会話が上手い人について、ぼくなりに考えてみた
ぼくは働き盛りの32~37歳まで、5年間働かずに専念させてもらっていた公認会計士の受験が実らず。
前の嫁さんが、働いていたコンサル・ファームに、ぼくを無理やりねじ込んでくれて。
その後、9年間に及ぶコンサルタントとしての経験をさせてもらうことになるのですが。
彼女の仕事ぶりを見ていて、とても感心して、尊敬していたのは。
お客さんであれ、チーム内であれ、上司であれ。
彼女が誰かとしゃべっているときに、すぐに的を得た言葉で会話ができることでした。
「どうやれば、あんなにうまく会話ができるのだろう??」と。
(ま、余談ですが、彼女とケンカをするときにも。
本当に一つも言い返せないくらいに、瞬時に適切に鋭く抉られて、ぼくの口ゲンカ能力も少しは鍛えられていったんですが・・。)
その答えは、コンサル人生の後半、というよりはコンサルを辞めてから分かったのですが。
きっとぼくが思うに、彼女が瞬時に適切な会話ができるのは。
「常日頃からそのことについて、ずっと考え続けている」から。
「しゃべっていることの10倍以上の質・量を考えている」から。
「一貫して同じことを、いろんな場所で何回もしゃべっている」から・・なんじゃあないのかな?と。
この考えというのは、特に自分がFacebookで文章を書くようになってから、思いついたんですが。
自分の心が動いたことについて文章を書こう・・と決めていると。
いろんな日常の場面で、感動したり、ビックリした出来事に遭遇したときに。
「なぜ自分はビックリしたのか?」「どこに感動したのか?」など、自動的に思考を深掘りするようになります。
それは、一日のうちにあっという間に、納得のいく結論にたどり着くこともあれば。
数ヵ月間、ぼんやりと断続的に考えながら、ある日パッと思いつくこともあります。
かように、結構な時間とエネルギーをかけて考えていて、それが十二分に蓄積しているからこそ。
適切なタイミングで、適切な言葉で会話ができる、文章が書ける・・ということになるんじゃあなのかな?と。
要は、天賦の才とかではなく、時間をかければ誰にでもできることなのだ・・と。
ただ単に、自分は労力をかけてなかっただけのことなのだ・・と。
ぼくのイメージでは、一流の芸人さんとか、一流の情報バラエティ番組のコメンテイターなんかもそうだと思ってるんですが。
まあ、確かに「台本」なるものはあるのでしょうが。
例えば、芸人さんなら、「面白いこと以外のこと」はしゃべらなくて。
しゃべるときは、必ず、場にそぐっていて、かつ、ちゃんと面白いことを言うスキルって、スゴイ!と思うのです。
逆に、若い芸人さんほど、特に面白くもない普通の言葉をしゃべってる割合が高い・・ように思います。
しかも、その面白い言葉を、そのときしかない瞬間にサッと選べる能力というのは。
きっと、アタマで、左脳的に考えていては間に合わないもので。
例えるならば、英語を習ってあるレベルまで来ると、単語や文法をアレコレ考えながらではなく。
感覚や大まかな文脈に沿って、潜在意識(=右脳側)を使ってしゃべれるようになる・・的な領域なのでは?と推測しています。
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なんか、自分でも話のスジが見えなくなってきちゃいましたが・・。
閑話休題して。
あともう一つ、うまくしゃべれるようになるためには。
これはあくまで想像の世界ですが。
きっと、しゃべらなきゃいけない場面で、たくさんの失敗を経験してきたんじゃあないのかな?と。
個々の経験の中で、「あのとき、ああ言えば良かった」・・なんていう後悔がたくさん蓄積していって。
そうならないために反省をしたり、事前準備とかをやっていくうちに。
つまりは、しゃべることについてたくさん考えていくうちに、鍛えられていったんじゃあないのかな?と思うのです。
これが、「場数を踏む」っていうことの意味なんでしょうけれども。
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・・なんていうことを、ぼくの好きな「マツコの知らない世界」を見ながら。
「マツコのイジリって、素人出演者を嫌な気持ちにさせない、ギリギリのところを攻めていて、すごいなあ~」と思いながら、妄想してました。
ではまた、いつか~。
<見出し画像につき>
ぼくはあんまり情報・バラエティ番組は見ない方なんですが。
「マツコの知らない世界」と「EIGHT JAM」だけは、毎週欠かさず見てまして。
当然、情報そのものが面白いんですが。
同時に、彼ら彼女らの話術を勉強するつもりで見ています。
個人的には、特にマツコとサバンナ高橋は、傑出しているなあと思ってます。