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谷崎潤一郎の『羹』を読む 明治天皇崩御、御大喪、乃木大将夫妻の「殉死」のない風景の中の落ちのない青春群像

https://www.gutenberg.org/files/36459/36459-h/36459-h.htm

※ここから『羹』が読めます。


 村上春樹さんの『羊を巡る冒険』では、三島由紀夫の死が、わざとらしくあえてどうでもいいこと、自分たちとは無関係で興味のないこととしてやり過ごされる。実際の大学時代の村上春樹さんは早稲田の和敬塾で当時右翼の総括を恐れて枕の下に包丁を隠して寝ていたそうで(「日刊アルバイトニュース」より)、村上春樹さんが一年生当時、三年生森田必勝は早大国防部の部長、民族派の親玉、三島由紀夫は既に森田必勝の親分であり、村上春樹さんにとって三島由紀夫という存在は畏怖の対象でもあり、その死はとてもどうでもいいことではなかったことは否めないだろう。敢えて言えば、直視できないまがまがしきこと、背中を向けるべきことであり、拒絶するべきことだったのだ。

一人息子と云へば、大抵人困らせの我が儘者が多いのに、宗一は物心の付いた頃から、未だ嘗て兩親の仕打ちに不滿を抱いたことなはかつた。「さすが苦勞をしただけあつて、あのくらゐ道理の解つた行き屆いた人達はない。」とか、「よくもあんな似合の夫婦が揃つたものだ。」とか、世間に噂をされる通り父も母も珍らしく感心な、氣だてのいい人であると思つて居た。こんな結構な二た親に對して、彼は不孝をしたくも出來なかつた。(谷崎潤一郎『羹』)

 こうしてまた何の疵もない橘宗一が主人公の『羹』は、岡田美代子と橘宗一のロマンチックでセンチメンタルな恋物語である。
 まさかね。そんなわけはないだろう。

 やがて其のうちに八月も暮れて、丁度小田原から四本目の端書のとゞいた時は明日から一學斯の始まると云ふ九月十日の夕ぐれであつた。(谷崎潤一郎『羹』)

 九月から新学期が始まる学生生活の暦の中で、完全に無視されたことがある。明治四十五年七月末の明治天皇の崩御、大正元年九月十三日の御大喪、そして乃木大将夫妻の「殉死」である。学生の生活がどんな事件にも関わらず、段取りを踏んで進んでいくことは喜ばしきことである。しかし『羹』では見事にそうした俗世の出来事が無視される。なんでもない年の何でもない季節を岡田美代子と橘宗一は生きる。あたかもそうした国家天下のドタバタ喜劇がなかったかのように、青年たちは青春を味わい尽くす。結婚が出来なかったら独身を通すとまで言い張る一人息子と一人娘が跡継ぎの問題でなかなか前に進めない。進めないながらに清いロマンチックな駆け引きの末、さてどうなるのかとは誰も思わないだろう。いつその清らかな青春の薄皮が裂けて、どろどろとした忌まわしいものが溢れてくるものかと、ずっと期待しながら何も起こらない。山口がAdulteryをする。橘が美代ちやんを追つ駈ける。佐々木が春子を振つたり惚れたりする。しかし何も起こらない。

宗一に取つて、今年ほど忘れられぬ年はあるまい。去年の秋から持ち越した肋膜の大病が漸く直つて命拾ひをしたのも今年である。初戀の味を舐めてから、此れまでの人生觀が動搖し出したのも今年である。茅が崎から歸つて半年の間に茶屋酒を飮む度胸も附いた。親を欺く行爲もあつた。贅澤な金遣ひの方も覺えた。戀と學問とを、同じ程度に尊重する積りであつたのが、健康を快復してから、彼はどれだけ勉強をしたであらう。どれだけ讀書をしたであらう。(谷崎潤一郎『羹』)

