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2023年映画感想No.16:BLUE GIANT※ネタバレあり

ジャズ全肯定主義の絶対的主人公

TOHOシネマズ日比谷にて鑑賞。原作未読。
主人公・宮本大のジャズ観のようにカテゴライズや優劣をつけずに「全部ジャズで全部良い」とまとめて肯定してみせるような映画でとても良かった。大は「ジャズを信じる」という揺るぎない気持ちを持つ絶対的な存在であり、そんな彼の純粋なジャズ全肯定主義に触れることで周りにいる人たちがジャズを好きになったり、ジャズをさらに好きになったり、ジャズを改めて好きになったりしていくという物語が音楽讃歌として本当に素晴らしかった。
音楽とは他との優劣で良し悪しが決まるものではないからこそ「絶対的である」ということが音楽の本質そのもののようでもある。良いものは誰が聴いても良いし、良い音楽は聴いた人の人生にポジティブな影響を持たらすという音楽のユニバーサルな可能性を真っ直ぐに肯定する物語で、僕自身も人生の多くの場面を音楽によって救われてきた人間だからこそ大のジャズを信じる気持ちに心を揺さぶられた。
もちろんジャズに触れるきっかけを作る意味でもちゃんとジャズという音楽を紹介する内容にもなっていて、観終わってもっとジャズを聴きたくなるし、もっとジャズという音楽を知りたくなった。

ジャズを通じて誰かと繋がり大きくなっていく主人公

映画のファーストシーン、夜の雪の河原で一人テナーサックスを吹く大が黒猫に話しかける場面がジャズを通じて知らない世界へと繋がっていく彼自身の物語を暗示しているのだけど、同時に彼のジャズがあれば幸せという異常なまでの純粋さが一発で伝わる描写になっててとても良かった。たとえ一人でも、たとえ明日世界が終わるとしても彼はこうしてサックスを吹くのだろうし、サックスを吹くことで彼は人生を楽しんでいるように見える。
そんなジャズさえあれば幸せ人間の大が上京してジャズの世界に飛び込んでいくのだけど、大を通じてジャズの良さを再認識していく人たちがちゃんと「大にとってのジャズ」を後押しする役割にもなっているのが良かった。
大が東京で初めて行くTAKE TWOというジャズバーの店主や後にバンドを組むピアニストの雪祈にも大とは違う形のジャズに対する情熱や愛情があり、その影響の相互作用で大のジャズが大きくなっていく。大が雪祈のピアノを初めて聴く場面ではクラブの暗闇から音の鳴る方に一歩踏み出した大の顔に光が当たる演出があり、雪祈との出会いが大にとっても特別な瞬間であったことが映画的にも感じられる。

本作における"良い演奏"の提示

揺るぎない存在である大の隣で成長していくのが技術的には抜群に上手いけれど初期衝動や音楽の楽しみを忘れている雪祈とズブの素人から音楽の楽しさに目覚めていく玉田という対照的な二人に設定されているのも上手い。それぞれに異なる欠点を抱える二人がJASSというバンドを通じて自分の大切なものを見つける物語になっている。
大の語る「音だけで全てが伝わる」というジャズ観が本作における「良いジャズ」の一つの基準になっていて、最初に大が雪祈に自分の演奏を聴かせる場面の「演奏中に大が積み重ねてきたものが映像的に見える」という演出が大の演奏の説得力を観客も共有できる見せ方になっていると同時に原作の物語をスマートに省略する語り口にもなっていて上手い。
映画の中で鳴っているジャズが良いか悪いかなんて観ている観客の多くは判断できないからこそ映画の表現として「良い演奏」を提示する工夫があることが素晴らしいし、大の演奏の特別な魅力とそれに対する雪祈のコンプレックスという後々のドラマにおける大きな要素においてもここだけで多くを描き切っていて重要な場面としても鮮やかに成立している。

技術に囚われている雪祈

技術を追い求めてきた雪祈はそういう基準でジャズの良し悪しを判断してしまう価値観に縛られている。「"上手い演奏"は"良い演奏"なのか?」という命題の提示は音楽映画として面白いと思うし、一方で「魅力的な音楽とは?」という問いには答えがないからこそ大の見せた「その人の物語が見える演奏」という描写をこの物語における一つの正解として観客に提示しておくのが上手い。
やっと殻を破りかけていた雪祈が交通事故で致命的な怪我を負ってしまう展開は本当に辛いのだけど、戻ってきた雪祈が「ジャズプレイヤーにとってのバンドというのは」という冒頭のセリフをもう一度引用して大を送り出す選択をすることがある意味で大に対する敗北宣言であると同時にずっと囚われていた価値観から完全に解放された瞬間でもあり、だからこそ片手一本という技術的には未完成の状態でありながら劇中で一番の演奏を見せるアンコールの場面が3人のJASSのラストライブにして集大成という感じで本当に切なくも感動的だった。
雪祈が演奏に込めるのはジャズを始めるきっかけになった女の子との思い出であり、それが「雪祈のジャズ」という彼にしか表現できない音楽の素晴らしさとしてその女の子本人に届く描写にもグッと来た。クドクドと説明せずに見せるからこそ上品でドラマチックに感じられるし、「その子にも届くといいな」という理想をちゃんと描き切る展開があるのはこの映画なりの「ジャズを信じる」という解答のようですらある。

成長の物語真っ只中にいる玉田

一方の玉田に関しては音に彼の物語が重なる演出はされないのだけど、それはこの映画こそが彼の物語そのものだからだと思う。途中でサインを求める初老の男性が言うように僕たち観客はまさにこの映画を通じて彼の成長するドラムを見つめている。だからこそクライマックスで映し出される彼の演奏や音には観客それぞれが心の中で様々な場面を重ねてください、という演出がされている気がして見ながら本当に感動した。雪祈がいないJASSを玉田のドラムソロが引っ張るようにライブが始まるのは、まさにそれこそが「玉田のジャズ」なのだと思うとボロボロ泣いてしまった。
何かを続けることにおいて上手く出来ない自分に向き合い続けることは本当に苦しい。上手くできる保証なんてないのに劣等感に向き合い続けていると辞めたいと思う瞬間に何度も突き当たる。それを乗り越えることは本当に難しい。
天才二人と同じステージに立てるまで出来ない自分と戦い続けた玉田は本当にすごいと思うし、失敗すらも最短距離にしてがむしゃらに前に進んできた玉田の姿勢はなんでもスマートにやろうとして自分を曝け出せない雪祈との対比にもなっている。

エピローグの優しさ

エンドロールのあとに加わるエピローグの優しさにも泣いてしまった。こいつには敵わないと思った相手にとって重要な存在になれたことが自分自身のかけがえのない承認になる喜びはずっと自分自身を支えてくれる経験になる。雪祈はこの映画の中で唯一ジャズを失いかけた人物だからこそ彼のジャズが続いていくことを優しく後押しする場面があって本当に嬉しかった。
大と違う道に進むことは決して悪いことでも、ましてや踏み台や敗北などでもない。それは作曲を続けている雪祈自身が一番良くわかっていると思う。大と出会い自分のジャズと向き合った経験を経て自分の好きなものを再定義できたことが彼のジャズをより強くしたのだと思うし、そのジャズによって雪祈は再び自分の世界を広げていくという前向きな可能性が窓の外を通り過ぎる黒猫によって優しく示唆されているように感じられた。

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