺した気もちは、幾分かわかるような気がします。しかし写真をとったのはわかりません。まさか死後その写真が、どこの店頭にも飾られる事を、――」
少将はほとんど、憤然と、青年の言葉を遮った。
「それは酷だ。閣下はそんな俗人じゃない。徹頭徹尾至誠の人だ。」
しかし青年は不相変らず、顔色も声も落着いていた。
「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等より後のちの人間には、なおさら通じるとは思われません。……」
父と子とはしばらくの間あいだ、気まずい沈黙を続けていた。
「時代の違いだね。」
少将はやっとつけ加えた。
「ええ、まあ、――」
青年はこう云いかけたなり、ちょいと窓の外のけはいに、耳を傾けるような眼つきになった。
大正十年十二月、芥川が生涯で最も重い神経衰弱に罹っていた時期の作品である。おそらくここで芥川は夏目漱石の『こころ』のモチーフを引き取ってはいまい。しかしこの乃木夫妻の殉死の報は森鴎外を半信半疑にさせ、立て続けに殉死小説を書かせただけではない。
巷には乃木夫妻の死は「他殺」であるという「デマ」が流れ、時の赤坂警察署の本堂署長が火消しに回らねばならない程度に、この死は誰にとってもいかがわしいものであったことは確かなのだ。皮肉屋の宮武骸骨は「殉死という上古式の美名を博した、近世の大立物」と評している。
※上古式 ……大昔の 大立物 ……芝居の激しい立ち回り
しかしである。事実が間違いなくそうであるならば、十三日夜の自決が十四日の朝刊新聞に発表されたのに、同日の午後にはもう「世上にデマがとび」、そこで署長が至急に記者会見し、翌十五日にはこうした談話記事が出るとは、いったい何故であろうか。
明治四十五年にはまだ本物の侍たちが生きていた。刀で人を切ったことのある人たち、刀で人に切られた人たちが生きていた。堺事件を生々しい地続きの現実として記憶している者も生きていた。そうした人たちにしてみれば、介錯人もなく乃木夫妻が二人だけで見事に殉死したなどという話はまず「どこかおかしい」ものではあったのだ。
鼻眼鏡で新聞を読む老人が、これから妻を殺すことも可笑しければ、崩御の日に発作的に死ぬのではなく御大喪の日にのんびりと死ぬことも可笑しい。軍旗を奪われた日に切腹するのならまだ分かる。
それはいかにも遅いのではないかと、夏目漱石は先生の遅すぎる死で訴えていたのではなかろうか。
生かされる前提で書かれた遺書があるにも関わらず乃木静子が殺されることと、生かされる前提で書かれた遺書があるから静が生かされることが対になるなら、乃木希典と先生の遅すぎる死も対になる。
先生の眼鏡と乃木希典の眼鏡も対になる。いやそれは対にはならない。
もう一度画面ををスクロールして件の写真を見て欲しい。正装帯剣をして、何故新聞を読んでいるポーズを選んだのか?
何故起立して撮らないのか。
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そして乃木希典のお惚け顔と妻・静子のあきれ果てたような表情を見くらべて欲しい。
これがダイイングメッセージならば答えは新聞にある。乃木希典は「新聞を読め」というメッセージを残した。遺書を書き直すこともなく。
それにしても「十三日夜の自決が十四日の朝刊新聞に発表された」とはどういうことか。三島由紀夫のように昼間っから大暴れしたわけでもないのに。入稿の締めが何時で、印刷が何時なのだ? 活字を組むのは手作業だ。今のようにぱちぱちワープロで打つわけではない。朝刊は遅くとも午前三時には配達店に届いていなくてはならない。それから折込チラシを挟み込み、夜明け前に配達される。
いささかでも新聞の仕組みを知っているものにしてみれば、「十三日夜の自決が十四日の朝刊新聞に発表された」……ネットニュースでもあるまいに、という感想が浮かんできてもおかしくはない。記事は翌々日に出るべきであった。
余程根回しが出来ていて、準備万端だったようだ。
夏目漱石もそのことには気が付いていたのだろう。だから先生に新聞を読ませた。新聞には書いてあることと書いていないことがある。小説にも。
私は気が付いていなかった。昨日まで。
生きていてよかった。うっかり『こころ』を読まないまま死ぬところだった。
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