 こうして何事もなく年は呉れる。明治天皇が崩御し、乃木大将夫妻が殉死した。しかし若者たちにとってはそんなことは本当にどうでもいいことのようだ。一言も話に出ない。友人らとの歓談の中で如何にも難しそうな話が飛び出すも酔っぱらいのたわごとである。

「僕は決してモーラリストぢやないが、無理に道德に反抗して痛快がつたり、新しがつたりするのは、今ぢやもう古いよ。實際無意味な話だよ。今日の社會は、さう云ふ生半可の近代人の多きに苦しんで居るんだから、道德に遵奉しない迄も、何とか新機軸を作らんけりやあならんね。僞善の人を誤るよりも、寧ろ僞惡の人を誤る方が、どのくらゐ有害だか知れやしないぜ。世間では多く功利主義の道德を目して僞善と云ふけれど、其のくらゐの程度の道德を持つて居ることは一應必要だらうと顯ふ。勿論其れが、根抵のある人生觀の上に築かれて居なくつても、差支ないんだ。寸毫も自己のSincertyを傷つけやしないんだ。」かう云つて杉浦は眞面目になつた。「さう云ふ話は、わしにやよく解らんがな。」と、山口は默つて了つた。到底議論をしても、抗はないとあきらめたらしい。(谷崎潤一郎『羹』)

  こんな真面目腐った話も詰まるところ、

「先生も僕が止めようとした時には散々忠告した癖に、いつの間にか還俗したから可笑しいよ。しかし思ひ切りが惡くつて、『僕にはどうも神の存在を全然否定する氣になれない。』と云つて居るがね。一體何かに感心し易い男なんだから、いまだにエマーソンやカーライルを讀めば、直ぐと動かされるんだ。どうしても彼れは文學者よプリーチヤーの方が適任だね。-ま、あゝ云ふ人間は、始終何かに刺戟されて、緊張したライフを送つて行けるだけ幸福だよ。」
「あんまり幸福でもないさ。-そんなライフは煩悶が少くつて氣樂かも知れないが。決して美ましいとは思はんぜ。何の爲めに僕等は學問をしたんだ。何の爲めに僕等は知識を要求したんだ。われわれはモウ少し眼を高い所に据ゑて、努力を繼ける必要があるよ。神を信じたり、女に惚れたりして、濟まして行かうとするのは恥づ可きことだ。苦しくつても淋しくつても、光榮ある孤立を維持して行く人間があつたら、それが一番えらいんだ。僕の如きは、たしかに其の一人たるを失はないね。」酒臭い息と一諸に議論を吹き掛けながら、杉浦は肩を怒らし、眼をむき出して夢中になつて居る。(谷崎潤一郎『羹』)

 この偉さが続かない。

野村江戶趣味とか、清水クリスチヤンのやうな眼の低い連甲は、彼等相應のライフに甘んじて居るからいゝが、吾輩不幸にして眼識一世に高く、天下に賴る可き何物の價値をも認めない爲めに、斯くの如く孤立して居る。(谷崎潤一郎『羹』)

