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#1 編集者がホテルを創ると、こうなるのか。【松本十帖@長野県】

スキルを転用し、まったく違う仕事に挑む

20代から30代まで、私は雑誌の編集者をしていた。

「編集者」といっても、その領域は様々で、ファッション誌、グルメ誌などで扱うテーマは違うし、書籍はまた別の領域として編集者が存在する。
私は、人材系メディアやリスキル・学び系メディアが活動の中心で、たくさんの人たちの転機や転身について取材していた。
「編集者の仕事って?」を簡単に説明することはできないが、領域関係なく、「編集」のスキルというのは案外別の仕事にも転用できるものなのだと、その仕事を離れてみた後で知ることになった。

ちなみに、私を編集者・ライターとして育ててくれた師匠は、大手出版社を卒業して小さな編集プロダクションを経営していたが、10年ほどしたところで後進に経営を譲り、自らは喫茶店のオーナーになった。
10席にも満たないその店に遊びに行くと、目の前の壁一面に本やスターウォーズのフィギュア(彼はスターウォーズが大好きなのだ)が並ぶカウンターで、素朴なポーランドの食器に盛られたお手製サンドイッチを食べさせてくれた。

「Nさん、大きな転身ですね」

という私に、

「喫茶店はメディアだと、俺は思っているから」

と答えた。

その後、編集者・ライターの仕事を「ゆるく」フェイドアウトした私は、キャリアコンサルタントの資格を取得して研修講師に転身した。
(「ゆるく」というのは、両方が重なって活動していた時期があったのと、今でもたまに、ライティングの仕事をしているからだ)

講師として駆け出しだった頃、私の登壇に陪席していた方が、こんなフィードバックをくれた。

「キヨ・リーヌさんのファシリテーションは、編集者だったからこそできるんですね!」

どうも、褒められているようだった。
彼曰く、私は「目の前の受講者に合わせて、リアルタイムでコンテンツや受講者の意見を再編集しながら伝えている」とのことだった。

??それは、当たり前のことではないの??

というのが、私の心の声だった。
事前にプログラムが創ってあったとしても、目の前の受講者の反応や、ライブでやりとりした内容を考えると、スライドの順番を変えた方が肚落ちするだろうし、なんなら不要なスライドやコンテンツもあるはずだ。また、スライドとスライドを繋ぐ話も、どんな意味づけで話すかによって、ストーリーは変わる。目の前の受講者たちが出してくださった意見や感想を編み集めたら、また新しい文脈が生まれたりする。その方が、生々しくて面白い。

雑誌の記事は、いわゆる「読後感」を想定しながらページ展開を設計する。読者像をイメージし、その読者がページを繰るごとにどんな心情になり、どんなことが知識として得られ、読み終わった時にどのような心持ちとなり、狙うアクションを起こせるか……。
それを、研修という場に「無意識」に置き換えていたのかもしれない。
こういう、職種に限らず応用できるスキルのことを、「トランスファラブルスキル」とか「ポータブルスキル」という。


今回の旅は、この「トランスファラブルスキル」による妙技を見せていただいた。――編集者が、ホテルを創るとこうなるのか。

宿の名は、「松本十帖」。
「十帖」とは、「十の物語」ということだ。
長野県松本市にある浅間(あさま)温泉街。日本の山村地域の多くがそうであるように、このエリアも衰退の一途をたどっていた。「松本十帖」は、浅間温泉街に建っていた、1686年創業の老舗旅館「小柳」の再生プロジェクト、だけでなく、「街全体の」リノベーションプロジェクトとして、民間企業が立ち上げたものだ。
創り手は、雑誌『自遊人』編集長・岩佐十良氏。
編集者が、ホテルを、街を、プロデュースした「だけ」ではなく、自社経営しているのである。
岩佐氏は過去にインテリアデザインをしていた経験もあるようだが、やはり「自遊人」というメディアの会社がホテル経営に乗り出したというのは、注目したいところだ。


立ち止まって味わいたくなる「手招き」がある。
ページをめくる「ドキドキ」がある。

「松本十帖」と名付けられたエリアには、「松本本箱」と「小柳」という2つのホテル、ブックストア、ベーカリー、スーベニアショップ、レストラン、ハードサイダー醸造所、フロント機能も有する「おやきとコーヒー」と「哲学と甘いもの。」という2つのカフェがある。
「温泉街を回遊してほしい」という考えから、フロント「おやきとコーヒー」は、宿泊エリアから徒歩3-5分程度離れたところにあえて置き、自ずから街をぶらぶら歩くように仕立てられている。



