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自己紹介③中学時代の話。部活を「やらされて」過ごした三年間は地獄だった。

私のnoteを見てくださりありがとうございます。
木塚めぐると申します。
今回は中学時代を振り返ります。
この記事の、2003→2006に該当します。
ぜひこちらもご覧ください。


私が進学した中学校は、そこそこの人数の小学校と少人数の小学校の二つから生徒が集まる学校でした。
私は少人数の小学校の出身だったので、他の生徒たちのほとんどが知らない人ばかりでした。


そこそこの人数の小学校から来た人たちは、不良とは言わないまでも元気で活発な人が多かったです。
運動神経が良く、しゃべりが上手く口が回る。そのため女の子にモテモテでなので、自分に自信がある。
なので、言いたいことをハッキリ言える。自分とは逆を行く人が多かったです。
ただ、悪い人たちではなかったのでいじめや暴力などはせず仲良くしてくれました。ありがとう、感謝しています。


そんな私は、中学時代も野球部に所属しました。
本当は美術部に入りたかったのですが、田舎の学校ゆえ、美術部に入部したら、「特別な人」という目で見られる雰囲気がありました。
実際に美術部は、「事情があって学校に登校できなかったり、保健室登校をしている人たちが集まる場」として機能していました。
周りの生徒から「特別な人」として見られるのが怖かった私は、
田舎の学校のため部活の選択肢が少ないこともあり、野球を続けました。


3年間は、とにかく苦痛の日々でした。
監督コーチの言うことは絶対服従。朝から晩まで練習させられました。
真夏日に体力作りの一環として長袖を着せられ練習させられました。
練習試合をするための車の移動の際、体力を落としてはいけないという理由で、エアコンを禁止させられました。
一日中練習させられ、かつ当時は家に録画機器がなかったので、見たかったアニメが見られませんでした。
地域の行事があるにもかかわらず、練習試合を組ませられ、行事に参加できませんでした。


部活を辞めたかった。
とにかく辞めたかった。
絵や漫画を描きたかった。
ゲームをしたかった。
アニメを見たかった。
辞めたかったけど、辞めると親に「だらしない。お前は根性無しだ。」と怒られ、嫌な顔をされる。
親の顔色を伺って生きていた私は、辞めたくても辞められませんでした。


3年生最後の試合が終わり引退が決まったとき、チームメイトが帽子で顔を覆い、「もう中学では野球ができない」と無念の涙を流しているとき、
私は帽子で顔を隠し、心から溢れてくる開放感を胸の中に隠し、泣いているフリをしました。
あの時感じた解放感は、今でも覚えています。


この3年間の経験から、「やりたいことをやれるのは一握りの特別な人間だけで、僕にはできない。人生は嫌なことを耐えて生きるものなのだ。」という考えがより強固になりました。

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