 こう息まいた杉浦はそのまま寝てしまう。岡田美代子と橘宗一の縁談は美代子の母の反対で頓挫してしまう。それでもかるた会やら観劇やらと賑やかに過ごす宗一は、山口に誘われて女を買いに行く。その首尾は書かれていないが、吉原と銘酒屋で迷った挙句花川戸の待合で済ませたようだ。
 この山口と云う男、始終女郞買ばかりしている。吉原ばかりか、品川でも、新宿でも、千住でも、洲崎でも、山口の足を踏み入れない所はなかつた。若し放蕩の結果が、誰に對しても山口と同じやうな、荒んだ人間を作らせるならば、放蕩程忌まはしい物はない、と宗一は思っていた。ぼちやぼちや太つた女が太好きである。男と云ふものは關係が附いて了へば、直に女を棄てるという自説を持っている。煙草屋の娘と関係するが、その娘には男がいると解る。遊んでいても成績は落ちない。
 野村は江戸趣味である。野村は「交際術の一種」と稱して、池の端の碁會所へ通つて居る。「予ハ實ニ野村ヲ恐ル、彼ハ予ノRivalナリ、予ハ如何ニシテモ彼ノライゾルヲ破ラザルベカラズ。」と清水に恐れられている。
 野村と旅行に行く大山は馬鹿だか、えらいんだか、判らん男だ。一心不亂に書物を読む。超然として他の連中をは關係なく、勝手に歸つて來て、飯を食つて、勝手に寢て、勝手に勉强して居る。英文の方では大山が首席になる。団子鼻である。
 杉浦は色の白い才子肌の男であつた。中島を尊敬している。ぼんやりしている宗一に意気消沈しているねと声を掛ける。川甚の女中はみんな杉浦の顔馴染であつた。東北弁の義太夫でみなを笑わせる。智勇兼備である。悪口やである。
 文科の佐々木は無骨な容貌に似合はぬ美音家で、平生から詩を吟ずるのを得意として居た。色の黑い、頑丈な顔である。田舍者を標榜している。春子を振つたり惚れたりする。宗一よりも一層神經質だ。湯殿で宗一の母に、「ほんとに佐々木さんは好いかつぶくで居らつしやること。」と褒められる。歌舞伎の好悪、批評を宗一たちに一向に顧みられないことに田舎者の僻みを見せる。お静に恋をして嫉妬する。しかし田舎者の佐々木はお静から拒絶され絶望する。
 浅川の姉のお静は二十一ニになる。美人である。このお静と乃木大将の静子夫人とは無関係だろう。

佐々木と淺川が腕組をして坐つて居る前に、姉のお靜は母親と並んで手すりに凭れ、平土間に波打つ群集の頭の上を、餘念もなく眺めて居る。丁度一階と二階の境目の提灯に電燈がともつてお靜の額を眞下からありありと照し、うつとりと無心に一方を視詰めた儘人形のやうに靜止して居る目鼻立を、極めて鮮明に浮き出させて居る。殊に、ピクリとも動かさぬ瞳の色の潤澤、魅力の强さ、宗は今日程お靜の眼つきを美しいと思つたことはなかつた。「彼の女は何者だい。まさか藝者ぢやあるまいな。」と、杉浦が訊く。「あの男の姉さんなんだ。」(谷崎潤一郎『羹』)

 清水と中島は近眼である。中島は高い鼻を持っている。杉浦から正直だと尊敬されている。中島は野球をする。清水はテニスをする。中島は頑健な體格をしている。豪傑である。無邪気である…。

 総じて青春群像である。『あくび』の何倍か長いものの、『あくび』の焼き直しのような、それでいて気の利いた仕掛けの見えない、毒のない小説である。夏目漱石の描いたヒロインたちが、自ら相手を選ぶ新しい時代の女たちであったことに比べると、谷崎の描く女たちはまだ家に縛り付けられていて、いかにも自由がない。…などと時代と女を簡単に括ってしまえばたちまち近代文學1.0に堕ちてしまうので、気をつけないといけない。

 この『羹』の大きな筋は宗一の恋愛がゲスに堕ちた感じとでもいうのだろうか。そういう視点で、はて、と振り返ると誰も彼もうまくいっていないことに気がつく。

「今に己達は皆山口のやうになつてしまふんだ。失戀した者の運命は誰も彼も同じ事だ。」ふと、さう思つて、橘は默然として相手の顔を視詰めて居た。(谷崎潤一郎『羹』)

 この早すぎる一般化という認識のバイアスは、云わんかな題名で予告されていた通り、「羹に懲りて膾を吹く」という傷つきやすい青年たちに対する皮肉である。一方、女たちは、ある意味自由なのだ。

どうにでもなれと云ふやうな心地になつて、通りすがりの宿場宿場の情を賣る女共に身を任かせる事をさへ、厭ひませんでした。-あゝ、何といふ淺ましい我になつたのでせう。(谷崎潤一郎『羹』)

