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自己紹介⑧NPO法人で働いていた時の話(中編)「ボランティア」は責任から逃れるためにあるのか?

私のnoteを見てくださりありがとうございます。

木塚めぐると申します。

この話は、前編、中編、後編に別れており、今回は中編の話になります。

前編から見た方が、話の流れが掴めるかと思います。

ぜひ、前編もご覧ください。


前編で述べた出来事以外にも、入職した後は本当に「いろんなこと」がありました。
まず、私が入職した一ヶ月後にセンター長(現場のトップにあたる方)が退職しました。
センター長はセンターを運営している理事側の人間に事前に退職の相談をしていたのですが、それにも関わらず、理事の方々は「センターを混乱させたくない」との理由で、すぐに私含むセンター側の人間に伝えませんでした。
また、センター長は理事の方々から「センターを混乱させたくないから、自分の口から言わないでくれ」と伝えられていたそうです。
そのため、我々センター側の人間が、センター長の退職の連絡を受けたのは、センター長が退職する3日前でした。
結果、引き継ぎがほとんど出来ず、センターは混乱してしまいました。


「センターが混乱した原因は、センター長の退職の連絡を、退職の報告を受けた際にすぐにセンター側の人間に伝えなかった理事側にある。センターを混乱させたくないために報告を引き延ばした結果、センターは混乱したのだから理事側に責任がある。」
このような意見が出て、私はその通りだと思いました。
入職して二ヶ月目で、理事側とセンター側のそれぞれの関係や事情を詳しく知らない私とはいえ、今回の混乱の原因は「退職の連絡を即時せず黙った」理事側の判断ミスにあると思っていたからです。
意見に同意した私は、理事の方々にその旨を述べました。
しかし理事の方々は「我々は報酬を受け取っていない無償の団体だから責任はありません。ボランティアでやっていますから。」と、一切の非は無いと言わんばかりの弁明をしていました。
(NPO法の規定により、運営側の理事の人間には報酬が発生しない。ただし、センターで業務を勤めた時はその限りではない。)


私はこの発言に対し、『「ボランティア」の言葉を、責任から逃れるために都合よく使っている』と感じ、激昂しました。
「この発言はおかしいです!間違っています!」
当時の私は恥ずかしながら幼く、二元論的思考のもと感情的に他人に当たる人間だったため、大人同士のディベートができませんでした。
オブラートに包んだ発言ができず、思ったことをストレートに言ってしまう一面がありました。
そして、口が回り、賢く、当時の私の倍以上の人生経験を積んでいた理事の方々には、私はだだをこねる子供に見えていたと思います。
私の発言は、暴れる猛牛を避ける闘牛士のごとく、のらりくらりと避けられました。



三十代になった今、この経験を振り返ると、
「センターを混乱させたくないために直前まで黙った」判断は正解でもなければ不正解でもありませんし、
「金が介在しない行為に責任は発生しない」という意見自体は、確かに、間違いではないと思います。
しかし、今回のケースにそれを当てはめるのは、あまりにも都合が良すぎると思っています。
当時の私が感じた怒りは、間違いではなかったと思います。
はっきり言って、今でも憤りを感じています。
怒りを感情的に解放するのではなく、心の中にうまく落とし込み、言葉を選んでディベートができなかった当時を、無念に感じています。


後編はこちらです


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