世界でアーティストとして生きるには-ベルリン〜ニューヨークへ渡った美術家・長澤伸穂の軌道-
私はある重要なアートシーンの映像を編集した。
その映像作品「野焼き」が、いよいよ公開される。
それは東京・森美術館での展示の中で、2023年10月18日から始まる
「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」。
タイトル「私たちのエコロジー」の「私たち」とは、一体誰なのか?
大地・海・草木・空気は誰のものなのか? という問いかけを含んだ展覧会。
人間中心主義の産業化が、多様な生態系や環境資源に与えた計り知れない影響。それを見つめ直し、対話を生み出していくことを主題としている。
しかし今から40年以上前の1981年「宇宙船地球号 操縦マニュアル」の著者で建築家・思想家のバックミンスター・フラーは、「クリティカル・パス」という著書の中で、もうすでに「史上かつてない地球環境の危機が、目前に迫っている」ことを、激しい怒りを込めて訴えている。
全世界的パンデミックを経て、いま人類はその最終局面を迎えている。
そうした意味で、この企画展は、単に美術館の中だけで展開されるべきではないだろう。なぜなら、それは全人類の非常事態下での極めて重要な主題に他ならないからだ。
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私は今年の夏、ニューヨークから一時帰国した長澤伸穂というアーティストの大阪での基調公演の際にお会することが出来た。
これまでの作家活動と創作コンセプトを私自身が理解するため、彼女を取材し、およそ40年前の「野焼き」(1984)のヴィデオ編集に関わることになった。
「野焼き」は、この企画展で出品される現在ニューヨーク在住の美術家・長澤伸穂のデビューとなった作品である。
80年代初頭、まだ東西の冷戦下だったドイツ西ベルリンへ留学中だった長澤は、日本の前衛陶芸家・鯉江良二の「土に還る」という作品に衝撃を受け、全く面識のないその陶芸家に会うために日本へ帰国する。
シベリア鉄道で7日間かけての一時帰国だった。
長澤は、愛知県常滑市で活動していた鯉江良二に会い、そこで壁のような巨大な彫刻作品の構想を打ち立てる。
野焼きとは、収穫後の野畑を焼くことで、植物の灰が新しい種子の発芽と成長を促進させ、農地の生態系を蘇らせる古来の農法で、長澤は、日本の六古窯の一つである愛知県常滑において「土と火による生命の循環」という象徴的メッセージを含んだ巨大モニュメントの創造を行ったのである。
しかし野原に造られたその巨大な彫刻の作品は、もう残されていない。写真と、当時VHSカメラで撮影されたヴィデオ映像が一部残っているのみである。
私が編集・映像構成の協力をしたのは、当時7日間に渡って行われた「野焼き」最終日のクライマックス・シーンである。
一時間半ほどある記録ヴィデオをデジタル化し、それは16分30秒に編集したヴィデオ作品となって展示された。
映像では、たとえ数分見ただけでも、その情熱や真意、気持ちが伝わるような編集を心がけた。
20年以上、美術館企画展を徹底的にプレビューしている私自身の経験から、美術展の映像インスタレーションを全編見るということはほとんどない。
だが稀に、本当に心の底から感動した展覧会は、必ず全編の映像を見るということになるという、私の見解もあったからだ。
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「私たちのエコロジー」展の「第二章・土へ還る」では、
その長澤伸穂のデビュー作「野焼き」(1984)の他にも、ベルリンで行われた「地球のおへそ」(1985)の記録写真が展示される。
それは、1938年にナチス・ドイツによるユダヤ人迫害事件(水晶の夜)で放火されたシナゴーグ(ユダヤ教会)の跡地で、土と火による土地の再生を試みた長澤のエコロジカルな作品である。1985年の制作当時も、まだ土の中から弾薬や骨が見つかったという。
火の洗礼を受けた大地は、ヨーロッパの厳しい冬の積雪を繰り返し、傷ついた大地は、時間を経て次第に息吹を取り戻していった。
そして大戦の悲劇の象徴であったこの場所は、植物の生い茂る緑のオアシスとなり、人々が集う庭へと生まれ変わったのである。
長澤は、1980年代からこうしたアースワークを国内外で発表し始めたが、彼女の初期の作品の多くは、その巨大建造物ゆえにか、現存していないものが多い。
ドイツ留学後、1986年にロサンジェルスへ渡り、その後2001年よりニューヨークを拠点としており、長澤は日本国内よりも国外でより広く周知されている。
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映像を見て感じることは、なぜ人は作品を創りたいと思うのか?
・・・その答えが、言葉ではなく、表現として伝わることだろう。
1984年(ほぼ40年前の)、
作家としてデビューした20代の女性が、
何のために、何を思って、何故それほどまでに、
この作品を創り上げたいと、何に突き動かされていたのか?
その思いは何か? その情熱の根源はどこにあるのか?
それは、この企画展の主題を、もう一度思い出していただければ、自ずとわかるだろう。
奇しくも40年以上前、バックミンスター・フラーが警鐘を鳴らした「地球・大地の悲鳴」を長澤は感じていたに違いない。
長澤は1984年以降、国内外の発表を問わず、どの作品のコンセプトにも一貫して同一の主題を低層通音として鳴らし続けている。
今一度、1990年代以降、海外へ挑戦していった後進の多くの日本人アーティストたちに先駆けて、80年代に世界へと飛び立った日本の女性アーティスト長澤伸穂の軌道をあらためて検証していただきたい、と私は思う。
前述の「野焼き」を行った1984年、その一年前の1983年に当時、地球環境の最大の危機を叫んでいたバックミンスター・フラーは亡くなっている。
長澤の脳裏にフラーのことは、どこかにあったのだろうか。
後年、長澤はフラーの一人娘アレグラ・フラー・スナイダーと交流があった。惜しくも2021年にアレグラさんも他界したが、その2年前にも長澤はアメリカでアレグラと最後に会っている。
長澤伸穂という美術家を通して感じたことは、
アーティストとはその感性・感受性はもとより、
何よりも直感に導かれる実際の行動力なのだ、と痛感した。
アーティスト・創造者として最も大事な部分は、
大地の土と、太陽の火や雨・風・水からメッセージを受け取る力であり、
それは「地球・大地の声を聞き、実際に行動できるかどうか」
という一点に尽きるのではないだろうか。
清藤誠司(TVプロデューサー・ジャーナリスト/陰陽師)
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「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」
東京六本木・森美術館 2023.10.18ー2024.03.31
※長澤伸穂作品は「第二章・土へ還る」での展示。
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