 …と佐々木は嘆く。その嘆きの向こう側には宿場宿場の情を賣る女共が存在する。吉原ばかりか、品川でも、新宿でも、千住でも、洲崎でも、色が売られている。銘酒屋でも待合でも色が売られている。

「お風呂が沸いて居りますが、お召しになつては如何でございます。」女中が茶を出しながら訊いた「いや、僕はいゝ。」「あたしも澤山よ。」美代子は半分宗一の方を向いて答へた。(谷崎潤一郎『羹』)

 宗一と美代子のデートの場所でも女中はそういうものと心得ている。

僕の友達なんか女と一緒に森ヶ崎の鑛泉へ云つたら、賴みもしないのに眞ツ書間夜具布團を出されて、閉口したさうだ。」「其の女つて云ふのは、女學生なの。」「うん。」(谷崎潤一郎『羹』)

 たまたま宗一や佐々木らが「素人」相手にそうならなかっただけで、時代が女を縛っているわけではないのだ。現に山口をAdulteryに陥れたのはただの汚い煙草屋の娘である。宗一と杉浦にちらりと秋波を送る。煙草屋の娘の男というのは帝大の大学生だ。夏目漱石は確かに新しい時代の女を描いたが、その一方で『それから』で赤坂の待合を仄めかすに留まり、そうしたヘロドトスの『歴史』に描かれる有史以来の巫女的女性を描かなかった。谷崎は敢えて家に縛られる古い女を描きながら、純朴な青年たちを救済する巫女的な女性の存在もはっきりと示している。
 羹とは古い女である。此の一文字で書かれていない「に懲りて膾を吹く」姿が目に浮かぶ。

※一応この作品は中断したとされている。落ちもないが主題を見出せず毒も吐けないことからそのままになってしまったかと思われる。





媚び諂う こびへつらう 諂 はテン へつらう。おもねる。こびる。
峡 かい 両側から山が迫っている所。山と山との間。
幽邃 ゆうすい けしきなどが奥深くて物静かなこと。
ドーア ドア
千代田草履

女物の草履の一種です。明治時代末期ごろから流行し、今日の和服用の草履の形となる過渡期のものです。かかとの部分をばね仕掛けとして、台の間に空気が入っているように見せたものであるため、空気草履ともいいます。のちには、男性も履くようになりました。


お納戸の絽織

紋紗の丸帯

絡み織りにした織物である紗に、地紋を織り出したもの
幅広く織った帯地を縦二つに折って、芯を入れて仕立てた帯

磯馴松 海の強い潮風のために枝や幹が低くなびき傾いて生えている松。 いそなれまつ。 そなれ。
大膽 だいたん
十四貫八百匁      55.5キロ ガリガリですがな。
妾腹 しょうふく 妾(めかけ)から生まれたこと。そういう子供。妾出。
竊む ぬすむ 窃む
舊派俳優

成田屋の追善劇

追善(ついぜん)”とは故人となった俳優の回忌の年(宗派によって異なります)に、その冥福を祈って行われるものです。 歌舞伎の世界では襲名に並ぶ大切な公演と言われ、息子や孫、また縁のある俳優たちが出演して、故人ゆかりの作品が上演されます。

高麗藏 市川 高麗蔵

染五郎

女中に笑われていた  これは 四代目市川染五郎が → 八代目市川高麗蔵を襲名したことを知らないとことを笑われたのか。四代目市川染五郎の『勧進帳』は絶品とされている。

すててこ

照降町 中央区日本橋小舟町一丁目・芳町二丁目・小網町付近。

向島の水神 水神 料亭・八百松?

https://meiji-meisho.at.webry.info/201805/article_5.html


流連 遊興にふけって家に帰るのを忘れること。いつづけ。

御入來

茅ヶ崎に入院  南湖院

毫末 ごうまつ 細い毛の先ほど、わずか。秋毫(しゅうごう)。

松葉牡丹

六代御前 平高清 平六代

文覺上人

高山樗牛

江尻か何處か  高山樗牛の墓は龍華寺(りゅうげじ)にある。場所は  静岡県静岡市清水区村松。江尻は今の静岡市静岡市清水区南部の地区。
平維盛

義太夫の『鮨屋』『義経千本桜』?