今回泊ったのは、「松本本箱」内のパノラマスイート。

部屋が素敵なのは言うまでもないし、源泉かけ流しの露天風呂も爽やかな空間だ。窓に向かって置かれた大きなテーブルは、物思いにふけって書き物をしたり、ワーケーション時にもぴったり。なんなら現代の文豪気分だ。

まあ、こんなことは、おそらく多くのメディアで紹介されているし、記事やホームページを読めばわかることなので、そちらを見ておいてほしい。

↓たとえばこんな記事

どうせなら、私が「編集的だなぁ」と思った部分をクローズアップして紹介したい。

①編集された「本箱」が誘惑する

「松本本箱」という風変わりな名前は、ホテルに着くと理由がわかる。
本箱だらけなのだ。部屋にも、廊下にも。

部屋の本棚

そして、1階には読めるし買える、「大きな本箱」エリアがある。
フロントから正面にあるレストラン「三六五+二(367)」、その横の通路「本の道」、道を通った奥に広がる「げんせん本箱」「オトナ本箱」「こども本箱」。

本に囲まれて食事するレストラン
本の道を抜けて、げんせん本箱・オトナ本箱・こども本箱へ

以前は大浴場だったのだろう、その頃の設備も残しつつ、リノベーションされた空間。籠って読める小スペースもある。ここは、素通りできない。

お風呂タイルの上はバーカウンター
天井の鏡をパチリ。湯舟に腰かけて本を読む人たち
「こども本箱」はあえて水道を残した造り
湯舟がスポンジボールを溜めた遊び場に
中央がお籠り部屋。じっくり本を読みたい人がそこかしこに

置かれている書籍は、日本を代表するブックディレクター・幅允孝さん率いる『BACH』と、日本出版販売の選書チーム『YOURS BOOK STORE』が選んだものだ。過去の自分の集積を解析した「ネット書店のリコメンド」では出会えない本たちに興奮した。そしてもちろん、買った。

近々買おうと思っていた『陰翳礼讃』

ただ、本があるから「編集的」なのではない。
まるでページを繰るように空間が変化していき、都度都度、本が意図をもって配置されている。そこを歩く人、留まる人の心の動きを誘うような、「本箱の中で過ごす」を体感できる。

②「素材をどう料理するか?」が編集である

食事も、旅の楽しみのひとつだ。
「ローカル・ガストロノミー」と題された料理はどんなものだろう、とワクワクしていたが、内容よりもお品書きにノックアウトされた。
食材「しか」書いていないのだ。

千曲川・信濃川流域の食材が並ぶ

「ローカル・ガストロノミー」に対する考えを、ホームページではこう紹介している。

「ローカルガストロノミー」とは、地域の「風土・文化・歴史」を表現した料理のこと。けっして豪華な料理のことではありません。
ほとんどの食材は野菜。信濃の国をS字に流れる千曲川・信濃川流域と、その大河が注ぐ日本海(主に佐渡近海)でとれた魚などでコースを構成しています。肉料理はほぼメインだけ。それも放牧豚など、動物に優しく、環境負荷の少ない方法で肥育されたものをご提供しています。

キャビアやファグラ、トリュフといった豪華食材を使うことはありません。もしかすると、「豪華な食材が一つもなかった」と思われるかもしれません。記念日の食卓には地味かもしれません。一般的な旅館料理とは大きく異なりますので、旅館に慣れた方には馴染めないかもしれません。

松本十帖ホームページより(https://matsumotojujo.com/journal/)

確かに、豪華な料理ではない。けれども、物語のある料理だった。
何より、「この食材だけ書かれているお品書きが、どんな料理となって姿を現すのだろう」という期待がスパイスになる。皿が置かれるたび、こんなに料理の紹介を熱心に聴いたのは、初めてかもしれない。

