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ベートーベンの「月光」を聴きながら人生を思う夜

私は音楽家でも評論家でもない素人なのですが、
クラシックってつくづく不思議な分野だなと思います。

だって、オリジナリティが求められている今の時代、
言葉を選ばなければ、人の音楽のコピーをしているわけでしょ。
サザンオールスターズを演奏していたら、
「サザンのコピーバンドね」って言われるのに、
ベートーベンを演奏していたら、
ピアニストとかバイオリニストとか演奏家とか言われるわけです。

クラシックの弾き手は楽譜の忠実な再現を求められます。
もちろんプロの演奏家になったら、
彼ら独自の表現をし、それが個性になり味わいになるのですが、
週1でレッスンに通う落ち着きのない小学生が、
自己流なんて始めたら、先生はたちまち注意するでしょう。

オリジナリティ信奉の今にあって
クラシック音楽とは楽曲のみならず、
その演奏法や扱いじたいがクラシック(時代錯誤ともいう)なのです。

で、今回、私はそれを批判したいのではなく、
クラシック音楽だからこその楽しみ方ってあるよね、と言いたいのです。

私はベートーベンのピアノソナタ「月光」が好きです。
特に、ゆっくりと静かな第1楽章が好きです。
クラシック音楽だから、何百年も変なアレンジを加えず
伝え続けてくれたことにまず感謝します。

そして、ありがたいことに現代はインターネットを使って
いろんなピアニストが月光の演奏動画をアップしてくれています。
世界中のピアニストが、日本風とかドイツ風といった味付けをせず
変わらずあの月光を奏でてくれる。
私は疲れた夜、あるいは情報の暴力から距離を置きたいとき、
そっと目を閉じて「月光」に耳を澄ませます。

先ほど、オリジナリティや独自の表現がないなんて言いましたが、
とんでもありません!
プロのピアニストの演奏は、
まるで別の曲かのように聴く者を魔法にかけます。

ひたすら美しいメロディーが先へ先へと誘うピアニスト。
機械が弾いているかのように完璧で粗のないピアニスト。
静かながら情感たっぷりのピアニスト。
彼らもなかなか味なのですが、
その3人を聴いた後、
私は息をするのも忘れるピアニストに出会ったのです。

彼の名はホロヴィッツ。
その音は淡々と深く、
旋律は時に小学生が練習をしているような朴訥さすら感じられる。
一音一音が時を止めてしまうような、
この瞬間さえあれば人生それでいいと思えるような
月光が私に降り注いだのです。

私は悟りました。
こういうふうに私は生きていきたいんだな、と。
何事もスピードが重視される時代に、
目の前にいる人とゆっくり語り合う、そんな生き方をしたいと。

だってよくいるでしょ。
交友関係が広くて、情報発信もたくさんしていて、
(おそらく)仕事もできるのに
いざしゃべろうとしたら、もう次にしゃべる人を探している人。
しゃべっているのに、心はスマホの向こう側にある人。
今、私はここにいるんだよ!
と思ってしまう。

ただ、もしかしたら、それは私かもしれない。
特に家族に対して。
相手は話したがっているのに、仕事の手を止めず、
家事の手を止めず、「ながら」対応。
そんなことがいっぱいあったような。
効率的に動いているようで、そこには何も残らない、誰も満たされない。
そんなふうにはなるまい。

月光を聴きながら、
そんなことをつらつら思った週末の夜でした。

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