『伊賀越』『伊賀越道中双六』?

絲尻 糸底 陶磁器の底の部分。 成形のときに糸でろくろから切り取った底部。 また、一般の焼物の底座をもいう。 糸切り底。
勵ます 励ます
ゴールドスミス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9

『滑稽戀の尺蠖蟲』『負けるが勝ち』
ホーソン

『トワイス・トールド・テイルズ』

レクラム ドイツの出版社。 1828年、アントン=レクラムがライプチヒに設立。 1867年から「レクラム世界文庫」を刊行。 日本の文庫本の手本となった。
アンカット

エルテル ウエルテル?『若きウェルテルの悩み』?
キヤツセル?
渉獵 諸を読み漁ること
向が岡の寄宿寮  向ヶ岡にそそりたつ 五寮の健児意気高し

日和下駄 歯の低い晴天用の下駄
久留米絣

烏賊煎餅

琉球疊

ロッセチ? クリスティーナ・ジョージナ・ロセッティ?

I HAVE been here before,
But when or how I cannot tell:
I know the grass beyond the door,
The sweet keen smell,
The sighing sound, the lights around the shore.

You have been mine before,—
How long ago I may not know:
But just when at that swallow's soar
Your neck turned so,
Some veil did fall,—I knew it all of yore.

Has this been thus before?
And shall not thus time's eddying flight
Still with our lives our love restore
In death's despite,
And day and night yield one delight once more?

Sudden Light (by Christina Georgina Rossetti)

私は以前ここにいたことがある
しかし、いつ、どのように私は言うことができない
私はドアの向こうの草、甘い鋭い匂い、ため息の音、海岸の周りの光を知っている。
あなたは以前私のものだった、 - どのくらい昔か分からない
しかし、しかし、そのツバメが舞い上がったとき
あなたはそびらをむけた
羅衣(うすぎぬ)が落ちた、
私はそれをすべて昔知っていました。
このようなことが以前にもあったのだろうか。
そして、このように時間が流れ、死にもかかわらず、我々の生命で我々の愛を回復し、昼と夜が再び一つの喜びをもたらすことはないのだろうか。

媚めく なまめく

still,sad music of humanity  ワーズワースの詩
新内流し 顧客を求めて遊里や飲食街の街頭を演奏しながら歩く。 2人一組。 太夫は地の三味線,三味線方が高音 (たかね) を奏する。
孰何 どツち
浦里時次郎 初代鶴賀若狭掾(わかさのじょう)の新内節「明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)」の主人公。

縷述 るじゅつ こまごまと述べること。
嫻う ならう 嫻は ①みやびやか。しとやか。②ならう。なれる。 カン。

Hの話 春子の話?
笹の雪の豆腐 

昇之助 女義太夫節太夫 豊竹昇之助
襟懐 きんかい 胸のうち。 思い。 考え。 胸懐。

朶寮前 年落成の新寮を乃木将軍に因んで朶寮と称し落成式を挙行

alas 悲しいかな
欽仰  尊敬し慕うこと。 きんこう。 きんごう。
通曉 夜を通して 暁 あかつき に至ること。 夜通し。 知り抜くこと。 深く知ること。

大石良雄 
伊藤仁斎

市村羽左衛門

秩父銘仙


寧日 ねいじつ 安らかな日。平穏無事な日。
倉惶 あわてふためくさま。 あわただしいさま。

浩嘆 ひどくなげくこと。
花村 中鐵 大國屋
帛紗 ふくさ 服紗 袱紗
繍れ つづれ
梅幸

芝翫

擯斥 ひんせき のけものにすること。

薩摩下駄 駒下駄に似た形で、台の幅が広く、白い太めの緒をすげた男性用の下駄。
迚も とても
日本堤


洲崎 江東区東陽一丁目の旧町名。
一盞 いっさん 一つのさかずき。さかずき一杯の酒。
啣む ふくむ
鯉こく うろこはとらない。女中に笑われるのはそのため。
江北江南無限の情