左上から(お料理の一部)
白樺の樹液と、藤の花のピクルスなどを載せたクリームチーズカナッペ
高原野菜のサラダ トマトエキスでつくった泡のドレッシングで
間引き人参のグリルに黒焼き人参のピューレと「安曇野らんらん」という卵の塩漬けをまぶして
スイートコーンのすり流し
メジマグロのグリル 甘夏ソース掛け
バジルのアイスとブルーベリー
信州蕎麦にパセリオイルとキハダの粒をかけて
プチフールとミント・レモングラス・ダンコウバイのハーブティー
落葉松でサッと燻製したマイタケのコロッケ

編集者時代、企画を立てて取材をしてみたら、想定通りではなかった、ということが何度もあった。けれど、まずは取材時に「深堀して魅力(素材)を発掘すること」に専念し、「集まった素材をどう料理するか、が腕の見せどころだ」と思ってきた。とにかく、良い素材を集めることに務め、それを面白い記事に仕上げていくのが編集の仕事だ。
素材だけメニュー表で見せ、それがどのように仕上がるのか待つ時間まで、旅の体験に仕上げる。まるで、編集技術の一端を見せられているようだった。

③編集とは「コンセプトという背骨」に沿って行うもの

コンセプトが、メッセージが、ブレている記事は気持ちの悪いものだ。
想定通りの制作ができず、締め切りに追われて無理矢理筋を通した記事は、やはり違和感がぬぐえず、面白みに欠ける。スッと肚落ちしない。
そんな経験は、編集者なら一度や二度、していることだろう。
生み出すためには、貫く「背骨」が必要だ。

この宿は、細かい部分一つひとつから、「大切なものを大切にしている」ことが伝わってくる。

「エリアリノベーション」という考えを掲げているように、松本十帖は、地域と馴染むことを大切に設計されている。
フロント機能も持つカフェ「おやきとコーヒー」は、もともと芸者さんの置き屋(休憩室)だったところを改装した風情ある建物。一階には、「地元の方専用」の共同風呂がある。観光客からのマネタイズをあえて捨てても、「地元との交流」「街ぐるみのリノベーション」にこだわったからだろう。

地元の方しか入れない、というのがなんだか羨ましくて、良い


「サステナブル」な社会を目指して、ということでアメニティを絞るホテルは少なくないけれど、松本十帖では加えて「タオル」に着目。
「温泉旅館では驚くほどのタオルがクリーニングに出されている」と謳った上で、全客室に「タオルウォーマー」を設置。濡れたタオルを心地よく繰り返し使えるように配慮されている。
また、各部屋に人数分のタンブラーも用意されており、ロビーなどフリースペースに置かれているコーヒーマシンでは紙コップなどを使わず、タンブラー使用が呼びかけられている。(タンブラーは持ち帰り可能)

私の使い方がまずかったのか、バスタオルだと一度に一枚しか乾かせないのが残念。
あとは、電気を使うよね……とか。クリーニングよりは、こちらのが良い、という考えなのだろう


館内着は、軽井沢の障害者就労支援施設の協力により、障がいのあるクリエイターによる原画を使ったオリジナル。ロイヤリティの支払いにより自立支援に繋げている。

柄は複数種類あった


アイテム一つひとつに、意味がある。想いがある。
「これは?」と尋ねると、ストーリー(十帖)がある。
これも、編集的だ。
編集記事には、ただ空白を埋める、意味のない写真など、あってはならないのだから。

温泉街は「固定化されない」メディア

雑誌や本の編集と、ホテルや街の編集に違いがあるとするならば、「出した後も変わり続ける/変えられる」というところだろう。
本や雑誌は、一度出したら変更がきかない。
だから、出版前は目を血走らせながら間違いがないか、細かくチェックする。(プロの校正さんの目に何度命拾いをしてもらったことか)

けれども今回、ここで感じたことは、「変化し続けるメディアがあるのだ」ということだ。

現実、この温泉街はまださびれた感じも否めず、つぶれた旅館や空き地が目立つ。週末にも関わらず、道は閑散としている。

けれども、松本十帖のフロント機能を担っているカフェの前には、自遊人による街づくりを機に、横浜から移転してきたというベーカリーが建っていた。街を編集した方にしたら、冥利につきるだろう。

それなりのお値段がする宿だが、驚くほど混んでいた。
この宿を目指して人が集まってきているのは確かなのだろう。

初めて行った宿で、チェックアウト時に次の予約を取ったのは、ここが初めてだ。
それくらい、心躍る体験だった。


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