何處花香入夜清?石林茅屋隔溪聲。
幽人月出每孤往,棲鳥山空時一鳴。
草露不辭芒履濕,松風偏與葛衣輕。
臨流欲寫猗蘭意,江北江南無限情。

王守仁

二上りの新内

拱いて こまねいて
分擔 分担
自動電話 公衆電話の旧称
大島の亀甲絣

剥き身の芥子あえ

盃洗 酒宴でさかずきを洗いそそぐ器。
お酉様 例年11月の酉の日[1]に行われる祭。
蝦の糝薯 さんじょ 魚をすりつぶし、すったヤマノイモを加えて調味し、蒸したり揚げたりゆでたりした練り物。 鶏肉・カニなどを加えることもある。真薯 しんじょ 魚をすりつぶし、擦った山芋と卵白を加え調味し、蒸したり揚げたり茹でたりした練り物の一種。
清元 三味線音楽のひとつで、浄瑠璃の一種。
保名 軽佻
とたん葺き トタン板で屋根をふくこと。 また、トタンでふいた屋根。案外こういうことが解らなくなりそうですね。昭和だとトタン屋根は貧乏な家の象徴ですね。掘っ立て小屋の。明治の感覚が私には今ひとつわかりません。安普請であることは間違いないのですが。

ゆたかおり 経(たていと)に紡績糸、緯(よこいと)に稭(わらしべ)を綿糸にからめたものを用いて織った厚地の敷物。兵庫県伊丹の特産。
平家雑感

瓦燈口 ① 家の壁などに設けた火灯形の出入り口。 特に茶室の火灯形の茶道口や、その様式をいう。 鴨居(かもい)や方立(ほうだて)を用いないで壁をくり、上部を櫛形か円頂形に塗り固め、紙張りの引き戸をつけたもの。 ② 歌舞伎芝居の大道具の一つ。

菖蒲皮 鹿革などを濃い緑色に染めたものに、白地で模様を抜いた染革のこと。
忙殺 ぼうさい 
男女と天才


お職 遊廓で同輩中の頭に立つ娼妓のことをいふ。 同輩の中で頭に立つ女郎の称。 頭に立つ女郎のこと。

水鮫 あ、これはゴールデンカムイ
拝眉 はいび 会うことをへりくだって言う語。拝顔。
八端 縦,横に褐色,黄色の縞模様のある絹織物。
デイワ゛イン?
ロングフェロー ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー
禮譲 礼儀正しくへりくだった態度をとること。
クオー、ワ゛ヂス 『クォ・ヴァディス: ネロの時代の物語』三島由紀夫も読んで居た。
ヰ゛ニチアス マルクス・ウィニキウス

厘毫 りんごう ごくわずかなこと。釐
吉左右 よい知らせ。吉報。 善悪や成否いずれかの知らせ。
質朴 しつぼく 飾りけがなく純真・素直なこと。
深切 思いやりが深く、ねんごろなこと。好意をもって人のためにあれこれと計ってやること。親切。
マーザー
積俵 ほんだわら
裏白

話柄 わへい 話す事柄。話題。
石板刷りの絵 リトグラフ
澁澤事務所

河竹黙阿彌


島鵆月白浪

猶豫 猶予・猶与 いざよう
沮喪 そそう 意気がくじけて元気がなくなること。
満員の赤札

純一は亀清の帰りに、両国橋の袂に立って、浜町の河岸を廻って来る電車を待ち受けて乗った。歳の暮が近くなっていて、人の往来(ゆきき)も頻繁(ひんぱん)な為めであろう。その車には満員の赤札が下がっていたが、停車場(ば)で二三人降りた人があったので、とにかく乗ることだけは乗られた。(森鷗外『青年』)

古梅園

揮毫(筆をふるって)字や絵をかくこと。
裁板

火熨し アイロニング
音信不通 いんしんふつう
カーボンの線 フィラメント
七子の紋付

廻禮 礼を述べるために方々を回ること。 お礼まわり。回礼。
立矢


扱帯 しごき「しごき帯」の略。女の腰帯で、一幅(ひとはば)の布を適当の長さに切り、とじないでしごいて使う帯。
皮羽織

輪飾り

仙台平


獵虎 海獺

嶄然 ざんぜん 一段と目立ってぬけ出たさま。
骨牌會 かるた会
Adultery  姦通
辨松

舊弊「旧弊」(きゅうへい)。

舊來我國に固有する文明の事物を保存せんとするの一事にして、又重ねて帝室に依頼せざるを得ざるなり。抑も人心を震動するの甚しきは政治の革命にして、政府爰に一新すれば人心も亦隨て一變し、其好尚の趣をも舊に異にすること多し。殊に我日本近時の革命は、唯に内國政治の變換のみに非ずして、恰も外國交際の新なる時に際して、外の新奇を以て内の舊套を犯したるもの少なからず。苟も舊時の事物とあれば、利害得失を分たずして、舊の字に加ふるに弊の字を以てし、舊弊の熟語は下等社會にまで通用して、是れも舊弊なり、其れも舊弊なりとて、之を破壞する者は世間に識者視せらるゝの勢にして、内外兩樣の力を以て人心を顛覆したることなれば、其有樣は秋の枯野に火を放ちたるが如く、際限ある可らずして、殆ど舊來の文明を一掃したるものと云ふも可なり。(福沢諭吉『帝室論』)

斗り ばかり

悄氣る しょげる

甲走った かんばしった 音声の調子が細く、高く、鋭くひびく。 きんきん声を出す。 かんばる。
モーラリスト
プリーチャー 説教者 Preacher

Lottery  宝くじ
淀見軒  『三四郎』にも出てくる
芭蕉布

六歌仙の縦繪 僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主
床框 床の間の前端にわたした化粧横木。
新派の喜多村

薩摩琵琶

斯界 しかい 社会。この分野。

喧囂亂脈 やかましく乱れて筋が立たないこと。
戯談 じょうだん
かんじより 「かんぜよ(観世縒)り」の音変化。
鬮  くじ  全集なのに手書き文字だよ。グーテンベルクよく読めたな。
尾張屋


Solitude こどく
片岡仁左衛門 十代目か?
八百蔵 八代目 市川中車か?
鶉 高土間 新高

又観客席は土間、高土間、鶉(うずら)、二階、三階、桟敷と東西と向う正面を合せて、定員千八百二十四人の外に、一ト幕見の席がありました

https://www.kabuki-za.co.jp/siryo/doc/kabukiza.html


高土間 旧式歌舞伎(かぶき)劇場の客席の一種。平土間(ひらどま)の左右、さじきの前の、やや高い所。

鐵亞鈴 てつあれい
源平布引瀧


鰻谷


trivial  些細な事
嬌羞 きょうしゅう 女がなまめかしく示す恥じらい。
臀を抜く 『羹』以外に使用例が見つからない。ほころびて綿が飛び出しているという意味か。
節絲 玉繭型に作った節の多い生糸のこと。玉糸。
千束町 せんぞくちょう

銘酒屋

萬龍

それほどでもないんじゃないか。


月見芋 大阪府で生産される「泉州さといも」の別称。

呂昇














正露丸(;゚Д゚)


でしょうね。

あったか~いのね

 欧米か、ってタカトシか。

なかよくすれば


雹で喜ぶ子供たち

遊んでる大人たち


1928年のエジプト。

多分、別の悩み。

多分、調子に乗りすぎ。

どーちょーあつりょくがねー
しはいするくになんでねー



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